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52★〝嬉しい話〟

─恭也─  バランス理論でいうと、三人という人間関係は大まかに言えばアンバランスだ。  三人共がプラスであってもマイナスであってもいけない。  かけ算してちょうどいいバランスになれば、良い関係を築くことが出来る。それが三年以上続けばなお良い。  オーディションで五人組になる予定だったETOILEは、ひとまずルイさんのみ加入の三人組構成になった。  他でもない葉璃がそれを望んだからだ。  俺も、その決定に不満は無い。葉璃がやっていけないと思う人と、当たり障りなくアイドル活動をするなんてできるわけが無い。  葉璃に話し掛けたあの日からずっと、俺の優先順位は変わることなく、未だ葉璃が一番だ。  高校を卒業しても葉璃とは末永く付き合っていきたいという目論みが、こんな形で叶えられるとは思わなかったけれど。 「──はい、……はい。分かりました。……あと一日だけ、考えさせてください」  林さんからの通話を終えて、ふぅと息を吐く。  これから朝の情報番組に十五分だけ出演する俺と葉璃は、今月末に発売の新曲の告知と歌披露にやって来た。  ボイトレのメニューを組まれていたルイさんは、今日は来ていない。林さんはお迎えにだけ来る予定で、俺は今、ここ最近では珍しく葉璃と二人きりで現場に居る。  朝の情報番組は入り時間も早くて八時にはここに居るから、俺は正直ついさっきの簡易的なリハーサルが終わるまで頭が回っていなかった。 「……はぁ、……」  固いパイプ椅子に足を組んで座っていると、お尻が痛くてかなわない。  小さい一人がけのソファならあるからとそっちに移動しようにも、その手前のパーテーションの裏で葉璃が着替えをしている。  覗いてると思われたくなくて、俺はこうしてジッとしたまま葉璃を待っていた。 「……葉璃、着替えが終わったら、ちょっといいかな」  思うところがあって、我慢出来ずにパーテーションに向かって声を掛けると、「うん?」と首を傾げた葉璃がぴょこんと顔を出した。  今日も可愛いなぁ、と目尻を下げた俺のもとに、新曲の衣装を着た葉璃が小走りでやって来る。  隣のパイプ椅子に腰掛けて、首に引っ掛けた小さなネクタイをいじりながら「どうしたの?」と視線を向けてくる葉璃は、やっぱり今日もとびきり可愛い。  着替えるにしては遅いと思ったら、ネクタイに手間取っていたらしい。 「ていうか今、電話してた?」 「うん、林さんと。えーっと……なんて言えばいいのかな。……葉璃に、聞いてほしいこと、あるんだけど……」 「うんうん、聞くよ。俺たちの出番まで一時間近くあるし。……あの、恭也……」  昔からネクタイを結べない葉璃は、いじって余計にクシャクシャになったそれを手に、困った顔で助けを求めてくる。  俺は小さく頷いて、葉璃の手からネクタイを受け取って立ち上がる。葉璃の背後に回り、カッターシャツの襟を立たせて短いそれを手早く結んでいく。  高校の時も、俺が結んだ葉璃のネクタイを解くことなく使っていたことを思い出して、懐かしさについつい笑みが溢れた。 「俺、去年と今年、続けて映画に出演したでしょ」 「うん。そうだね。恭也だけど恭也じゃない人が女の人を横取りしようとしてたね」 「葉璃、言い方……」 「へへっ、ごめん」  葉璃がそう言うのも無理もない。  俺が出演した二作とも、いわゆる間男的な役どころだった。  争っても成就しない可哀想な立場を演じた俺の芝居は、自分じゃよく分からないがなかなか評判が良かった。  バックに大塚芸能事務所という大きな名前があったとしても、芝居そのものがダメだったら二度と声がかからないシビアな世界だから、演技を認めてもらえたのは素直に嬉しい。  デビュー直後から途切れず仕事をもらえるなんて、ありがたい事この上ない話ではある。  だがそれとこれとは話が別だ、と俺は思っている。葉璃に話したかったのは、二人きりだからこそ打ち明けたい俺の胸中……本音だ。 「次は、ドラマの仕事がきてる、らしくて」 「えっ!? それほんと!? すごいね! おめでとう!」 「う、うん。……ありがとう」 「もしかして恭也……嬉しくない……?」 「いや、そんな事ない。嬉しいよ。それに、ありがたいと、思ってる」  ネクタイを結び終えて、無意識に葉璃の頭をポンポンしてからパイプ椅子に腰掛ける。  俺は、立て続けに演技の仕事が入った事を喜んでいないわけじゃなく、葉璃にその報告をしたかったわけでもない。  でもなぜか、葉璃にはそれがバレた。  何を考えているか分からないと親にまで言わしめる俺の胸中を、葉璃は見抜いた。  ありがたいと言いつつ、俺が二の足を踏んでいるという事をあっさり指摘されて驚いたと同時に、だから俺は葉璃のことが好きなんだと思い知る。 「恭也、去年の映画の時から演技スゴかったもんね。俺、芝居のことは全然分かんないけど、恭也なのに恭也じゃないって俺がパニクるくらい、役に入り込んでたってことだよ。聖南さんも褒めてたもん」 「……そうなの?」 「うん。ほんとは舞台から経験積ませてやりたかったー、って言ってた」 「そう、なんだ……」  こんなに葉璃が褒めてくれるとは思わなかった。セナさんが裏でそんな事を言ってたのも、知らなかった。  業界の評価や評判も大事だけれど、こうして近しい人が演技を認めてくれて、ストレートな言葉を掛けられると何とも照れくさい。  俺は大塚のレッスン生だったから、レッスンには当然芝居のメニューもあった。でもそれだけだ。  デビューしてすぐに映画の話がきてると知った時は「なんで俺?」と狼狽えて、やっぱり大塚のネームバリューは伊達じゃないなと思った。  芝居未経験の俺がいきなり準主役だなんて、恐れ多いとも思った。 「やっぱり映画とドラマじゃ現場の雰囲気とか違うだろうし……不安だよね」 「うん、それもあるんだけど、……。ちょっと渋ってる理由、他にもあって」 「うん?」  場馴れして、経験を積んでいくしかない状況下にあったのは確かだ。  レッスンメニューの稽古だけじゃ到底培えないものを現場で吸収していく事に、それはもう大きな不安はあったものの、デビュー間もない俺をキャスティングしたスタッフさんや先輩俳優さんから手厚い指導を受けたおかげで、何とか形にはなった。……と、思いたい。  葉璃の言う不安は、ゼロでは無い。  映画とドラマの現場はまったく違うかもしれないし、今までのように周囲が温かいかも分からない。  その点ももちろん不安ではある。  ただそこに、別の思いも燻るからこそ、俺はそれを胸に秘めておきたくなかった。 「……撮影に入ると、また葉璃に会えなくなる、から……」 「えっ?」 「…………」  言ってすぐ、俯いた。  戸惑いの声を上げた葉璃の顔を、今はちょっと見られない。  葉璃なら分かってくれる。こんなどうしようもない駄々っ子みたいな胸中を、葉璃なら受け止めてくれる──。  そう信じて打ち明けてみたものの、壁に掛かった時計の秒針が触れる音がやけに響いて聞こえるほど、沈黙が続いた。

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