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第14話 二人静

 かん----と軽い音がして、木刀が弧を描いて宙に舞った。少年が悔しげにすっ---と立つ影を見上げた。 「それまでか?」 淡々と見下ろす頼隆は汗ひとつかいていない。 「次---!」 鋭く発する声に、今ひとりの少年がバネに弾かれたように斬りかかるが、ふっ---と避けられて、軽くいなされ、簡単に鍔もとを叩かれ、つんのめる。 「お強いですな、やはり---。」 柾木は、平然と立つ、頼隆の端正な横顔をまじまじと見た。先ほどから、寸分たりとも、表情も変わらない。 「小姓どもでは相手にならぬか---」  直義は、やはり、な---と言わんばかりの苦笑を漏らした。さすがに『鬼神』と噂されるだけのことはある---とひとりごちに呟いた。 「それにしても---」  柾木は、少年のひとりに、何やら耳打ちして、直義の方に向き直った。 「よくお許しなされましたな---。」 「ん?」  直義が口元ににやっと笑みを浮かべた。  木刀とて、立派に凶器である。しかも、屋外でそれを握ることを許した---となれば、かなりの進捗だろう。 「落ちましたか、お懐に。」 「落ちた。」 直義は、きっぱりと言い切った。 「あやつは、気付いてはおらぬがな。」  そう言って、直義は頼隆の無造作に束ねた髪に陽光が照り映えるを眩しげに見やった。  直義が頼隆を囲ってから二年余りが過ぎようとしていた。  その間、九神は勢力を拡大し、より強固な国造りのため、新たな所領の検分、城の増改築、人事の差配など、直義が城を開けることも多くなった。  当初は、日が開こうが、居室を訪れると嫌な顔をしないまでも、かなり冷やかな態度を取っていた頼隆が、先頃から少しずつ変わってきていた。  一月近く城を開けた後に居室を訪れた時には、頼隆は眼を輝かせた。見間違いなどではなく、微かに頬を上気させ、口元には柔らかな微笑みが浮かんでいた。 ー寂しかったか?ー と、つい尋ねると、返ってくる言葉はやはり、 ーまさか。---せいせいとしておったわ。ー とつれないが、艶やかな声音がそうではないことを露呈させていた。  褥でおずおずと自ら口づけをねだるような素振りをみせ、肌を擦り寄せるような仕草をみせたことは、決して本人には言えないが、直義は内心密かに、驚きさえ感じた。  そして、耐えるばかりであった愛撫にも、身体を重ねる日々が積み重なるうちに、躊躇いがちにだが、応え始めていた。  直義の首筋に手を回し、髪に指を潜らせて掻き抱くなど、当初であれば、一瞬たりとも考えられなかった。夜具をひたすら握りしめて耐えるばかりだった頼隆が無意識に脚を絡ませ、誘うように身をくねらせる---信じがたい程の変容に、直義は内心、狂喜乱舞した。 ー可愛い---。ーの一言に尽きていた。 ー欲しいのか?ー  焦らすだけ焦らして、煽るようにそれを太股の付け根に押し付けると、恥ずかしげに耳まで赤くして、俯いて、こくり---と小さく頭を下げる。  そこから先は、言うまでもない。  直義に迫られ、ーいぃ--ーと甘い吐息まじりに小さく囁く声も、ーい---イク---ーと半泣きで身を震わせてすがり付く様も、この上なく愛らしく、儚げで可愛いらしかった。  だが、その頼隆が、床の中で初めてねだったのは、らしい、と言えばらしすぎる事だった。 『劍の稽古がしたい。身体が鈍ってかなわん。』  真剣にすがるように見詰められては、にべもなく『否』とも言えず、考えあぐねて条件をつけて許した。  ひとつは、庭先で柾木や直義の目の届くところで、木刀のみ---の稽古に限ること。 ー今ひとつは----。ー  ぐい---と体を返して腹の上に乗せ、直義は戸惑う顔を覗き込んで命じた。 ー自ら納めよ。儂を満足させたら、許す。ー ーそんな---そのような恥ずかしいことなど--ー   頼隆はさすがに赤面したが、直義に『稽古をさせて欲しいのだろう?』と迫られ、観念して受け入れた。  頼隆は羞じらいながら自ら秘奥に直義の『雄』を導き、納めた。  そして直義の言うがままに腰を揺すり、そして直義の言うがままに腰を揺すり、しなやかな肢体をくねらせた。 