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58❤︎段取り
─聖南─
思い上がっていた。
当事者である葉璃にとっては、〝たった〟半年間ではなかったのだ。
あらゆる不都合や理不尽極まりない言動を多々受けてきたであろう葉璃は、おそらく聖南にもその全てを語らず我慢に我慢を重ねていた。
あの答えが何よりの証拠だ。
彼自身の性分をフルに発揮しその半年間を耐え抜いた、と言っても過言では無かったというのに、あまりにも軽はずみな提案をしてしまった事に聖南はひどく後悔している。
ツラかった日々を回顧する事さえ嫌悪しそうなものを、なぜ、葉璃は二つ返事でOKをくれると断言できたのだろう。
──葉璃の気持ちを一番分かってやれてなかったのは俺だ……。
軽率だったとしか言いようがなかった。
『すみません』は、当然だと思った。
一人で考えたいからと風呂にこもった葉璃を追わなかったのは、聖南も反省する時間が必要だったからだ。
思い出したくもないだろう任務をもう一度だけ担ってほしいという無茶を、葉璃なりに聖南を慮って逃げずに考えてくれただけでありがたかった。
結論など、どうでも良かった。
プランの練り直しなど造作も無い。
悪感情に心を痛めぬよう取り計らうのが、恋人の務めだ。
思いがけず欲を掻き立てられるアクシデントさえ無ければ、反省しきりの聖南は今夜、本当に性欲とは無縁だったかもしれない。
「──マジでいいの? 頼み込むつもりだったって俺が言ったから気を回したんじゃねぇの?」
葉璃は聖南に「優しい」と言うけれど、葉璃もまたとんでもなく優しい人柄なのだ。
二人揃ってお人好しな気質で、こと互いに関してはあり得ないほどに気を遣い合う。
それは決して遠慮からくるものではなく、思い合った上の配慮に近い。
湯に浸かって考えたにしては真逆の結論に不必要な遠慮を感じた聖南は、改めて葉璃の気持ちを尋ねた。
「それは……。そういう思いもなくはないんですけど、ちょっと違くて……」
「うん?」
「聖南さんが俺にそこまで言うってことは、ヒナタの公表のプランはすごく大切な意味が込められてるんだろうなって、思ったんです……」
「…………」
苦しいともがいていた身体を離し、伏し目がちな瞳を覗き込む。
嘘が下手な彼の本心を探るためだ。
「言ってたじゃないですか、聖南さん。ヒナタの公表をする事でレイチェルさんの持ってる切り札を無効化できるって。俺にはまだその意味がよく分かんないんですけど、それ以外にも……周りの人たちへの感謝だったり、騙してたファンの人たちへの謝罪が出来たり、そういう機会を聖南さんは作ってくれようとしてるんだって……そう考えたら、やらないっていう選択肢は無いなって……。すみませんって即答したのは違ったなって……」
「…………」
「ほんとは少しだけ、Lilyのみんなと会うのはこわいんですけどね。だってみんな、かなりその……強い子ばっかりだったから」
時折視線を合わせてくる葉璃から、嘘の匂いは感じなかった。
風呂での熟考はそう何時間も経っていないはずだが、そこまで真剣に聖南のプランについてを考えてくれているとは思わず、場にそぐわないのは承知で三度嬉しくなる。
感謝や謝罪は一度脇に置き、やはり葉璃にとってのネックは彼女達だという事が分かった。
Lilyの面々には、『何が何でも葉璃には直接謝罪しろ』と聖南は強く言ったものの、年始まで引き摺った葉璃の体調不良やその後のハードスケジュールにより、未だそれは果たされていない。
もはや葉璃は謝罪など要らない、出来れば会いたくないという心境であって当然だろう。
しかし聖南は、このプランを葉璃に説明する際にきちんと不安は拭ってやるつもりだった。
様々あった〝強い子〟ばかりの中に、葉璃一人で向かわせるはずが無い。当時レッスン場にたった独りで向かっていた葉璃の心情を思えば、そこだけは徹底したかった。
