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55❤︎⑦

 葉璃の場合は、自分に自信が無いわけでも、特定のコンプレックスがあるわけでもなく、それ以前の問題なのだ。  自身をゴミだらけの路地裏に住む虫のようだと形容し、なぜアイドルとしてやっていけているのか不思議なほど、彼は無頓着の度を越している。  はなから自分を人間以下だと蔑んでいるので、聖南や周りがどう言おうと簡単には考えは変わらないだろう。 「勘弁してくれって……。マジでもうどこにも一人で行くなって、究極に心の狭えこと言っちまいそうに……」 「うわぁ、ここ見晴らしがいいですね」 「はぁ?」  聖南の言葉を遮るように、葉璃は俊敏に立ち上がって窓辺に向かった。  もうこの話はしたくないとでも言いたげな背中を、聖南も追いかける。誤魔化すようなそれは、さすがに見過ごせない。  確かにこの話に終着点は無いのかもしれないが、聖南が声を荒げた理由くらいは分かっておいてほしい。  葉璃の背後に立ち、聖南もそこからの景色を見てみたが感嘆の声を上げるほどではなかった。  聖南宅にあるような大きな窓から一望できるのは、都会から外れた此処ではそれほど綺麗とは言えない街並みだ。しかし地上十七階建ての最上階ともなると、葉璃の言う通りかなり見晴らしは良い。  外に出てみれば星空も拝めそうだが、多くのホテルがそうであるように窓が開閉不可能なため実際の目で確認は出来ず、葉璃の魂胆が分かるだけに聖南は躍起になった。 「なぁ、俺の話聞いてる?」 「聞いてますよ! でも聖南さんいっつもそういうこと言いますけど、俺には全然ピンとこない話なんで」 「んーと、じゃあコレは何なの」 「あ、……」  振り返った葉璃に、握り潰した紙切れを見せる。  実際にモーションをかけられた経験が何度もある葉璃には、自分がそういう対象として見られている自覚は持っていてほしいのだ。  葉璃に夢中になっている男は、聖南だけではない。  好意の種類がほんの少し違うのだろうが、それはちょっとしたキッカケ一つで直ちに聖南の恋敵へと変わってしまうほど危ういものである。  深く関わり、人となりを知り、何か言いたげな瞳でジッと見詰められたら最後、簡単に堕ちてしまう。それは聖南がその身で痛感した事であり、他者は例外だなどとは到底言えない。  まるで別人の姿でうるうると見上げてくる葉璃を、聖南は険しい顔で見詰める。 「そ、それは、この姿だからお兄さんはウキウキしちゃったんですよ。春香のお墨付きですもん。今聖南さんも言ってたでしょ、この姿だから男はほっとかないって」 「そいつウキウキしてたのか」 「えっ? いや……ニコニコ、ですかね?」 「一緒じゃん」  マスクを取ってやり、柔らかな頬を撫でると、誤魔化しきれないと悟った葉璃が少々不満げに言い返してきた。  おまけに小さく首を傾げ、聖南からは視線を外し、目を閉じてその時の事を反芻しているかのようなそれに聖南は我慢ならなかった。 「うわわ……っ」  戸惑いの声を上げる葉璃をぎゅっと抱き締め、腕の中にしまいこむ。  二人きりの密会中に他の男を思い出そうとするとは、葉璃は現状を何も分かっていない。  とはいえ聖南は、大好きでたまらない恋人がどこの馬の骨とも分からぬ者から好意を持たれたという事が気に食わないだけなので、不必要に怒りをぶつけ続けたくはなかった。 「あのな、名無しちゃんだろうが何だろうが、葉璃がナンパされたって事に変わりはねぇんだ。俺は心が狭い。葉璃が俺の知らねぇとこで男と接触したって考えるだけで胸糞なんだよ。どんな姿でも二度と一人でウロウロするな。分かった?」 「……でも……」 「なんだよ」 「コンビニとかスーパーくらいはいいですよね?」 「話聞いてた!?」 「えぇっ!? それもダメなんですか!?」 「ダメに決まってんだろ!」 「うーっ!」  忌々しい紙切れの存在をもう忘れたのかと、再度声を荒げた聖南はハッと我に返った。  狭量過ぎる聖南に驚いた葉璃が上体を引くが、聖南がガッシリと腰を抱いているので離れられないでいる。  