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55❤︎⑧

 見上げてきたうるうる加減が半端ではなかったので、正直拍子抜けした聖南である。  とんでもなくみっともない嫉妬心をぶつけてしまったせいで、「今日は聖南さんとはしたくない」と告げられてもおかしくない雰囲気だった。  たとえ本当にそう言われたとしても、少しばかり残念な気持ちにはなるが葉璃の要望は呑む。  セックス目当てに密会していると誤解されるのは困るからだ。  会いたいと駄々をこねるのは、ただセックスしたいだけではない。  今後に関わる誤解だけは避けたいが、ひとまずその心配は無さそうなので安堵したものの、視線を彷徨わせ始めた葉璃を見詰めていた聖南は素朴な疑問をそのまま問うた。 「……まろまろ? ……ってなんだ?」 「え! まろまろ、分かんないですか?」 「分かんねぇ。初めて聞いた。どういう意味?」 「まろまろっていうのは、んーっと……あっ! イチャイチャ……を、まったりのんびりするって感じです!」 「まったりのんびり、……イチャイチャ……」  嬉々と語る葉璃はとても可愛いが、説明を受けてもあまりイメージが湧かない。  どう受け止めて、どう答えるのが正しいのかも分からない。  ほんの数分前まで、年上の恋人としてあるまじき偏狭さを爆発させていた聖南は、ひとまず葉璃が機嫌を損ねていないという事だけは分かりホッとする。  葉璃の言うまろまろが何なのか具体的には分からないが、イチャイチャすれば良いらしいのでそれは願ったり叶ったりだ。 「……聖南さんはイヤですよね……。こんな子どもみたいなこと言われても困りますよね……。すみません……」 「いや、……」  そうじゃない、と言いかけて口を噤む聖南の手から、ネガティブな恋人はそそくさと逃れようとした。  聖南は困ってもいなければ、嫌だとも思っていない。むしろ『早くまろまろとやらをしよう』と乗り気で、離すまいと葉璃の手を強く握り直し、バスルームに一直線である。  いつまでたっても脱がない可愛らしいベレー帽を取り、静電気で逆立った髪の毛を撫でてやると、葉璃はじわりと俯いた。 「俺、聖南さんとお話するの楽しいから、なんか……ポカポカあったかいところで横になって、たくさんお喋り出来たらなって思って……。一緒に住んでた頃、エッチしない日はそうしてたじゃないですか。お風呂上がりに寝る前のルーティン終わらせて、ベッドに入って、俺が寝落ちするまでひたすら手つないで、その日の仕事の話とかして……って、うるさいですね、俺! もう黙ります!」  ──あぁ……そうなんだ。俺らマジでプラトニックラブじゃん。かわいー……。  ムラムラして寝込みを襲った性に積極的な葉璃もかなりだったが、それとは別の、愛し合う恋人ならば当然の何気ない語らいすらも葉璃は楽しいと語る。  呆気に取られた。『もう黙ります!』までがセットで、可愛いと思った。  日頃わざわざ口に出しはしなかったが、聖南も同じ気持ちだった。  プチ遠距離恋愛が始まり、就寝前の通話が日課となって確かに寂しさは募る。だが時間を定めない通話中は、仕事の疲れが吹っ飛ぶほど、その時ばかりは何も考えないで楽しめる貴重なひとときだ。  ただそれを、聖南は特別な事だと思わなかった節がある。  本当に何気ない、生活の一部と化していた。 「俺は……そういうの意識した事なかったんだけど。葉璃はそれが楽しかったんだ?」 「……はい」 「まろまろ、好き?」 「……はい」 「じゃあ……まろまろする?」 「いいんですか!」  パッと顔を上げた葉璃に、聖南はただ微笑んで見せた。  そしておもむろに、ウィッグを外しにかかる。  春香渾身のギャル系名無しちゃんとは、そろそろお別れだ。 「でもまろまろの仕方が分かんねぇな。マジで意識した事なくて。