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 言われて恐る恐るまぶたを開くと、はじめは視界が白んでいて何にも見えなかった。 「うっ……まぶし……っ」 「おぉっ!!」 「ふふっ」  眩しさで向けられた手鏡をすぐに見ることは出来なかったけど、春香とルイさんの反応を聞く限りそんなに悪くない反応だ。  俺は、自分の見た目に自信なんか無い。  でも女の子のメイクをすると、不思議とちょっとだけ卑屈な気持ちが湧きにくくなる。  〝俺〟じゃなくなるからなのか、心まで別人に変われるような気がするからなのか、初めて春香の影武者をした時からそれは分からないまま。  そんな気がするだけで、結局中身もたいして変わらないし。 「すっげぇ……。ハルポンどこいったん」 「ふっふっふっ」  ルイさんの大袈裟にも思える感嘆の声に、自慢げな春香の不敵な笑い声。  ぼんやりと鏡に映った自分を見た俺は、内心ではルイさんと同じ感想を抱いていた。 「うわぁ……。なんか……この人ははじめましてだ」  思わず春香の手から鏡を奪い、白んでよく見えなかった自分に釘付けになる。  たった三十分程度で、また〝俺〟がいなくなっちゃった。  小さく左右を向いて細部まで見てみると、今まで施されてきたどの女性のメイクとも違う。  しみじみと呟いた俺の言葉が可笑しかったのか、二人は顔を見合わせてゲラゲラ笑ってるけどそんなの気になりもしない。  春香はメイクさん達みたいなプロでもないし、肝心なところでやる気が空回りするタイプだし、正直〝別人級メイク〟なんて期待してなかった。  ルイさんの謎の提案を張り切って引き受けたものの、俺の顔面のポテンシャルを考えると、『やっぱりムリかも』な結末になるんじゃないかって失礼なことを思ってたくらいだ。 「はじめましての人になれて良かったやん。今後のためにも、春香ちゃんにこのメイク教わっとき」 「え?」  限りなく春香に近付けた影武者メイクでもなく、半年かけて完成させていった〝ヒナタ〟のメイクでもない、新しい女の子に変身した俺をまじまじと見るルイさんにこう言われた。  ……ものの、意味が分からない。  なんで教わる必要があるんだろう。  このメイクをして密会するのは今日だけじゃないの?  まるで、遠距離恋愛中の聖南と会う時は毎回これで行けって言われてるみたいだ。 「教わっとかんと、今後困るやろ。毎度毎度春香ちゃんにメイクしてもらうわけにはいかんのやから」 「そうだよ。葉璃が自分でもこのメイク出来るようになっておかなきゃ。あ、別パターンのメイクも試してみる? そんな時間はないか」 「いやこのメイクで充分やろ。誰がどう見てもハルポンには見えへんし」 「そう? 私のメイクの腕、いい感じ?」 「おう、春香ちゃんに頼んでマジで正解やったわ」 「うふふふーっ」  ……二人は、俺を置いてけぼりにしてる。  すっかり仲良しになったのはいいけど、ただでさえこういう事が多々ある俺は理解力が乏しい。  ルイさんの提案を半分しか理解できてないんだから、ちゃんと一から十まで説明してくれなきゃ分かんないよ……。 「……ハルポン、もしかしてまだ分からんか? 俺がなんで別人になって密会に行け言うたか」 「…………はい。なので今すごく、置いてけぼりを食らってる気分です」 「プッ……!」  笑い事じゃないんだけど……とほっぺたを膨らませた俺の隣で、床にあぐらをかいたルイさんが盛大に吹き出した。  出しっぱなしだったメイク道具を大きなポーチにしまっていた春香も、「そこが葉璃のいいところだよね」なんて、褒めてるのかどうか怪しいセリフ付きで我慢できずにクスクス笑っている。 「まぁまぁ、そう膨れんと。ハルポンのそういうとこが俺も好きやで」 「……そういうとこってどういうとこですか」 「うわ、めっちゃツンケンしてるやん! 珍しくこの子ツンケンしてんで、春香ちゃん! メイクで顔が変わったら性格も変わってもうたんかな!」 「あはは……っ! ルイくん、その辺にしとかないと、葉璃は拗ねたらめんどくさいよー」 「……拗ねてないし。……めんどくさいだなんて失礼な」  当事者の俺を放ったらかして盛り上がる二人を、俺はメイクでキツくなった目元を細めて睨んだ。ついでに、普段より厚く感じる唇を突き出して不満アピールもしておく。  拗ねてるから睨んだわけじゃない。あくまで『揶揄わないでよ』という意味。  どうしても、メイクごっこをして遊んでるようなノリについてけないんだもん。  今後も聖南と会う時はこのメイクをして行けって匂わされても、そもそも頭の上にクエスチョンマークがたくさん並んでる俺が『なんで?』になるのは、当たり前でしょ。  不満アピールを見た春香とルイさんが、「ほらね!」、「ほんまや!」ってわざとらしく騒げば騒ぐほど、俺もどんどん不機嫌になっていく。 「…………っ」  だけど、その不機嫌さは一瞬で吹き飛んだ。  右のポケットに入れてたスマホが、長く振動し始めたからだ。  予想よりかなり早いそれが聖南だとは限らないのに、振動でビクッと肩を揺らしたと同時に俺は俊敏に動いた。 「あっ……!」  取り出したスマホの画面には、すっかり見慣れた〝聖南さん♡〟の文字。それを見ただけで、彼の声を聞く前から「葉璃ちゃん」って呼ばれてる気がした。 「なにっ、もう連絡きたのっ?」 「マジでっ? えらい早ないっ?」 「…………っ」  俺の手元を覗き込んでギョッとする二人の存在が、霞んじゃっていた。  いろんな感情が一気に吹っ飛んで、なぜか通話を開始するでもなくひたすら画面に釘付けになる。  ……早く出なきゃ。  出ないと切れちゃうよ。  何回もかけ直してくれるって言ってたけど、気遣い屋の聖南のことだ。  俺が寝落ちしてたら起きるまでジーッと寝顔を眺めてるような人が、しつこく電話を鳴らし続けるとは思えない。  会いたい気持ちを殺して、俺の睡眠を邪魔しちゃいけないって思考に切り替わる聖南の優しさを知ってるから、すぐにでもこの振動を止めなきゃって……頭では分かってるのに、指が動かなかった。  その原因はひとつしかない。 「ど、どうしよ……っ。俺、……緊張してる……っ!」 「えっ!?」 「はっ!?」 「なんでっ? 毎日電話してるし、メッセージのやり取りもしてるし、ていうか今さら緊張するなんておかしいよね……っ? でもじゃあ、なんでこんなに心臓がドキドキするのっ? いやドキドキじゃないや、バクバクしてる!」 「…………」 「…………」  震えるスマホを手にして一分。  手汗びっしょりになって息巻いた俺は、自分で自分の言ってることがよく分かっていなかった。  一人で大騒ぎしてる俺からスマホを奪ったルイさんが、半ば呆れたように通話相手にそれを伝えたところでようやく気付く。  早口で、おまけに大真面目に、どれだけ恥ずかしいことを口走っていたか……。

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