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第7話 鳥兜

 「お持ちしました。」  格子越しに黒塗りの筥いっぱいに重ねた紙を前に灰青の狩衣が平伏していた。柾木である。 「早かったな。」 と言ったのは皮肉ではない。 ー紙が欲しい。ーと用触れにきた柾木に洩らしたのは、ほんの三日前だったからである。この時代、紙はまだ貴重品であり、頼隆は領内の山に楮を植えさせ、紙漉きを推奨して、領内の財政の一部を賄っていた。そのため、紙を手に入れるのは、そうそう容易ではないことも知っている。 「お国元より、買い付けさせていただきました。」  頼隆の胸中を知ってか知らずか、柾木はしれっと述べた。 「もちろん、対価は払ってございます。が、頼隆さまご所望と申しましたら、金は受け取らぬと言い始めまして---いや、難儀いたしました。」  結局は、相場より安いが、大量に買い付けて預かった金を渡してきた---と柾木は付け加えた。 「ご家中の方の耳にもすぐ届いたようで---、押し掛けてきたご家来衆にしつこくご様子を訊かれました、息災でおいでなのだな---と何度も念を押され---いやぁ、あんじょう致しました。」 ーまさか---いらぬことを---。ー  頼隆の懸念を一瞬にして察知したらしく、柾木は、表情も変えずに続けた。 「多少のご不便はおかけしておりますが、丁重にお世話させていただいております。---と申しておきました。我が殿とも、よう言葉を交わしておられると---」 「それは余計だ。」  成る程、執事の柾木自ら出向かせたのは、余計な詮索をさせないためか、と思えば合点がいく。だが、次の言葉に頼隆は、ぴくり---と顔をひきつらせた。 「お兄上---幸隆さまにもお会いして参りました。」 何かを言いたげな頼隆を制して、柾木は続けた。 「大層、ご案じめされてはおりましたが、大事ない、とお伝えしておきました。」  ほぅ---と頼隆の口から安堵の息が漏れた。 「兄上は、ご健勝であったか?」 「少々、お痩せになられたようですが、お健やかなご様子でございました。」 ー良かった。ーと頼隆は呟いた。 少なくとも、兄だけには、この有り様は知られたくない。もし漏れたりしたら--- ー生きてはおれぬ。ー  頼隆が我知らず唇を噛んでいるのを冷ややかに見上げながら、柾木は塗り筥を前に差し出した。 「殿の御用で伺いましたゆえ、他言は無用にございます。」 ー誰に言えるというのだ。ー  忌々しいにもほどがある。が、使い--というのが、引っ掛かった。 「戦か---」 「御意にございます。」 「相手は---金井あたりか。」 「さすがでございますな。察しがおよろしい。後詰めに一部隊、派遣していただくお願いをしてまいりました。」  金井の領土は、那賀の北東に位置する。佐喜とは険しい山塊で隔たっているが、北からの侵略を警戒するなら、先に潰しておくのが、上策だ。白勢の部隊を徴用するのは、山越えを見越してのことだろう。  だが、しかし少々腑に落ちなかった。金井の家中は比較的、まとまっているはずだ。兵力も白勢よりは多い。九神ほどではないが、そこそこの勢力を保っている。  わざわざ攻め入るとなれば、損失も少なくはない。この時期にそんな兵力を削る戦は、決して得策とは思えなかった。  首を傾げる頼隆に、あぁ---と思い出したように柾木が付け加えた。 「先年、先代さまが亡くなりましてな。お世嗣ぎ様も先頃、みまかられたとか---。ご家中が割れておりまして、その仲裁に---と御出馬を求められました。」  そんな筈はない、若い壮健な領主だったはずだ---と思い巡らして、頼隆はふと思い至った。 「急な心の病でか---?」 柾木は、無言で頷いた。 「そなた、盛ったな---?」 「人聞きの悪い---」  柾木は口の端で小さく笑った。 「私ではござりませぬ。葉室めの家中のものが仕組んだと、もっぱらの噂でございます。」  ーそう仕向けたのは、お前であろう。ー腹の中でそう呟く頼隆に、白々しく柾木は言った。 「葉室さまのご領内には、鳥兜も多く自生しておるようでございますから---」 「策士め。」 「戦の世にございますれば---」  しれしれとした柾木の顔は、実に不愉快だった。細面の表情の乏しい、能面のような顔。頼隆と違うのは、歴戦の雄らしく色黒で、尖った鷲鼻と細い目には狡猾さが滲み出ている。が、直義には忠実で、どんな汚れ役でもやってのける。 ー傅役でございますれば---ーと直義に言っていたのを聞いたことがある。