俺も葉璃と喋ってんの楽しいから、セックス二の次にした事いっぱいあるよ」 「えぇっ!? ウソだ!」 「嘘じゃねぇよ。葉璃の体のこと考えてセックスしない日決めてたじゃん? 二日か三日は空けるようにしてたんだけど、それでも我慢出来ない日もあって。でもさ、ヤる気満々で帰っても葉璃のα波で性欲削がれてたんだよな」 「……そんな日あったんですか?」 「あったよ。てかお忘れかな、葉璃ちゃん。俺は出来ることなら毎日シたい男なんだぞ、葉璃限定で」 「…………っ」  外したウィッグを丁寧にそばへ置き、ぺたんとなった葉璃の地髪をクシャクシャに撫で回す。  素肌の感触でない頬に触れ、ベタつく唇にキスを落とすと葉璃は分かりやすく照れて俯いた。  派手なメイクはお湯でしっかりと落としてやり、風呂上がりのスキンケアも欠かせない。明日の葉璃の肌がバッドコンディションになるのは許せないので、この手の事に不慣れな葉璃の代わりに聖南は張り切った。  彼の望む清いイチャイチャを前に、ふわふわとしたやわらかな心地で葉璃の衣服を脱がしにかかる。 「そうと決まれば、早く名無しちゃんとサヨナラしねぇとな。もうすぐテッペン回るぞ。あと一時間くらいで葉璃は眠くなっちまう」 「もうすでに眠いです。……って言ったら怒ります?」 「ンな事で怒りはしねぇけど、もうちょい頑張れとは言う」 「あはは……っ、聖南さんらしいですね。優しい」 「どこが優しいんだよ。さっきの俺はどう考えても優しくなかっただろ」 「まぁ、……そんな怒んなくても、とは思いましたけど。でも……」  全裸になった葉璃が、恥ずかしがってひと足先に磨りガラスの向こうに消えてしまった。  聖南も急いで衣服を脱ぎ、追いかける。  話してる途中だろ、と聖南が言う前に、数本並んで置かれた備え付けのボトルをしゃがんで眺めている葉璃が、クスクス笑いながら続けた。 「聖南さんがヤキモチ焼いてワァーって言ってくるの……嫌いじゃないんですよね」 「はぁ〜? てか前にもそんな事言ってたな?」 「言ったことあると思います。ヤキモチ焼くのはイヤですけど、焼かれるのは……」 「ヤキモチ焼く彼氏なんかみっともねぇだけだろ」 「えー。じゃあ聖南さん、考えてみてください。聖南さんが女の人にペタペタ触られてたとして、俺がヤキモチ焼くとします。たぶんちょっと半泣きで、他の人に触らせないでくださいって言うと思うんですけど、それは……」 「好き。葉璃の嫉妬は好き」 「へへっ、でしょ?」  いつまでもしゃがんでいる葉璃を、後ろから抱き竦める。珍しい葉璃の例え話に即答した聖南は、今妬かれたわけでもないのに心がギュッとなった。  思えば、以前にもこんなやり取りをした事がある。  その時も葉璃は、怒り狂う聖南に怯えながらも後々に「嫌いじゃない」発言をしていた。  葉璃は賢い。聖南が嫉妬に狂い頭に血が上っている状態の時には、それを言わないからだ。  聖南の興奮が冷め、落ち着いて会話できる頃合いを見てこんな事を言い出すので、非常に質が悪いとも言える。  彼の性格上これを計算して行うなど考えられないので、無意識に人の心をくすぐる天然なところも葉璃の危うい魅力の一つだ。 「……葉璃は?」 「え? わぷっ」  狭量な聖南は毎日何かしらで妬いているような気がするが、葉璃はどうなのだろう。  不意打ちでの嬉しい発言を思い出した聖南は、振り返った葉璃のクレンジングを開始した。 「目閉じて。……今の例え話、現実に見たり聞いたりしたらどうする? マジでヤキモチ焼くの?」 「…………」  問いながら、指先で目元にクレンジングオイルを馴染ませていく。長い睫毛にこれでもかと塗られたマスカラが、頑固だった。  クレンジングは時間をかけてはいけない。オイルを適量足しつつ、手際良く変身を解いていく。

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