ーひぁ---あ---ぁ---ぁんっ---あぅっ---あぁんっ---ー  直義の両手に、愛らしい胸元の小さな突起を揉まれ擦られて、頼隆は我知らず、直義のものを締め付ける。喘ぎ啜り泣く声は甘く切なく、直義の雄をさらに猛らせた。  直義は淫らで愛らしい痴態を存分に堪能し、熱い飛沫をしたたかに頼隆の最奥に注ぎ込んで、果てた。容赦なく腰を使わされ、何度も昇りつめる恥ずかしい姿を晒させられた頼隆が、力尽きて己のが胸の中に崩れ落ちるのを抱きしめて、直義はしばしの夢心地に浸った。   「あれほど可愛い奴とは思わなんだわ。」  悦に入る直義に、柾木は半ば呆れ顔で、溜め息を漏らした。 「並外れて初心な方でございますからな、そちらは---。」  ざっ---と少年が草むらに転がる音がした。 「さりながら、頼隆さまは、猛き武士でもありまするぞ。」  今ひとりの少年が、衣装盆に何やら乗せて戻ってきた。見ればあちこちが痣になり、赤く腫れている。 「見事にやられたのぅ。」  直義は苦笑した。だいぶん舐めてかかっていたのが、しょんぼりと打ちひしがれている。 「あのお方は、ああ見えて鬼神と呼ばれる強者ぞ。格の違いがわかったか。」 柾木は、そう言って、衣装盆から襷を取り、しゅるり---と掛けた。そして、物足りなさげに佇む頼隆に呼び掛けた。 「頼隆さま、お袴をおつけ下され。」  頼隆の半身がくる---とこちらを向いた。 「某がお相手つかまつります。」  遠目で分かりづらいが、その口元がにぃっ---と笑ったように、少年には見えた。 ー着流しで充分ーと自分達を歯牙にもかけなかった、その冷やかな面に歓喜の色が浮かんでいた。 「九神でも名だたる将の御身と試合えるとは、有難い。」  言って、頼隆は颯々と歩み寄ると、手早く濃紺の袴を履き、帯をきゅ---と締めた。薄い草色の小袖に、やはり、しゅる---と襷をかける。 「いざ---、始め!」  草葉の上に立ち、構えた二人の呼吸を確かめて、直義が鋭く声を放った。途端に、周囲の空気が一気に張り詰めた。少年達は、今までとは全く異なる、凄まじい気の放出に息を呑んだ。  それは、頼隆だけではなく、冷静な柾木の背中からも強烈に発せられていた。 ー弾正(柾木)さまが、本気になってらっしゃる---ー  その事自体、少年達には驚愕だった。直義は、縁に座り、懐手で、じっ----と二人を見つめていた。  中段に構え間合いを測る柾木と、下段に構え恬淡と様子を伺う頼隆---先に動いたのは、柾木だった。 「えやっ--!」  鋭い気合いと共に斬り込む柾木、それを体を外して受け、切り返す頼隆---、それをまたかわし、打ち込む柾木----。カン、カンと打ち合う音が連綿と続く。先ほどよりは、やや音も重く、鋭い。 ー速い---。ーとまず少年達は度肝を抜かれた。  相手の一瞬を突き、斬り込む、かわす---その連続だった。少年達は茫然自失の体で二人を見つめていた。『大人』ー戦場を掻い潜って生きてきた人間の劍とはこういうものか---と初めて見せつけられていた。  柾木の額に、うっすらと汗が滲んできた。 ーこのお方は---ー  柾木は内心、舌を巻いていた---というより、背筋に薄ら寒いものを感じていた。 頼隆の劍は、打ち合えば打ち合うほど、鋭さを増す。柾木の劍を受けながら、その攻撃の精度を上げていっているように見えた。  そしてその面には薄笑いさえ浮かんでいるように見えた。柾木は、一気に勝負に出た。頼隆の劍は鋭いが、重くはない。かける体重の負荷が少ないせいだ。柾木は、全身の力を込め、一閃、斜めに斬り上げた。頼隆の木刀が弾かれ、その手から浮いた。  が、柾木を、直義を、少年達を震撼させたのはその直後だった。頼隆の身体が軽やかに跳び、はしっ---とその木刀を掴み直したかと思った次の瞬間には、切っ先が柾木の喉元に突き付けられていた。皆が息を呑んだ。  頼隆は平然と、そして静かに言った。 「ここは戦場、気を抜けば生命はありませんぞ。」 勝った、という一瞬の気の緩みが生命を奪う---まさに戦の太刀だった。 「参りましてございます---。」 柾木の言葉に、頼隆は、す---と木刀を引いた。が、その背に隙は無かった。 ー白勢の鬼神---。ー  その実態を目にして、柾木は背筋が凍る思いだった。