20 / 34

第20話 事情

「隆太!」 「おー、周」  隆太が病室へ戻っていると聞き、周はまっしぐらにそこへ向かった。隆太にはこの病棟で一番広い個室が宛てがわれており、南向きで日当たりもいい。  ベッドに座り、路生の診察を受けていた隆太が、周を見てからりとした笑顔を見せた。だが、首から下は白い包帯でぐるぐる巻きだし、腕からは点滴のチューブが伸びていて、これまでよりもずっと重症に見える。周は部屋の入口で足を止めた。 「隆太……お前、大丈夫かよ」 「ああ、ちょっと痛いけど。……ていうか、俺にも何が何だか」  ちら、と路生の顔を見る。隆太の点滴をいじっていた路生も、ちらりと意味ありげな視線を周のほうへ向け、こくりと小さく頷いた。  ――俺の血が、効いた……。  周は隆太にゆっくりと歩み寄り、しげしげとその身体を観察してみた。といっても、これまでクリスタル状の物体に覆われていた部分は全て包帯の下だ。本当に、この白い布の下には、隆太の皮膚のみが存在しているのだろうか。 「……どんな感じ? 痛いとこは?」 「痛み止め打ってもらってるから、傷の痛みはそんな。ていうか……なんかすげえ身体が軽いんだ。これまでぴきぴきに固まって動きにくかったとこが、普通に動かせる。張り付いてた鎧が外れた……みたいな感じかな」 「そ、そっか……すげぇ。よかったな、隆太……!」 「こら、変に盛り上がって興奮させない。周にも後で説明したるから、ちょい落ち着かんかい」 「わ、わりぃ……」  路生にぴしりと注意され、周は大人しくすることにした。  当の隆太は、まだいまいち現実が飲み込み切れていないという表情で、嬉しそうでもあり、不安そうでもあり、どこかまだ落ち着かない目をしている。 「先生。俺が飲んでた赤い薬が、効いたってことっすよね? これって、すごいことなんじゃないんすか?」 「せやな……。でもまだ、油断はできひんよ」 「でも、これまでは、切除手術したってすぐ再生してたんでしょ? 切り取っても切り取っても、数日でまた皮膚が硬くなった……って」 「せやな。だからこそ、不治の病と言われてた」  隆太はやや興奮気味だ。だが路生は、どこまでも冷静な態度を貫いている。  昨晩、歓喜と興奮がないまぜになった真人の表情とは打って変わって、冷徹とも言えるような口調である。慎重になっているだけなのだろうか。 「でもあいつら、自分から剥がれたんだ。俺の身体から逃げるみたいに……。これって、すごいことじゃないんですか?」 「まあまあ、とりあえず君も落ち着いて。少し眠るんや、ええな」 「……はい」  隆太もやや拍子抜けしたような顔をしているが、路生が周を促して病室を出ようとする頃には諦めたらしい。うつ伏せになって、ベッドで休む姿勢を取り始めていた。  路生はどこまでもクールなままで、いっそどこか苛立っているようにも見える。路生にも、もっと喜んでもらえるのではないかと思っていた周だが、路生は妙にピリピリとした空気を身にまとい、声をかけづらかった。  これまで変化がなかった治療史に大きな変化がもたらされたのだ。真人と目標を同じくし、この病の根治を目指していたのではないのか……?  ――やっぱ、こいつ何考えてんのか全然分かんねぇ……。  廊下を歩く路生の後を追いながら、反応を窺う。ためしにこんな問いを投げかけてみた。 「なあ路生。あのキラキラしたやつって、取れて、どうなったの?」 「ホルマリン処理をしてあるものは、今もキラキラしたはるわ。それ以外は、皮膚から抜け落ちて数時間でくすみ始めて、萎れて、ボロボロの土塊みたいに崩れた」 「そうなんだ……」 「桜間くんの場合、あれに侵されていた範囲は広かったけど、深度はそうでもなかってん。とはいえ、最も進行が進んでいた背中の一部には、皮膚移植が必要や。まあ、どっちみちしばらくは様子見なあかんけど」 「様子見? ああ……再発、ってやつ?」 「そ。再発せぇへんのかどうか、やな。消えたように見えて、数年後にまた再発っていう可能性も考えられる。これで完璧に治ったとは言われへん」 「……そっか」  医局へ戻るのではなく、路生はふらりと中庭へ出た。朝はあんなにすっきりと晴れ渡っていたのに、空には分厚い雲がかかり始めていた。湿った風が周の黒髪を乱し、落ち葉を天へと舞い上げる。路生から借りている、生地の分厚いパーカーの中で、周は冷たい風に首をすくめた。 