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52★②

 やっぱりやめておけばよかったかな。  こんなの……男らしくないよね。  俯いていると、どんどん視野が狭くなってくる。  微かな物音でもやたらと大きく聞こえて、その代わりに視界が窮屈になる。  誰よりも一番俺のことを理解してほしいと思う人に沈黙されてしまうと、根暗な性分が頭をもたげて逃げ出したくなってしまう。 「…………」 「……ごめん。そんな事で?って、思うよね」 「いや、いやいや、そんな……っ! えっと、……俺はなんて答えたらいいのかな。んーっと、……」  微動だにしなかった葉璃が、その声だけでも分かるほど困っている。  でも何だか……反応が否定的じゃなかった。  葉璃は俺の唯一の理解者だと信じていて、逆もそうだ。  困惑させて悪いと思いつつ、ここまで言っておいてもう、隠しておけない。 「俺も、自分で自分が、信じられないよ。そんな事で、って思う。でも俺には、そんな事じゃ、ないから……」 「恭也……」 「撮影入ると、寂しくてね。もちろん、他の演者さんも、スタッフさんも大勢居て、林さんもついててくれて、ひとりぼっちってわけじゃ、ないんだ。でも俺には、葉璃がそばに居ないことが、一番……ツラいというか……」 「…………」 「ダメだよね。こんな事、葉璃に言っても、困らせるだけだって、分かってたんだけど……」  なんて情けないことをペラペラ語っているんだろうと、自分でも正気かとぶん殴りたくなる。  これが親友に対する発言でないことくらい、俺は分かっていた。しかも、社会人としてあるまじき甘えである。  葉璃が戸惑うのも仕方がない。俺は胸の内を明かすことでいったい何を期待していたのか、何と言ってほしかったのか。  甚だ浅はかだと思う。 「そ、そんなことない! 俺にはなんでも話してよ! だって俺、困ってないよ。嬉しいって言ったらヘンだけど……! 恭也、少し前にも寂しいってこと隠しててツラそうにしてたから、言いたいことは分かるよ!」  だが、やはり葉璃には俺の気持ちは伝わっていた。  出番まであと四十分はある。誰もここに用は無いと信じ打ち明けた意気地無しな俺への葉璃からのアンサーは、他者にはとても理解し難いものだった。  おかげで俺は、素直になれる。  甘えを許してくれる稀有な存在がそばにいて、どれだけ救われているか再確認する。 「うん……あのときも、寂しかった」 「うっ……」 「葉璃とルイさんが仲良しなの、妬いてたのもあったし……ダブルで、ツラかった」 「そうだった。恭也、そう言ってたね……」  オーディションを一人勝ちしたルイさんが加入する事になり、三人組構成となったETOILE。  正式に加入する前から葉璃とルイさんは常に行動を共にしていて、その間ほとんどの時間を撮影に取られていた俺はすっかり蚊帳の外だった。  葉璃と同じ時間を過ごせないばかりか、すぐそばにはあっという間に心を許したルイさんが居る。  高校時代からの友達の地位なんて、呆気なく降格してしまうかもしれないという焦りは、日々半端じゃなかった。  葉璃にとって愛すべき一番は、セナさんだ。  でも友達……親友としての一番は、俺がいい。  会うたび遠慮が無くなっていく二人は、俺の目には親密に見えた。  もう、俺の座はルイさんに奪われてしまったのかもしれない……そんな不安を抱えて過ごす日々は、ツラくてツラくてたまらなかった。 「撮影に入ったら、また葉璃と会える時間が、少なくなってしまう……。メッセージのやり取りも、いいんだけど……俺は、葉璃の顔を、見たい。葉璃の顔を見ながら、他愛もない話が、したい」 「…………っ」  何もここまで打ち明けなくても良かったのに、チラと葉璃を窺うと自惚れてしまいそうな瞳と目が合った。  セナさんがその一瞬で撃ち抜かれたという葉璃の瞳は、俺の目にも毒だ。  しかもこの表情。  俯いてモジモジしていたのは、俺だけじゃなかった。 「なんか……こんなところ聞かれちゃったら、ますます俺たち怪しい噂立てられそうだね」 「……だと思う」 「恭也のファンに怒られちゃうな、俺」  まるで恋人に縋り甘えるような発言だという自覚は、俺にもあった。けれど葉璃もそういう認識でいたとは……。  世間やファンが、俺たち二人を怪しい関係に仕立て上げているのを知った上で、葉璃がこの発言をしたとなると……自惚れてしまうって。  あげく、なぜか今度は葉璃が俯いてしまっている。  窺えない表情が俺の期待を膨らませた。 「……どうして?」 「熱烈なんだもん。なんか、なんか、……照れる」 「…………」 「いや、分かってるよっ? 恭也がそんなつもりで言ってないことくらい、俺だってちゃんと分かってる! でもさ、でも、……俺と会う時間が減るからって……そんな事……」 「葉璃、顔見せて」 「えっ、ちょっ……」  そんなつもりって、どんなつもり?  顔を上げた葉璃の顔面は、真っ赤だった。  葉璃の両頬に触れ、思わず問い質したくなるくらい、俺は浮かれてしまった。  俺が打ち明けた思いをそのまま受け取って、それを自分の中で噛み砕き、まっすぐに心へと落とし込んだ葉璃の純粋さが尊かった。  一歩間違えると、愛する者への依存であるかのような俺の思い。それを真正面から受けた葉璃は、俺の不安を見事に一蹴してくれた。 「……打ち明けて、良かった」 「え……?」 「葉璃のその顔が、見られたから」 「……またそういう事を……っ」 「こんな俺でも、葉璃は、気持ち悪いと思わないで、いてくれる。それだけで俺は、嬉しい」 「…………っ」 「ありがとう、葉璃」 「何がっ? 俺なんにも……っ」 「ふふっ……」  まだ俺は親友の座を死守できている。  ふとした瞬間、何気ない戯れの途中、いつも俺に視線を寄越してくる葉璃の中での優先順位も、変わっていないことが分かった。  何とも浅ましいけれど、俺はこれを知りたいがために打ち明けたのだと、今さらながらに気付く。  出番前の緊張を解す事と、たまに吐露する俺の気持ちでドキドキしてもらえると分かった今なら、子ども染みた我儘は言えない。 「俺、この仕事、受けた方がいいかな?」 「……っ、絶対! 受けるべき!」  すでに自身で答えが出たことを、わざわざ葉璃にも問うのは、葉璃のこの破顔した可愛らしい表情を見るためだ。 「俺、どんな内容でも毎週欠かさず見るよ!」 「ふふっ……ありがとう。俺……頑張る」  頑張るよ。葉璃。  ETOILEの知名度がよりもっと広い層に受け入れられるように、葉璃とルイさんに少しでも置いてかれないように、俺は俺に出来ることをしなきゃいけない。  つい何ヶ月か前に鼓舞した自身への誓いを早くも忘れかけていた事を、葉璃の激励によって都合よく上書きした俺は現金極まりなかった。  けれどいいんだ。  俺のことを葉璃が理解していると感じさせてくれただけで、頑張れる。  だから葉璃、会えない寂しさを埋めたいから、メッセージのやり取りだけは頻繁にお願いね。

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