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55❤︎⑨

 お湯で流しながら、丁寧かつ素早くメイクを落としていく聖南は、そうしている間にもバスタブに湯を張る事も忘れない。  黙りこくっている葉璃は、自身の例え話が実際に起こったらどうするかを真剣に想像しているようだった。 「……長いな。そんなリアルに妄想しちまって大丈夫?」 「…………」  間もなくメイクを落としきってしまう。  洗顔から全身を洗うまで済ませてしまえそうな長い沈黙は、だんだんと葉璃の唇を尖らせる羽目になっていた。  言わんこっちゃない、と聖南は苦笑する。  どこからどこまで想像したのか知らないが、構わずボディーソープを手に取り、葉璃の体を撫でて泡立てていく。  首筋から肩、両腕へと手のひらを優しく這わせていると、さらに葉璃の眉間が険しくなっていった。  そしてとうとう、想像を終えた葉璃が聖南の腕を掴み、「イヤです」と一言呟いた。 「……イヤです。やめてください」 「ん?」 「触らないでくださいっ」 「ん、……ん?」  ついには腕を払い、一歩下がった葉璃を聖南は呆然と見詰める。しかしそれは数秒の事だった。  思わず吹き出しそうになるのを堪え、白々しく心配する素振りを見せる。 「葉璃? 泡が目に入ったのか? ちょっと見せてみ……」 「他の人を触った手で触らないでください!」 「はい〜?」 「俺はイヤだって言ったのに! なんで……っ、なんで……!」 「…………」  ──始まった。  自身の言い放った例え話を長考した葉璃の、ひとり芝居の開幕だ。  湯気立つバスルーム内で、全裸である事も忘れて聖南を睨み付ける葉璃は、案外と妄想力が豊かなのだった。 「あの人が触ってきたからって、聖南さんまで触ることないじゃないですか! しかもあんな……っ、あんなエッチな顔して!」 「どんな顔だよ」 「エッチの時の顔ですよ! なんか俺のことジーッと見てくるでしょ! あれですよ! あ、あ、あんなのもう……っ、他の人に見せたらイヤです! 俺と付き合う前にハチャメチャしてた人たちはしょうがないですけど!」 「おい」 「うぅ……っ、聖南さんが浮気した……! し、しかも俺の目の前で……っ! 最低です! 別れたいならそう言ってくださいよ! こんなのっ……こんなのヒド過ぎます……!」  途中聞き捨てならない発言に引っ掛かりはしたが、うるうると涙を滲ませている葉璃には聖南の言葉は届きそうにない。  しっかりと想像を膨らませた葉璃が、見事に嫉妬に駆られて感情を昂ぶらせている。  実際に浮気をしたわけでも、これから死ぬまでその予定すら無い聖南は、ただひたすらに嫉妬する葉璃が可愛く映った。  どんな罵倒をされようと、葉璃自身が聖南の怒りに火を付ける事は無い。  ただここまで本格的に妄想し、聖南に浮気されたと心から悲しんでいるところはあまり見たいものではなかった。 「ほら見ろ。言わんこっちゃない」 「へっ!?」  見かねた聖南が、じわじわと現実へと引き戻す作業を始めた。  葉璃は本当に手がかかる。  ぐるぐるし始めると誰かがストップをかけてやらねば止まらない、どちらかというと厄介とも言える性格だ。  だが手のかかる子ほど可愛いを体現する葉璃の事が、聖南はとにかく愛おしくてたまらない。  怒りながら悲しむ葉璃の腕を取り、腰を抱いて捕まえた。当然ながら身動ぎする葉璃からは抵抗されるも、聖南の体も腕もビクともしない。 「そんなリアルに妄想して大丈夫かって言ったじゃん」 「妄想!?」 「すげぇ想像力だな。断片的じゃなくストーリー仕立てとは」 「も、妄想……っ? あれっ?」  険しかった顔付きが、一瞬にして焦りを帯びる。  至近距離で見詰める聖南から顔を背ける葉璃が自身の失態に気付くまで、少々の時間をやった。  絵に描いたような百面相で笑いを誘う葉璃は、「あ……」と何やら気が付いた様子で聖南の胸にしなだれた。 