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第17話 Vamp1の効用
隆太がオペ室へと運ばれて行ったあと、周はひとり気を揉みながら、デイルームで待つことしかできなかった。
一時間、二時間、三時間といたずらに時間が過ぎるなか、ふらりと遊びに来た入院患者の小学生とおしゃべりをしたり、なぞなぞに勤しんだ理している間は気が紛れたが、どうにもこうにも落ち着かない。
隆太は周の血液を飲んでいた。自ら実験台になると申し出て、効くかどうかも分からない周の血液を――
そのせいで、隆太がもしこれまで以上に苦しい目にあっているのではないかと想像すると、居ても立っても居られなかった。そわそわと歩き回り、窓から中庭を見下ろしては空を見上げて、ただただ隆太の無事を祈るばかりだ。
日がすっかり傾いた頃、丸テーブルに伏して顔だけを上げ、空を見つめていた周のもとに、真人がやって来た。窓に映った真人の姿を認めた周は、がばりと起き上がって立ち上がる。
「隆太は!? あいつどうなったんだ!?」
「……まあまあ、落ち着いて。とにかく座り」
「落ち着いてられるかよ!! ねぇ、どうなったの!?」
「大丈夫、隆太くんは無事や」
「……ほんと?」
「ああ」
全身から力が抜け、はぁ〜〜〜〜と息を吐きながらがたんと椅子に腰を落とす。真人は周の傍に膝をつくと、ぽん、と膝の上に置かれた周の手を握りしめた。
「……効果があった」
「え……?」
静かに抑えた声音で、真人は周にだけ聞こえる声でそう言った。弾かれたように顔を上げると、真人のクールな目元がほんのりと朱色に染まっていることに気づく。自分を落ち着けるように深く息を吐いた後、真人はぐっと力強く周の手を握り直す。
「君の血液は、あの病に作用する」
「……ほっ、ほんと……?」
真人はもう一度深呼吸をして、今度は両手で周の手を握りしめた。斜め下から周を見上げる真人の瞳には、歓喜と興奮がありありと滲んでいる。
「どうやっても取れへんかったあのクリスタル状の病巣が、皮膚から抜け落ちるようになった。だがその時に熱を発するらしくてな、熱傷のせいで隆太くんは痛みを訴えたんや」
「っ、え……何それ、大丈夫なのかよ」
「ああ、大丈夫。しばらくは痛むやろうけど、いずれは治る。せやけど、再発せえへんかどうかが問題や。これまで、外科的に切除して皮膚移植を施した例もあんねんけど、再発率は100%やった」
「再発……」
「ああ。せやけど、これまでとは状況が違う。君の血液に反応して、変化が起きたとしか思われへん。……これはかなり期待できる」
「……そ、そうなんだ」
ぐ……っ、と真人の手に力がこもる。これまでにないほどの激情を秘めた真人の瞳から、周はひとときたりとも目が離せなかった。
「周くん、……ありがとう」
「いや、俺は別に……。それにまだ再発率ってやつ、わかんないんだろ」
「せやけど、これは大きな一歩や。これまでは、何の手立てもなかったんやで? ……周くんは僕の救世主や。いや、僕だけやない。君は、世界中で苦しんでる人たちの希望や」
「いやそんな、大げさ。ていうか、それ見つけたの真人だ、し」
唐突に抱きしめられ、息が止まる。思わず椅子から転げ落ちそうになるほどに、力強い抱擁だった。いつ誰が通るとも分からないようなこんな場所で、感情のままに行動する真人からは、喜びをひしひしと感じることができる。周もつい涙ぐんでしまった。
「これで……これで、根治できるかもしれへん。あの忌まわしい不治の病が、治せるようになる……! 君のおかげや。君が、僕の前に現れてくれたから」
「真人……」
「ありがとう、ほんまに。ほんまに……」
真人をそっと抱き返しながら、周はゆっくりと目を閉じた。
安堵したのだ。自らの血液が隆太を傷つけたのではなく、逆の方向に作用できていたということに。
そしてようやく、真人のそばに居続けるための理由ができたことに――
「隆太、会える?」
「いや、まだ麻酔で眠ってる。路生が処置を」
「……そっか」
「いったん帰ろう、家まで送るから。ここでずっと待ってて、疲れたな」
「ううん、何ともねーよ」
真人はようやく我に返ったらしく、気まずげに身体を離して咳払いをした。咄嗟のように「ごめん」と謝る真人を見上げながら、首を振る。むしろ、もっと抱きしめていて欲しかった。
――もっと、もっとそばに。そしてより深く、深く、真人の味を――
唐突に目の奥が熱くなり、犬歯のあたりが痛むほどに疼く。ぐらりとふらついて口元を押さえると、すぐさま真人の腕が周を支えた。
掴まった真人の腕から感じる体温、そして微かに汗を含んだ肌の匂いに、急激に吸血欲が高まっていく。
――なんだ、これ……っ。こんな、急に……!!