「そうだよな。あれから会わずじまいだもんな。そりゃ怖えよ。ただ……ヒナタでステージに上がるとなると、Lilyとしてパフォーマンスをこなさなきゃなんねぇ。つまりレッスンからまた入ることになるんだ。その時は絶対に一人では行かせねぇけどな。恭也かルイに同行頼もうと思ってるし、時間が合う限り俺も行くつもりでいる」
「……はい、出来ればそうしてもらえると助かります」
葉璃がそう言うとは、やはりその点が一番の不安要素だったに違いない。
聖南は、なぜか正座で対峙している葉璃の両手をぎゅっと握った。
少々責任を感じ過ぎている卑屈な恋人をいじらしく思いながら、ここは先輩として言い聞かせねばと語気を強める。
「あとな、葉璃。葉璃は自分のことだけ考えてていい。周りのヤツらへの感謝はともかく、ファンへの謝罪なんかは葉璃がする事じゃねぇよ。そもそもこの任務は事務所間の話し合いで決まった事なんだ。Lilyの人気と体面を保つためにな。それを引き受けただけに過ぎない葉璃が矢面に立つことはねぇ。そこは事務所がけじめをつけるとこなんだ」
「で、でも……」
「真実を知っても、ファンは騙されたとは思わねぇよ」
「そんなの分かんないですよ、……分かんないです……」
ヒナタでのパフォーマンスをOKしてくれた葉璃だが、負わなくて良いプレッシャーに押し潰されたくないというのがありありと見て取れた。
デビュー当時のCROWNですらあり得ないほどの仕事量をこなしている葉璃達は、まだデビューして二年半である。そこへさらに無茶な任務を課され、心身を追い詰められた。
そんな葉璃に、何もかもを背負ってステージに立てなどと言うはずがない。
聖南のプランを深読みし、その中には当然それも組み込まれていると思われるのは心外でしかない。
この件を知る誰もが、きっとそう言う。
周りへの感謝というのはおそらく二人の仲を知る者達を指しているのだろうが、そこはまぁいい。だが〝謝罪〟に関しては、葉璃がそこまで思い詰める事はないのだ。
業界もファンも、〝ハル〟に驚きはするだろう。
どういう経緯でそうなるに至ったのか、詮索は必至かもしれない。
だが聖南が思うに、公表後の反応が怖いと嘆く葉璃は深く考え過ぎている。そして一番重要な事を見落としてもいる。
「まぁ、俺はたしかにいいように言い過ぎたとこはあるかもな。ヒナタがあの〝ハル〟だったんだぞ、すげぇだろ、って自慢してやりたいのは俺の自己満かもしんねぇ。だけど色々鑑みても、Lilyが復帰するにはヒナタを公表しとかねぇと他でもないファンが納得しねぇんだ」
「……どうしてですか。ヒナタはSHDのレッスン生だっていう話じゃ……」
「そうなんだけど、ヒナタとして収録した一発目の放送の後から、問い合わせが何件もきてたらしいんだ」
「えっ?」
「ヒナタが業界で注目され始めてるって話はしたことあったと思うんだけど。SNSでもLilyのファンはサポメンのヒナタの話題で持ちきりだったんだと」
「えぇっ? そ、そうなんですかっ?」
「あぁ」
驚いた葉璃の大きな瞳が、こぼれんばかりに見開かれる。
任務をこなす事に必死だった当の本人には、思いがけない情報だったらしい。
普段から『雑念渦巻くSNSは極力見ないこと』を信条にしているCROWNの三人は、葉璃と恭也にも同様にそう伝えており、これまでもそういったものの閲覧はおろか昨今では珍しい公式での活動さえも無かった。
時代の流れに乗るべき頃合いでもあるので、ETOILEに限ってはルイ加入のタイミングで解禁しようと聖南は考えている。
しかしそれに積極的に触れてこなかった聖南もまた情報弱者で、社長からの報告が無ければ知り得なかった。
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