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第11話 山梔子
床一面に、波の花のごとく拡がる紙の傍らで、頼隆は、丸窓にもたれて座っていた。ぼんやりと天井に描かれた百草を眺めていた。
その中に一羽の鳥が紛れこんでいた。
ー孔雀---か。ー
鮮やかな羽根の色は確かに花にも見える。
ふと、あの日の酒宴の前に、直義の自室で金色の羽根をした鳥を見せられたことを思い出した。
『金糸雀という。南変人からの贈り物じゃ。大層、美しい声で啼くそうだ。』
その綺麗な鳥は、鳥籠に一羽きりで、なんだか寂しそうに見えた。
『番はおらぬのですか?』
と訊くと、直義は黙って首を振った。
次に何処ぞの戦場で顔を合わせた時に、
『あの鳥は?』と訊くと、『死んだ。』と答えた。
『良いのじゃ。儂はもっと美しい、良い声で啼く鳥を見つけた。』
『なれば、機会があれば見せてくだされ。』
と言った頼隆に、不思議な笑みを浮かべて『捕まえることが、出来たらな。』
と言った。
ーまさかな---。ー
ふっと小さく笑って、頼隆は、目の前の紙の海をもう一度見やった。そして、大きく息をついた。
ーあの男は、いったい---ー
ぶるぶると頭を振って、もう一度、机に向かい直した。
「ずいぶんな散らかりようですなぁ---」
呆れたように格子の外から声をかけたのは、柾木だった。この半端な刻限に顔を見せるのは、まずもって無いことだ。
「何かあったのか?」
と問うと、苦笑いが珍しく柾木の顔に浮かんだ。
「何も---。弥助が御前様の様子がおかしい---と言うて参りましたので-----」
今度は、頼隆が苦笑いした。弥助は、頼隆の世話をしている近習の少年のひとりだ。ここのところ、ある事に熱中しすぎて食事もろくに取っていない事を思い出した。
「大事ない。少々取り込んでいただけだ。」ーでしょうな---といった風に柾木は部屋の中に目をやった。
「絵図でございますか---」
「徒然過ぎるのでな、己のが戦をさらっておった。」
「さすがは、白勢のご当主。」
「皮肉か?」
「いいえ---」
柾木は、にんまりと笑った。頼隆は知らないが、白勢頼隆の戦ぶりは近隣には実によく通っている。正攻法と奇策とを巧妙に使い分ける手腕はなかなかのものだ。
見栄えはともかくも、ーあの腕、欲しいーと思う領主は少なくはない。柾木が直義の暴挙に加担した理由は、そこにもあった。
ー余所と組まれては厄介。ー
それは、軍師も努める柾木の偽らざる本音だった。
「そうだ、良いところへ来た。」
頼隆は、かっ---と目を見開くと、柾木に食い付かんばかりに迫った。
「九神の戦の記録はあるか?九神に限らず、昨今の戦に関する記録が欲しい。」
一瞬、その、気迫に後退りそうになったが、らしいといえばらしい、その要求に淡々と応じた。
「殿のお許しがあれば、お持ちしますが---」
思わず節くれだった指が襟を正していた。
「なんとなさいます?」
「流れを読む。」
一言だった。兵力-布陣-采配----見れば、領主の力量がわかる。九神の力量、他の領主の力量---誰が生き残るか、わかる。
ーわかれば、その先は---ーまだ、五里霧中だが、一人籠の中に取り残されていたくはなかった。
ー籠の中からでも、世は動かせる。ー
そう思いたかった。その心中を察してか、柾木は、一言残して、その場を去った。
「御前様は、やはり男でございますなぁ---」
「当たり前だ。」
後日、要望どおり、山のような文書が頼隆のもとに届いた。が、意外だったのは、その中の三分の一が国内の政(まつりごと)に関する文書で、各国から調べ上げたものが届けられていた。
「戦ばかりが、政ではありませぬ。」
柾木は不思議そうな顔の頼隆に平然と言った。
「頼隆さまには、内政が不得手なところがおありになりますから---」