年の頃は四十絡みだが、今少し老けて見えるのは、何やら複雑な前歴のせいだろう。二十代で九神の先代に拾われるまでの、その素性はわからない。が、有識故事に明るく腕が立つ---ということと都訛りから、先に滅んだ政権の関係者ではないか---との噂はあった。  だが、なにぶんにも頼隆には、どうも好けぬ気配があった。  何より、自分を『御前様』と女扱いの呼称で呼ぶ。 ー殿のご内妾にございますから---と、一番認めたくない事実を突きつける。 ーなんと忌々しい奴か---ー  格子を開け、にじり入ってきた近習の手から塗り筥を受け取ると、近習は早々に牢を出で、また鍵が掛けられる。  その様をじっと身動ぎもせず、見張っているのだ。 「では----」 と言って去ろうとする柾木に、頼隆は、珍しく声を掛けた。いや、初めて声を掛けた。 「待て。」 「は---?」 「訊きたいことがある。」 呼び止められて、柾木は再び、怪訝そうに、だがーやはり---ーと言いたげな目で、頼隆の前に座った。近習の少年を目線で下がらせ、居儀を糺す。 「何なりと---」  頼隆は、ゴクリ---と唾を飲み、腹の中で渦巻いていた疑義を口にした。 「あの戦を仕掛けさせたは、そちか。」 「違いまする。」  まぁ想定内の反応ではあった、この老獪な男が、そうそう正直に事態を白するわけもない。が、次に続いた言葉は、頼隆の想像とは異なっていた。 「私は、『猛禽は、野にあれば脅威でも、飼い慣らせば、良き相棒となる。』と申し上げただけに過ぎませぬ。」 「猛禽?---我れがか?」 「左様。」  柾木は、合点がいかぬ顔の頼隆をじっと見た。 「御前様は、鶴をご存知でございますか?」 「鶴くらい知っておる。優雅で美しい、目出度い鳥ではないか。」 「なれど---」  柾木は、ふ---と言葉を切り、頼隆の全身に目を走らせた。 「その性は凶暴にて、鋭い嘴と蹴爪にて獣を襲い、喰らいます。」 「そなたは、我れがその『鶴』じゃと申すのか---?」 「左様。」  面食らって言葉を失っている頼隆を捩じ伏せるように、柾木は続けた。 「鷹でも鷲でも、鳥を飼い慣らすには、まずその下羽根を折って、遠くまで飛び立てぬように致します。その後、籠にて躾けながら慣らすのです。---お若い頃の殿に、そのようにお教えしたことがございました。」  頼隆は言葉を失った。 ーつまりは、あなた様は、『籠の鳥』ーと明言されたようなものだった。 「随分と、豪奢な鳥籠じゃな。」  精一杯の皮肉にも、柾木の表情はぴくりとも動かなかった。 「鶴を生け捕る罠を張るのも、容易ではありませなんだ。---何せ、傷をつけぬよう、慎重に仕掛けねばなりませなんだゆえ---」 「黙れ!」  語気が荒くなった。   「さぞ、お恨みでしょうなぁ---」  淡々とした声音で、柾木は打ちひしがれた頼隆の背に声をかけた。 「私とて、殿があそこまでなさるとは思いも致しませなんだ---。」  それは嘘ではなかった。戦場での直義の余りの暴挙にはさすがに、内心、茫然としていた。が、止めることは出来なかった。 ーそこまで惚れておいでなのか---。ー  柾木は、頼隆に怨まれることを承知で直義の暴挙に加担することを選んだ。  そこには、柾木なりの理由もあった。 「惚れさせた、あなた様の罪でございます。」  柾木のきっぱりとした言いっぷりに、頼隆は怒りを通り越して、驚いた。 「なんだと---?!」  詰め寄る頼隆に、柾木は事も無げに言った。 「殿は、一途な方にございますれば---。」  九神直義は、軽々に恋に遊べる男ではない---それは、城中に絢姫以外の側室の影があまり窺われないことからも、薄々とは判る。 「不器用も、誠実のうちとお赦しめされよ。」 「赦せるか---!」  わかっては、いる。夜毎の営みも、ある種、必死過ぎる感さえある。女なれば、感動すら憶えるかもしれない。 ーだが、我れは男じゃ。女ではない。ー  同じ男に組み敷かれるなど、到底受け入れられる仕儀ではない。 「いっそ、一服盛ってやりたいくらいじゃ。」 「お出来にはなりますまぃ---。」   柾木は少しばかり口の端を歪めて無表情なまま、笑った。 「そなたが許さぬ---か。」 ーそうではないが---。ーと柾木は胸内で呟いた。が、何も云わず、恭しく頭を下げ、その場を辞した。 ーまた、頑なになられては、厄介だ。ー  さしあたり、庭先の鳥兜は全て抜かせて焼き捨てておかねば---と、柾木は中間を探しに表に足を早めた。

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