「っ……ぐ、ぅ」
「えっ? ど、どうしたんや、周くん」
「なんか、やばいよこれ……、血が要る、血、血が、今すぐ……要る……!」
「今すぐ? ……なんで急に」
この三週間、隆太に影響されて久々の学問に勤しんでいたことや、真人が多忙だったこともあって、吸血行為を行っていなかった。
これまでは、不本意なタイミングでこうならないよう気をつけていた。定期的に輸血パックを取りに行くという面倒ごともあったため、唐突な飢餓状態に陥ることはなかったのだが……。
いつになく平穏な日々を過ごせていたせいか、自分が異形であるということを忘れていた。普通の人間のように、暮らせていたから。
「……あかん、目の色が。すぐ帰ろう、これ、頭からかぶるんや」
「っ……はぁ、ハァッ……はぁ」
「落ち着いて、大丈夫やから。外は暗いし、車はすぐそこに停めてある」
ばさ、と真人の白衣を頭からかぶらされ、肩を支えられながら歩き出す。
今すぐにでも真人の肩口に牙を突き立てたい衝動に駆られそうになるが、死に物狂いで理性を保った。
じくり……と牙が鋭さを帯びるときのあの感覚が、歯茎を突く。
柔らかな肉を引き裂いて、そこから滴る血を啜りたい。脈打つ柔らかな肌から溢れる、あの血の匂い、味、そして快楽……呼吸がますます荒くなり、真人に縋る指が白くなるほどに、震えてしまう。
「……飢餓状態か、これが」
「はぁっ、はぁっ、……はやく、はやく、くるしい……っ、ぐ、ぅう」
もう少しで外へ、というところで、真人と顔なじみの女性看護師が通りすがったようだ。「あら、宇多川先生」という気軽な声が聞こえてくる。
「……あら? 周くん、どうなさったんです? ずいぶん具合が悪そうですよ?」
「ああ……いや、大丈夫ですよ。もう連れて帰るところなんで」
「確か持病がおありだとか……路生先生呼びましょうか? 今なら……」
――うるさい、うるさい、うるさいうるさいうるさい邪魔すんなうるせぇんだよ…………!!!!
世話好きな看護師で、周とも顔見知りだ。何度も言葉を交わしたことがある中年女性で、周もこの女性看護師には気を許している。……だが、今はとにかく、彼女の甲高い声が煩わしくて煩わしくて、たまらない。周はぎり……と奥歯を噛みしめ苛立ちを撒き散らすように、看護師を睨みつけた。
「…………うるせぇ」
「え? 周くん、どうしたの? すぐベッド用意するから、ここで……」
「うるせぇって言ってんだよ!! いいからそこどけっつってんだろ!!」
「こ、こらっ!」
突如声を荒げた周に、女性看護師が驚きのあまり息を飲んでいる。真人がすぐに謝罪し、「すみません、すぐに落ち着きますから。失礼します」と言い、柔らかな声でその場を取り成している。そして、逃げるように病棟から外へ出た。
「はっ……ハァっ……ハァ、っ……」
「目の色……見られてないといいねんけど」
「……え?」
「いや、何でもない。とにかく帰ろう」
「う、うう……」
今は、周りに気を使う余裕など微塵もない。
霞む視界の中でふらつく足元を見下ろしながら、真人に支えられながら車に乗り込む。すぐにでもここで血を飲ませて欲しかった。運転席に滑り込む真人に襲いかかりたい。このまま、ここで……。
「まさひと、まさひと……血、ほしい、ねぇ、ここで」
「あかん、ここは人目がありすぎる」
周にシートベルトを装着させる真人にしがみつき、周は牙を剥き出しにしながら懇願した。だが、真人は暗い車窓に素早く目を配り、首を振る。そしてすぐにエンジンをかけ、ハンドルに手をかけた。
飢えのせいで感情がコントロールできない。今すぐ行為に応えてくれない真人に苛立ちを感じずにはいられない。周は獣のような目つきで真人を見上げた。
「んなもんどうだっていい……!! 俺、もう……我慢できない、要るんだ、いま、今……っ!!」
「あかんて言うてるやろ!」
びしり、と鋭い真人の声に、周はビクッと身体を震わせた。滑るように大学病院の敷地から離れ、幹線道路にずらりと並ぶ車列に続きながら、真人は真剣な目つきで周を見据えた。
「ほんの十分の我慢や。こんなことで、君の素性が外に漏れたらどうする」
「こんなことじゃ、ねぇよ……っ!! 俺がどんだけ……」
「苦しいのは分かってる。けど、大事な時期なんや。……堪えてくれ」
「う、ぅう……」
頭からかぶったままの白衣を抱きしめながら膝を抱え、周は歯を食いしばって飢餓に耐えた。真人の匂いに吸血欲を煽られ、苛立ちと全身の渇きで、身体の震えが止まらない。
貧乏ゆすりをするように自ら身体を揺らしながら震えをやりすごすうち、無意識に真人の白衣の袖口をガジガジと噛んでいた。
ぽん、と頭の上に手が置かれる。片手でハンドルを握りながら、真人は低く抑えた声でこう言った。
「……おりこうさんにしとったら、ちゃんといっぱい飲ませたるから」
うつろな瞳で真人を見上げる。
こちらに流し目をくれる怜悧な横顔に、どくんと大きく心臓が跳ねた。
じわ……と身体が熱くなり、周は慌てて目を逸らす。
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