「----。」
見抜かれているのが、やや口惜しいが、反面、よくぞこれだけ調べ上げたものだ、とも思う。ただ、墨の色がずいぶんと新しい。
「写しか---。そなたが、写したのか?」
「左様。原本は書庫にございます。」
「多忙であろうに、済まぬ---。」
尋常ではない文書の量に、頼隆は初めて頭を下げた。この男なりの『誠意』を初めて見た気がした。
「なんの、私にもよい思案の種をいただきました。」
丁寧に頭を下げる柾木に、この度ばかりは感服した。
「軍師とは、そういうものか---」
柾木はこくり---と頷いた。
『頼隆どのは国主には向かぬ。』---というのは、あらかたの見方としてあった。美し過ぎる、崇高過ぎる、世事に疎い---というのが、だいたいの見解だったが、柾木の見方は違っていた。
ー怜俐過ぎるーというのが、まずあった。余地の無い冷徹な采配は、時に自分も部下をも追い詰める。---だからこそ、あの直義の暴挙が成ったのだが---
今ひとつは、ー独りでは立てぬーということだ。確かに頼隆と兄の幸隆は、互いに相手を慕い、よく支えあっていた。だが、それは、ある意味、『不自然な関係』に柾木には見えた。幸隆は頼隆をなんとか守ろうとしていたが、頼隆は守られることより幸隆を押し上げることを考えていた。男女なら、或は兄弟の序列どおり幸隆が当主ならば不自然ではない。立場が逆であったことが、兄弟の不幸だった---と柾木は思っていた。
頼隆は、君主の直義に負けず劣らず、一途な性と柾木には思えていた。嫁を娶らないのは間違いなく兄のためであり、ある意味、頼隆は、兄以外の人間の「愛し方』を知らない。決して結ばれることのない、虚しい恋に、いずれ頼隆は窒息してしまうだろう。
ー早いうちに裂いて差し上げるのも、慈悲ー
柾木は、直義から幸隆-頼隆兄弟の様を聞き、また密偵の報告、戦場での有り様を己のが目で確かめた後、そう結論し、君主-直義の無謀な恋を肯定していた。傍目から見れば立派に『横恋慕』だが、頼隆にとっても『救い』だと柾木は確信していた。
直義の愛を受け入れられるようになれば、頼隆は『独り』ではなくなる。自分が主たる『欲』がさほど強くないのは、幸い---というか、ーだからこそ、君主には向かない。が、それが良い。ーと柾木は思っている。仰ぎ見る相手が幸隆から直義に代わるだけだ。
だが、幸隆と違って、直義には『枷』が無い。頼隆が己れ自身以外、何も持つ物の無い今、触れ合うことを阻む物は何も無い。直義は頼隆自身が好むと好まざると、せいせいとその腕に頼隆を抱き締める。頼隆自身が気付きもしていない『温もり』への渇望は癒される。
ー頼隆様には、殿は殺められぬ。ーそれは、後朝の様を見ればわかる。頼隆自身は知らないが、ー自失した後、いつも眠りの中で儂の胸元にうずくまっている---ーと直義が相好を崩して言っていた。
ーお寂しかったのでしょうな---。ー
直義の惚気に、柾木にはそれしか言い様が無かったが、同時にー殿は頼隆様の拠り所になられたーとの確信を得た。頼隆は、一応は成人した男子ではある。恋に摺れた女やその辺の人恋しいばかりの童とは訳が違う。その頼隆が無意識であれ、身を『委ねて』いるのだ。本心から拒んでいるのなら、あり得ない。
ーまぁ、いずれ----ー
己のが本心に気付いた時には、賢過ぎるほど賢いだけに眼を反らすこともできまい---と柾木は踏んでいる。
ーその時までに、しっかりと学んでおいていただかねば---ー
頼隆の居室を辞して、こほこほ---と軽い咳をしながら、廊下を戻る柾木の傍らで、山梔子の真白い花が甘い香りを漂わせ始めていた。
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「精が出るのぅ---」
半ば呆れ気味に唇を歪めながら、直義が頼隆の居室に入ってきたのは、はや暮れも八つ時になろうとしている頃だった。
