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第15話 寒紅梅

「頼隆さま、お客人がおみえです。」  柾木が声をかけたのは、頼隆が庭先で、数人の少年ようにに剣の稽古をつけていた時だった。  頼隆に完膚なきまでに負かされた近習の少年、弥助と治平はその日以来、頼隆の剣の弟子を願いでて許された。  それと、絢姫の希望もあり、直義の息子ふたりが頼隆に剣の指南を受けていた。  頼隆の稽古は、厳しかった。力で打ち負かす稽古ではなく、徹底して『無駄なく』動くことを少年達に叩きこんでいた。無駄に動けば隙ができる---それが戦場では命取りになる。目の付け方、体捌き---、少しでも緩みがあれば、鋭い檄が飛んだ。 ーそこまで---ーと思うくらい、頼隆の目線は鋭かった。  その日も、少年達がたいがいへたばっている中、頼隆は、汗ひとつかいていなかった。 「客人?」  頼隆は、怪訝そうに柾木の方を見た。客など、この城に来てからついぞ会ったことはない。城の奥深くに籠められ、家臣の者達すら寄せ付けない。敢えて黙認している白勢の忍びが報告に来るのも、直義の不在の折に限られていた。  その頼隆の口から、「あっ---!。」という小さな叫びが零れた、嬉しげに小走りに寄っていく、その先に佇んでいたのは、 ー白勢長五郎政隆ー 頼隆の弟、白勢家の三男である。 「兄上!」 「政隆、久しいのぅ。」 しばらく見ない間に随分と背が伸びた。 身体も大きくなった。何より、武士としての威厳がついてきた。頼隆は眩しげに四つ年下の弟を見た。  近寄ると、その両目に涙が滲んでいた。 「息災であったか?ずいぶんと大きゅうなったな。皆は変わりないか?」  頼隆は、幼い頃から多感であった弟に笑顔で語りかけた。 「兄上ぇ~!」  頼隆より一回りは大きい身体が、縁に上がった頼隆に抱きついた。ぼかんとする少年達と、眉をひそめる柾木---そして、今少し遠目で直義がその背中を睨み付けていた。 「こら、止さぬか。---いい大人が。皆が見ておるぞ。」  頼隆は、くしゃくしゃ---と、政隆の強い髪を撫で、窘めた。 「---申し訳ございません。」  政隆は、ぱっ---と手を放し、ぐぃと袖で目もとを拭うと、勢いよく平伏した。 「お屋形さまには、ご健勝のご様子にて、政隆、安堵致しました。家中の者は皆、変わりなく、お屋形さまのご帰国を心待ちにしております。」  そこまで一気加勢に言って見上げる目が再び潤んでいた。頼隆は微笑みながら、その傍らに正座した。 「落ち着け、政隆。----変わらぬのぅ、そなたは。幾つになった?」 「十八でございます。」 ーもう、そんなになるのか。---ー頼隆は、あらためて小さく息をついた。この城に囚われて、かれこれ三年になる。  当初と比べてずいぶんと緩やかにはなったが、座敷牢の籠の鳥に変わりはない。弟との対面にこの場を選んだのは、それと悟らせないためであろう。人質ではあるが、比較的自由にさせている---と見せておくわけか、と頼隆は苦笑いした。 「大きゅうなって---。立派な白勢の若武者じゃの。」  度々の戦加勢の働きぶりは、直義からもトビからも聞いている。皆、それぞれに目覚ましい働きを遂げているというのに、自分は---。頼隆は、密かに歯噛みした。 「兄上もお変わりなく---。」 と言いかけて、政隆は思わず口をつぐんだ。 ー変わった---。ー  あらためて近間で見た兄は、以前の政隆の記憶にある兄とは異なっていた。美々しい容姿はそのままだが、まとっている空気が違う。かつては何やら冷やかな厳しい気配が常につきまとっていたのが、ひどく柔らかく穏やかに感じられる。何よりある種の色香のようなものが、匂いたつようにその身を覆っていた。いや、美貌にすら磨きがかかったように見えるのは、両の眼に温かな光が宿り、表情が豊かになったゆえなのか---と内心、驚いていた。 「いかがした?」 「兄上は、お優しくなられた---。」  頼隆は、皮肉な笑みを唇に浮かべた。 「我れはそんなに冷たかったか?」 「いえ、そんな---。」  政隆は、言葉に詰まり、再び平伏した。 ー嘘のつけない男だ---ー  政隆は良くも悪くも『素直』な性質だった。幸隆とも頼隆とも違う天真爛漫さがあった。幼い頃は、この弟の明るさ、陽気さが羨ましかった。 「まぁ、よい。」  