葉璃が驚いたというなら、この期に及んでまだ言うかと聖南も同様に驚いた。  いよいよ本気で説教タイムに入らなければ、葉璃はいつまでたっても呑気者のままなのだろうが、またしても聖南の声がひっくり返る事実が判明する。 「あの……メイクしてない状態でもダメなんですか? 騒がれたら困るからって、マスクと帽子は忘れずに身につけてるし、買い物は素早くしてますよ?」 「いや待って。これまでも一人でウロついてたことあったの? それ俺に報告してた?」 「……してない、ですけど……」 「だよなぁ!? 俺知らなかったぞ! マジで何してんの!? いつからそんな自由行動してたんだ!」 「…………っ! い、いや、あの……聖南さんのお家を出て、実家に戻ってからはわりと……頻繁に……」 「はぁ!?」 「お、怒んないでくださいよ! 何が悪いのか分かんないからこわいです!」 「…………っ」  そんなことは分かっている。  怒り続けていては、葉璃が怯えてしまうかもしれない。萎縮して心を閉ざしてしまうかもしれない。触れることを許してもらえなくなるかもしれない……。  聖南だって、いちいち声を荒げたくはない。しかしながら、吃驚発言を繰り出してくる葉璃にも責任があると思うのだ。 「俺は怒ってるわけじゃねぇよ。いや……怒ってるか。あまりにも葉璃が自分を分かってなさ過ぎて、ちょっと引いてるし」 「何でですか……ほんとに意味分かんないです……」 「だよな。だから俺もどうしたらいいか分かんなくて困ってる」 「……すみません……」  葉璃との関係を拗らせたくない聖南には、結局のところ譲歩する手しか思い付かないのだった。  謝らせたいわけではなかった。  湧き上がる嫉妬心をぶつけずにはいられなかっただけで、しょんぼりと耳の垂れた姿は見たくない。  さすがの聖南も、終着点の見えない話はこれ以上続けられないと、細い身体を抱き締めて溜め息を吐いた。 「はぁ……。俺がどんだけ言ったって、葉璃がかわいーのはどうしようもないからな……」 「俺なんかのどこが可愛いんですか……んっ」  腕の中で呟いた葉璃の言葉に、聖南の眉尻がピクリと反応する。  目敏く聞き逃さなかった聖南はふいに体を離し、普段より紅色の濃い唇にチュッと触れるだけのキスを落とした。  だがすぐに違和感を覚え、自身の唇に触れる。 「……メイク落とそ。ベタベタする」 「な、な、な、な……っ」 「「俺なんか」の罰。忘れた?」 「あ……そう、でしたね……。でもあれはほっぺただった気が……」 「どこでもいいんだよ。罰だから」  聖南による葉璃の自己肯定感を高める罰を、彼も忘れていなかったらしい。  自己否定ばかりする葉璃を優しく戒めるためのこれは、かなり効果があった。  この罰を決めて以来、自身を否定するような発言をなるべくしないように葉璃自身も気を付けていたと捉えて良い。 「あっ、聖南さん……っ」 「ん?」 「メイク落としたらすぐお風呂って感じですか……っ?」 「そうだな。てかバスルームでやっちまおうと思ってるけど」  葉璃の手を引き、バスルームまでの広い室内を歩いていると若干の抵抗に遭う。  おとなしく連れられてはいるが、「あの、あの」と何か言いたげに手を強く握られた。 「どした? ……葉璃のことだからどうせ、準備したいから一人で入りたい〜とか言うんだろ。ダメダメ。今日は俺が全部する」 「あっ、それはちょっと遠慮したいんですけど……! ていうかそれとは違くて、あの……っ」 「ん、何?」  わりといつもの事かもしれないが、何やら歯切れが悪い。  いよいよ立ち止まった聖南が振り返ると、葉璃もピタッと動きを止め、またもやうるうると見上げてきた。  聖南の心に緊張が走る。  他にも何か、聖南に言うべき重大な事でもあるのだろうかと、知らず身構えた。 「何、なんだよ」 「えっと……あの、……今日は、エッチなことする前に、その……ちょっとだけまろまろしたいなって……」

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