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#1
「さゆりさん、内定祝いありがとうございます。働き始めたら、毎日着てきたいです」
バイト先――高級ラウンジ「アゲラタム」の店主であるさゆりと、アパレル業界で働いている愛顧客が連名で送ってくれたセミオーダースーツ。
普段着も彼が作ったものやデザインしたもので、どんな服よりも着心地がよく、一枚でお洒落に見える。
それもそのはずだ。「創作意欲をかき立てる存在に来てもらうのが一番だから」と値札を見てびっくりしてしまった商品を無償で与えてくれる。
就活のため一時休業を申し出た時に、「いつでも電話かメールしてね。何があっても私はあなたの味方だよ」と励ましてくれた彼女は、黒葛原光波 にとって母親のような存在だった。
『喜んでくれて、本当に嬉しいわ。スーツは何着あっても困らないかなと思って』
軽やかな笑みが鼓膜を揺すぶる。ふんわりとした声に、心が温かくなる。さすが、細かいところまで気が付く人だ。
『後からメール送るわ。日時が決まったら、復職するかどうか考えてくれると嬉しいな』
「わっ、わたしがいてもいいんですか?」
自分を必要としてくれるのが嬉しくて、つい口元が緩んだ。
『何言ってるのよ。お客さんからよく聞かれるわよ。「いつ復帰するの?」って』
「じゃあ、考えておきますね」
笑みを浮かべ、さっきよりも弾んだ声で言うと、切電した。リュックを背負い、床の間がある離れに向かう。
あの時、女性よりも美しく心の拠り所になる存在になると決めたのだから、最後まで貫き通すまでだ。
復帰すれば、目減りしていく貯金額に怯えなくて済む。自己有用感も得られて、自分は生きていいのだと実感できる。卒業までぼうっとして過ごすなんて考えられない。
母屋と離れをつなぐ廊下を歩き、障子を開いた後、重たい防音ドアを開いた。扉とは反対側に書院造りがあり、日向ぼっこができる廊下とつながる書院障子。余計なものは一切出さず、壁面収納にすべてしまってある。
奥へと進むと、しっとりとした冷たいビニールの畳の感触が足の裏から伝わってくる。ここは、月城の聖域 である。
床の間の対面に置いてある姿見の前に立ち、リュックを下ろした。一つため息を吐き、着物の端切れで作ったカバーを外す。
黒々としているくせっ毛は、以前よりも艶が出て、指どおりがいい。アルバイトを始める前は極貧生活で、満足に食べられなかった。パサパサだったため、オイルを塗って下地の色を変えるなどをしてごまかしていたが、顔色もだいぶ悪かったと思う。
そんな光波を見て心配になったのか、週に1回同伴出勤してくれる愛顧客のおかげで、飢えずに済んだというのが本音だ。店と折半だがお金ももらえる。
アゲラタムでは幻の客とも言われる彼と、二人きりの時間を過ごせるのは、ちょっとした愉悦感と罪悪感が入り交じって、約束の日が待ち遠しかったのだ。
大抵の客は苦学生という面を見てパトロンになってくれるのだが、彼は商品としてではなく自分自身を見てくれているような気がした。
二重で黒目がちの瞳と、甘いマスクのせいで年齢をしょっちゅう間違えられる。そのあどけなく無垢な様子は、男性の庇護欲や征服欲をかき立てられるのだろう。
シャツのボタンを一つずつゆっくりと外し、肩を露出させる。触り心地のいいきめの細かい柔肌があらわになる。
「あっ……」
肩らへんから下に伸びている跡を無意識のうちに撫でていると、視界の端に映った滑り落ちていくシャツ。
何もまとっていない上半身に、障子から降り注ぐ柔らかな光が濃い陰影をつける。
(聡さんはもっとしなやかでがっしりしてた)
細身で着やせする長身。室内競技で鍛えた身体にすっぽりと包まれる感覚が好きだ。
ところどころ消えかけている縄痕 が、唯一の月城との契約――つながりとも呼べる。
今更付き合ってどうするのだろうか。束縛されるのは嫌いだし、すべてを明け渡すのはまだ不安だ。でも、彼を誰かに取られたくない。
小さく首を横に振った。自分以外の奴隷がいようがいまいが、自分には関係ない。どす黒い靄が胸の中を侵食する不快感を押し殺す。
知らないフリをして、身体のあちこちを這う芸術的な縄の跡を見つめる。それだけで、身体の芯が疼き、汗がにじむ。蔓か蛇のように巻き付き、淫らな模様を柔肌に残している。
『縄を見るだけで、興奮しているのですか?』
飾り縄や吊りなど器用にこなす長い指先を思い出し、恐る恐る触った指先の感触でさえ、勝手に身体がびくりびくりと跳ねる。
痛いほど尖った乳首がいやらしい。いじくり出したら、止まらなくなってしまうだろう。彼のプレイルームで淫らな遊びをしているなんて、悪い子だ。見つかったら、何をされるのだろうか?
「仕置き」と称されて、焦らされて、縛られて、全身を性感帯にされるのだろうか。それとも、そのまま、放置されるのだろうか。
(聡さんになら、何をされてもいい)
引き締まった太ももに伸びる縄の跡も白磁のような肌も変わらない。
リュックから卒業旅行のかくし芸で使う黒色のワンピースを取り出し着ても、現役時代とさほど変わりない。口角を上げた。
(ちょっと筋肉がついたかな?)
これなら、最後までごまかしきれる。
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