頼隆はしきりに恐縮する弟をなだめるように言った。 「ところで、今日は何用で此方に参られた? 機嫌伺いには、ちと時期が半端だが---」  すると政隆は、ますます大きな身体を縮めるように平伏して、上目遣いで頼隆を見た。 「嫁を娶ることになりまして---。」  先頃、縁組みが整ったという。相手は、此麻姫と言い、白勢とも九神とも縁の深いとある領主の娘だという。頼隆は、済まなそうに目をしばたたく政隆ににっこりと笑いかけた。 「目出度いことではないか。」 「兄上がご不便をかこっておいでになるのに、誠に申し訳なく---。」 「気にするな。」  勉めて晴れやかな声で、頼隆は弟の肩を軽く叩いて、祝福した。 「おそらく列席はしてやれぬが---仲睦まじゅう、幸せにな。」 「兄上---。」  言葉に詰まる弟の背を優しく撫で、頼隆は、ちら---と今少し離れて立っている直義の顔を見た。が、やはり『知らぬ』といった素振りだった。  それでも、門口まで見送ることを許してくれたのは、直義なりの優しさであろう。出口まで向かう間に、自らの『籠』の入り口の襖が閉ざされていたのも、政隆のためだけでなく、頼隆への配慮でもあったように、彼には思えた。 それでも、 「それでは、皆によしなに---」 と見送る頼隆に深々と頭を下げて去っていく弟の背中に、少し胸が詰まった。  立ち去る側の政隆の目にも涙が光っていた。それは、しばしの別れの辛さのゆえだけではなかったことを兄は知らなかった。  政隆は、兄の白い首筋や胸元に小さな薄紅の痣が転々と散っていたのを、垣間見てしまった。---それが何か、を知らぬ歳でもなかった。馬の背で、出立前に打ち明けられた老臣の言葉が甦ってきた。 『殿は---頼隆様は、直義どのの---九神の当主の想い者---。』  老臣の志賀が、密かに耳打ちした言葉にーまさか---ーと反駁したが、志賀は真顔で政隆に忠告したのだ。 『もはや、余程のことでも無いかぎり、殿が九神どのの手の中から出ずることは難しいかと存じます。それゆえ---』 ー覚悟を決めよ。ーと促した。佐喜は、白勢は幸隆と政隆がふたりで守っていかねばならない---と。 ーただし---ーと老臣は付け加えるのを忘れなかった。 ー幸隆兄上には、決して言ってはなりませぬ。ー 『この---花のようだった---。』  城門を前に、政隆はふ---と振り返り、鷹垣城の庭に咲く、慎ましやかで秘めやかな、紅梅の花をじっと見つめた。馥郁たる香りに胸が苦しかった、  弟の帰還のあと、頼隆の様子はやはり、淋し気だった。 「可愛がっていたのだな。」  直義の腕枕で、頭を撫でられながら、頼隆は静かに答えた。 「大事な弟だ。」  その顔をいつもより深く直義の胸元に潜らせているのは、やはり表情を見せたくないのだろう。 「お前にも、嫁を見繕うてやろうか。」  直義の軽口に、ふん---と小さな鼻が鳴った。 「心にも無いことを---。我れは元より娶る気はない。」 「ん?」 何故---と言いたげな直義の胸から、す---と離れて、頼隆は小さく呟いた。 「我れは子を成す気はない。」  起こした背中に深く影がさした。 「兄のためか?」  問う直義に、小さくかぶりを振って、頼隆の背中が答えた。 「我れの中には、鬼が棲む---。」  双眸がひた---と目の前の闇を見つめていた。 「そうか---。」 と一言だけ言って、直義は、頼隆の背中を抱きしめた。鼻で髪を除け、項に唇を歯わせると白い喉がかすかに震えた。 「それに---」  僅かに頼隆の面がこちらを向いた。 「こんな身体にされては---。」 「儂が居らねば寂しゅうてならん---か。ん?」  耳朶を軽く噛むと、ーあ---ーと小さな吐息が漏れ、ぴくり---と背中が揺れた。 「愛いやつよの---。」  にま---と相好を崩し、細い身体を褥の上に押し倒し、のしかかる。 「責任は、とってもらうぞ。」  真剣なふたつの眼が直義の目を真っ直ぐに見据えていた。 「天下を、獲れ。」  直義は、一瞬、驚いたような顔をした。が、すぐにニタリと笑った。 「おぅよ。勿論じゃ。」  頼隆のしなやかな指が、直義の顔を挟んで引き寄せた。 「違えるなよ---。」    ふたつの影が、ゆっくりと重なった。

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