「……ところで、もっとキスマークが目立たへん服、なかったんか」 「えっ……? あっ」  パーカーの中は、襟ぐりの開いたTシャツだ。鎖骨の辺りまでが見え隠れしているため、昨晩の痕跡が、ちらちらと見えている。周は慌ててパーカーのジッパーを引っ張り上げ、肌を隠した。隆太には気づかれていないだろうか。 「へぇ、とうとうセックスしたんや」 「いや……その」 「別に隠すことでもないやん。……そうなんやろ」   立ち止まり、こちらを振り向いた路生の表情には、明らかな刺がある。白衣のポケットに手を突っ込み、どこか挑みかかるような目つきで迫る路生の凄みに、周は怯んだ。中庭に植った白樺の木に、ジリジリと追い詰められる。 「これからは吸血のたびに毎回ヤるんや。ええなぁ、ちょうどいいセフレが見つかって」 「っ……べ、別に、そういうんじゃねぇよ! 俺たちは、そんなんじゃ……!!」 「『俺たちは』、何? セフレやないなら、恋人同士にでもなったつもりか?」 「そ……れは、その……」 「……」  言い淀む周の反応に、何かを察したらしい。一瞬、路生の顔から表情が消えた。  だがほんの数秒後、路生は細い唇を歪ませて、微かに笑ったような顔をする。整った顔にぺたりと貼りついた作り笑顔は、ロボットのように無機質だった。 「ほー……桜間くんの病状に変化があったこのタイミングで、ってか。なるほどなぁ、君の血液に効果があったから、真人は君を受け入れた、ってとこか」 「……えっ……」 「君に利用価値があると踏んだから、ずっと手元に置いとこうって思ったんやろ。もし、結果が出ぇへんかったら、あいつは君に、そんな甘ったるいこと言わへんかったと思うで」 「そ、そんなことねーよ!! だって、もっと前から……真人は」 「へぇ? ……もっと前から、ねぇ」  路生の瞳が明るい鳶色をしていることに、こんな時だが気がついた。  びゅう……と吹き荒ぶ風に髪をめちゃくちゃに乱されながらも、路生は一瞬たりとも周から視線を離さない。 「二人の間になにがあったんかは知らんけど、よう考えてみ? もし何の効果も得られなければ、あいつに君を飼うメリットがどこにあんの? そりゃ、君のような美少年とのセックスは魅力的かもしれへんけど、それかていつかは飽きるやろ。……だが結果的に、君には、治療薬としての価値があった。これまでの歴史を動かすほどの偉業や。だから真人は君を」 「違う、違う……ちげぇよ!! 真人は、そんな奴じゃない!! 何でお前にそんなこと言われなきゃいけねーんだよ!!」  泣きたいほどにショックだった。  真人はそういうタイプの人間ではないと信じているのに、高圧的な路生の口調に、ひょっとしたらそうなのかもしれないと思わされてしまう。それほどまでに、路生の言葉は昏く、鋭く、周の胸に突き刺さった。  ぽつ、と大粒の水滴が頬で砕ける。  とうとう雨が降り始めた。  視界を霞ませる雨の中、周は震えながら路生を睨み返し続けている。だが、手も足も頬も、ひどく冷たい。  すると、唐突に路生が喉の奥で笑い出す。徐々に徐々に声は高くなり、路生は雨の中、腹を抱えて笑い始めた。 「な、何がおかしいんだよ」 「ヴァンパイアの血ぃなんてもんが、ほんまにあれに効くなんてなぁ……はははっ、笑えるわ!! 真人も真人や。何で今頃になってあんな訳分からん文献見つけてくんねん! こんな、今更……あははっ!!」 「は、……はぁ? 何言ってんだよ、あんた……」 「ホンマに、アホみたいや。ただの眉唾もんの言い伝えやとばかり思ってたのに……まさか、こんなことになるなんてなぁ」  ぴた、と笑い声が止む。  ゆっくりと顔を上げた路生の瞳の色を見て、周は思わず呼吸を止めた。 「……え……?」  路生の瞳が、金色に染まっている。  瞳自体が発光しているかのようにきらめくそれは、周のものと全く同じ色をしていた。  にぃ……と笑う口元には、鋭い牙まで見て取れるではないか。周は絶句した。 「ほなさぁ……俺は明人のこと、救えたってことやんか。なあ……? そういうことやろ? 俺も、ヴァンパイアやねんから」 「う、うそだろ……」 「ふふっ……くくく……ッ、ははは……っ」  こんなにも苦しげな笑い声を、周はこれまでに聞いたことがない。  路生は片手で顔を覆い、肩を揺すって笑っている。いや、泣いているのかもしれない。周は言葉もなく、ただただ路生を見つめることしかできなかった。

ともだちにシェアしよう!