燭を灯し、熱心に何かを書いている頼隆は顔を上げようともしない。
「今宵は評定ではなかったのか?」
机に目を落としたまま、愛想なく言葉を投げ掛ける頼隆に少々、むっ---として直義は答えた。
「とうに済んだわ。」
「そうか---」
頼隆はようやく筆を置き、直義の方に向き直った。
「あの鳥---」
「ん?」
「そなたが、見せてくれたあの美しい鳥は、どうして死んでしもうたのじゃ?」
唐突な問いに直義は少々面食らったふうであったが、あぁ---と小さく呟いて言った。
「小姓が水やりのために開けたら、籠から逃げてな。---追っている間に烏に襲われてしもうた。追い払ったが、間に合わなんだ。」
「そうだったか---」
ー籠の中でしか生きられない鳥---だが、自分は違う。ー頼隆は、今一度、訊いた。
「あの後、戦場で他の鳥を見つけた---と言うておったが、捕まえられたのか?」
直義の口元がにたり---と笑った。
「捕まえた---が、なかなか懐かん。」
やはり、そういう意味だったか---と頼隆は眉をひそめた。
「猛禽は人になど懐きはせぬ。そもそも籠にて飼おうというのが、無理なのだ。」
「そうかのぅ---」
直義は、頼隆の髪に指を絡めると自分の側に引き寄せ、唇を軽く重ねた。
「儂は狭い鳥籠が気の毒ゆえ、出してやろうと思うたんだがなぁ--」
「どういう意味だ?」
「お前に佐喜は狭かろう。今少し広い空を飛ばせてやりたいと思うたでな。」
「この籠のほうが、余程狭かろう。」
頼隆が、むくれるのを宥め透かすように、直義はその頬に唇を寄せた。
「まだ雛鳥ゆえなぁ---烏に襲われてはかなわん。外には蛇も狢もおるしのぅ。」
例えば、葉室---とでも言いたいのだろうか、頼隆は、そっぽを向いて言った。
「だとしても、用意周到に過ぎぬか?これだけの部屋、すぐには出来ぬ。」
「気に入らなんだか---」
直義はカラカラと笑い、そして少し寂しかせそうな顔をした。
「ここは、元々は、儂の母のおった部屋でな。無論、格子は無かったし、調度も少し変えたがな。」
「そうだったか---済まぬことを言うたな。」
ー誤解であったか---。ー頼隆は、ほっ--と胸を撫で下ろし、急に自分が恥ずかしくなった。
頼隆のばつの悪さを和らげるように、直義は付け足した。
「儂の母は、正室と折り合いが悪くてのぅ--奥に入るのを拒んだゆえ、父がこの部屋に住まわせた。」
頼隆は、へ?というような顔で直義を見た。
「そなたは嗣子であったはずだが?」
「正室に子供があるとは限らん。その子が嗣子になるとも限らない。」
直義は続けた。
「正室の子は、早うに亡くなっての。---ゆえに儂が跡を継いだ。」
九神も先代の頃は荒れていた---と誰かが言っていたのを思い出した。
「要らぬことを訊いたな---済まぬ。」
「良い。」
言って、直義は頼隆を抱き上げた。
「この部屋が気に入らぬなら、いずれ新しい部屋をやろう。」
「新しい城を作るのか?」
察しがいい---と直義はクスリ---と笑った。
「そろそろ---な。お前も来るのだ。儂の側で羽繕いでもしておれ。」
「今度は格子の無い部屋が良い。」
「それはお前次第だ。」
直義が燭の灯を落とし、弓張月の朧な光だけが残った。
頼隆はふと淡い明かりの下で、自分に『番』はおるのだろうか---と思った。
ただひとりで啼いていたあの鳥---あれは誰かを呼んでいたのだろうか---。誰にも届かない唄を謳い続けることに疲れて、空に逃れて---。
その俊巡を、直義の暖かい唇が遮った。
軽く啄むように口づけられながら、その温もりの中にくるまって、眠った。
山梔子の花の香りが一段と濃く甘く、二人を包んだ。
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