一年以上も幽閉され、ろくに身動きも出来ぬ暮らしだった筈だ。 ー殿はなんという代物に懸想されたのだ。---ー  だが、当の直義は悠然と二人を眺めていた。 「そこまでにしておけ。」  落ち着いた、余裕に満ちた声音だった。 「流石じゃ。白勢の鬼神の二つ名は伊達ではないのぅ。」 「お褒めにあずかり、恐悦至極。」  ニヤリ---と浮かぶ笑みは仏どころか人のものとも思えぬほど、背筋を震えさせた。 ー鬼じゃ。ー  柾木も少年達も、思った。  しかし、直義は、ゆるりと縁から立ち上がると、傍らの、少年の使っていた木刀を手に取った。既に、襷が背に掛けられていた。 「今度は儂が相手をしよう。」 「殿---!」  悠々と頼隆に歩み寄る直義に、柾木も少年達も慌てふためいた。  が、次の瞬間、先ほどよりも、尚も凄まじい気の放出を二人の背から見た。  もはや、そこは異空間だった。  激しく打ち合う音は、強く重く、真剣さながらの気迫が天をも貫かんばかりだった。  柾木も少年達も呆然とそれを見守るほかはなかった。 「---たいがいになされませ。」  小半時は続いたであろう打ち合いを収めたのは、ふんわりとした女性の声だった。  ピタリ---と二人が手を止めて、同時に声の発せられた縁の方を見た。続いて、柾木と少年達が、平伏した。  そこには、この城の女主、絢姫が、侍女を二人、従えて立っていた。  山吹色に薄い青紫の暈しを裾回りから立ち上らせた上品な袿の足許で、眞砂が淡く光を纏っていた。  その顔には、やれやれ---といった、母が子どもを窘めるような笑みが浮かんでいた。 「冷した瓜をお持ちいたしましたゆえ、温くならぬうちに召し上がられませ。」  彼女は、後ろをちら--と見やり、侍女達に瓜を乗せた器を盆ごと床に置かせた。侍女達は役目を終えると一礼して立ち去った。 「これは良い。頼隆、皆も食え。」  直義は破顔し、大股で戻ると、六つに割った瓜を一つ、わし掴みにした。 「いただきまする。」  頼隆も指を伸ばし、一つ、その手に取った。さすがに喉が渇いていた。額にはうっすらと汗の珠が浮かび、光を弾いていた。紅潮した顔を綻ばせて、瓜にかぶりつく男達を絢姫はにこにこと眺めた。 「楽しそうでございますねぇ---、殿。」  絢姫の言葉に、直義は満足げに 「うむ。」 と、頷いた。 「久しぶりに良い汗をかいたわ。のぅ頼隆。」 「お陰さまで。」 頼隆は、やや皮肉まじりに、だが小さく笑って言った。 「頼隆さまは、刀を振るお姿もお美しゅうございますねぇ。まるで、舞をなされているようにございます。」  絢姫は感嘆の溜め息を漏らして言った。隙の無い、実に優美な動きだった---と絢姫は絶賛頻りだった。 「強すぎるがな。」  直義は、絢姫の差し出した手拭いで両手を拭きながら苦笑いした。 「殿もお強うございましょうに---。私には、お二人が打ち合うているお姿が、連れ舞いをなさっているように見えました。」  絢姫は、何気にそっぽを向いて瓜を食んでいる頼隆の背をチラリと見て、言った。 「連れ舞いじゃと?」  これには直義も苦笑したが、絢姫は真顔で続けた。 「打ち合う呼吸がピタリと合ってらして、実に美しゅうございましたよ。」 ー然り---ー と柾木が頷いた。 「でも---。」  絢姫が苦笑しながら続けた。 「三千年も打ち合うてらしては困りますよ。」 「三千年?」 「言いおるのぅ---!」 怪訝そうな頼隆を傍らに、直義が豪快に笑った。 「案ずるな。いずれは飽きる。我らは人ゆえのぅ---。どうじゃ、頼隆、今度は相撲でも取るか?」 「遠慮させていただく。」  組み合うのは、体格差がありすぎる。直義の意地悪な提案に、頼隆はむっ---とした。  絢姫は、ころころと笑いながら、す---と袿の裾を翻した。 「取っ組み合いは、お褥の中だけになさいませ。」 「絢どの!」 「絢!」  赤面する男達を尻目に、絢姫は悠然と自室に戻っていった。 ー頼隆さまは、殿の番(つがい)---。ー  絢姫は、胸の中で自分の確信を噛みしめていた。ずっと苦しかった胸がすっ---と楽になった気がした。

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