「俺が誰かに触ってたの」 「……はい、さらりと」 「さらりとねぇ……。こんな感じ?」 「えっ、いや、……っ! もっとサラーッて感じで……っ」 「こう?」 「あ、……っ」 「こんな触り方、葉璃にしかしてねぇんだけどなぁ?」 「あっ、ちょっ……! 聖南さん、……っ」  葉璃いわく〝ハチャメチャしていた〟過去の聖南は、必要最低限しか相手に触れた覚えが無い。  今となってはあれこそが、最低と呼ぶに相応しい悪行だったと反省はしている。かと言って後に出会った葉璃ほど大事にしたいと思える者が居なかったので、仕方が無いとも思う。  意味深に腰を撫で回す聖南は、葉璃が慌てふためく様を見てご機嫌に笑みっぱなしだ。  こんな風に触れるのは葉璃だけだと言うと、またしても「ウソだ!」と言いたげに顔を上げたので、ついでに追い打ちをかけてみる。 「で? どんな顔してたって?」 「い、今みたいな! それですっ、その顔です!」 「ふーん。自分じゃ分かんねぇな〜」 「あっ、あっ、あの、聖南さん、手が……っ」 「俺がこんな風に誰かに触ってるの見て、どうだった?」 「だから……っ、すごくイヤだって……!」 「うん、それで?」 「それでって……! 何を言わせたいんですか! 俺はイヤだからイヤって言ってて、触らないでほしいって、……っ」 「つまり?」 「つ、つまりっ? えっ?」  いつの間にか誘導尋問のようになっていると、いくら鈍感な葉璃でも気が付いたようだ。  なぜ聖南が、葉璃も妬く事があるのかと問うたかというと、純粋な疑問ともう一つ。  不意打ちで心を鷲掴みにされたあの台詞を、改めて聞きたかったのだ。 「俺のこと、誰かに取られたらどうする?」 「えっ? あの、……えっ?」 「誰かが俺を奪おうとしてるんだって。どうしよ?」 「そ、そ、その誰かって……」 「ほら、ちゃんと言わねぇと分かんねぇよ?」 「…………っ」 『ムカつきますよ、そりゃ。だって……俺から聖南さんを奪おうとしてくるし……』  レイチェルが聖南に好意を寄せている事について、決して彼女を悪く言わなかった葉璃はずっと、心に不満を溜め込んでいたのだとあの時初めて知った聖南である。  多少面白くないと感じるのは当然の事で、しかしながら葉璃はそれをあえて言わないのだ。  ルイが聞き出してくれた葉璃の素の本音が、聖南にとってどれほど歓喜するものだったかを当の本人に教えてやりたいくらいである。 「もしかして……あの時の……?」 「さぁ?」 「聖南さん!? 俺もうさすがに気付きましたよっ?」 「じゃあ分かるよな。俺が何を言ってほしいのか」 「うーっ!」  逃さない、と視線で圧を送る。  みっともなかった自分の失態を棚に上げ、葉璃に本心を語らせようとする聖南はとても優しいとは言えない。  顔を上げたり俯いたりと忙しい葉璃の顎を取り、見目の良さを自覚している聖南がしっかりと目が合った状態で「ん?」と首を傾けて回答を急かした。  葉璃が、聖南のその顔と仕草に弱いという事を知りながら、である。 「……聖南さんのこと、……」 「うん」 「聖南さんのこと、誰にも……取られたくない」 「うん、うん♡」 「俺から聖南さんを奪おうとしてる人は……誰であってもムカつきます……。俺から聖南さんを、奪わないで……ほしいです……」 「うん♡」  ──これだよ、これ……! 俺はこれが聞きたかったんだ!  今まで微かに感じる程度だった、葉璃の独占欲。  それを言葉にされた時、聖南は膝から崩れ落ちそうなほど衝撃的な感動を覚えた。  聖南が葉璃を独り占めしたいと常日頃願っているように、葉璃にもその欲が育っていたと知って喜ばないはずがなかった。  それどころか、……。 「はぁぁ……♡ なんだこの高揚感。今ならガチで死んでもいい。最高すぎる……♡」 「…………」  ついうっかり、心の声が漏れてしまった。

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