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第24話 非情な交渉〈真人目線〉
周の行きそうなところを一通り回って見たけれど、彼の行動範囲は狭く、心当たりは病院と家とスーパーくらいのものだ。ここへ来てから日の浅い周の行動範囲は限られている。
路生に連絡をとってみたが、病院にもいないという。
いよいよ真人は焦りを感じた。
ひょっとしたら、本当に再び周が連れ去られてしまったのではないかと……。
「病院……戻ってみるか。ひょっとしたら入れ違いになって、研究室の方ウロウロしてんのかも……」
周は携帯電話もスマートフォンも持っていないため、こういうときに連絡手段がない。焦りのあまり、腹の奥がジリジリする。いつしか足は駆け足となっていた。
近所一帯を駆け回った後自宅へ戻ってきた真人は、門を開けて車庫へ急ごうとした。その時。
「失礼します」
ダークグレーのスーツに身を包んだ男が、突然声をかけてきた。いつからそこにいたのか、あまりに唐突な男の登場に真人はぎょっとして目を見張る。
「なっ……何ですか?」
「突然申し訳ありません。礼泉学院大学の宇多川真人先生でお間違いないでしょうか?」
「は……はい? ええ、そうですが」
「私は、エイル製薬株式会社の者です。宇多川先生に、折り入ってお話したいことがありまして」
この忙しい時に一体何事かと、真人はまたぞろ苛立ってしまう。眼鏡をかけた真面目そうな男だが、真人の今の焦りようが分からないのだろうか。
「あの、今は取り込み中ですので。お話はまた後日――」
「『Vamp1』について、是非ともお話を伺いたいのですが」
「……何……?」
門扉にかけていた手が止まる。
今この男は、『Vamp1』と言ったか? どうして? その名称は、路生にしか聞かせたことがないはずだ。分析のために大学の設備を使用してはいるが、管理は厳重に行っている。誰もあのデータに触れることはできないはずなのに。どこから漏れた……!?
一瞬、路生の顔が脳裏に浮かぶ。
だが真人は頭を振ってそのイメージを振り払った。
「……どうして、それを」
「とあるルートから、としか申し上げられません。私も、表立って行動しているわけではありませんので」
「……」
表立って行動していないということは、エイル製薬という大企業を背負っての行動というわけではないのだろう。この男が個人的に『Vamp1』についての情報を手に入れ、半信半疑で真人に直撃しにきたのか――と、真人は素早く、考えられる状況を脳内で列挙した。
眼鏡男は、年齢は四十代前半といったところに見える。愛想笑いもなく無感動で、機械的な声色だ。
――それとも誰かの命令で、僕を連れにきたのか? 『Vamp1』の情報を抜くために……。
「いかがですか?」
「……いろいろとお話を伺いたいのはこちらも同じです。が、今は時間がありませんので」
「なるほど。人探し、ですか」
「……はい?」
男はすっとポケットに手を差し込み、スマートフォンを抜いた。そしてその画面を、真人の目の前に掲げる。
「なっ……!!」
そこに映し出されているのは、猿轡を噛まされて眠っている周の映像だった。真人は男の手からスマートフォンを奪い取り、食い入るように画面を見つめた。
広いベッドの上に横たわった周の周りには、数人の男の姿が見え隠れしている。カメラの動きにブレはなく、どこかに固定されされているらしい。
「周くん……!!」
「彼は、とある場所で大切にお預かりしています。探すのに苦労しましたよ」
「……どうして、この子を巻き込む必要があるんです。今すぐ解放してください!!」
「いやいや、何をおっしゃいます。元々、この少年の所有権は私の上司にあったのですよ」
「所有権……?」
真人はハッとした。
オークションで周を競り落とした男のことを、思い出したのだ。
「心当たりがおありのようですね」
「……なるほど。あなた方のやっていることは違法でしょう。人間に値段をつけて、それを競り合うだなんて」
「そうかもしれませんね。では、警察に駆け込みますか? ですがこの少年を得るために、億単位の金が動いているんです。それをふいにして、この子は逃げた。そして今はあなたが飼っている。……この状況、このままでいいと思っておいでですか?」
「飼っている、やと……!?」
人を人とも思っていないような口ぶりに、ふつふつと怒りが湧き上がる。思わず男の襟首を掴み上げそうになった真人だが、ここで手を出してはこちらの負けだ。ぐっと奥歯を噛みしめて感情を抑え、真人は静かに男を睨みつけた。
「……研究データと彼の身柄を交換したい、ということですね」
「ええ、そういうことです。詳しくは中で話しませんか?」
「いいでしょう」
すると運転席から男が降りてきて、恭しく後部座席のドアを開く。真人が乗り込むと、ほどなく、車は滑らかに走り出した。
黒革張りの車の中には、高級な煙草で燻されたような匂いがした。この男の主人が好んで吸うタバコか、葉巻か……金と権力を持った太々しい中年男のイメージが喚起され、真人の不快感を逆撫でする。まさかその男に、周を汚されてはいないだろうかと不安が募った。
――いや、それより今は、周くんを助け出す手を考えなあかん……。相手の情報を引き出さないと。
真人は余裕を見せるべく、シートに深く座り直した。そして脚を組み、さりげない口調でこう言った。
「周くんを競り落としたのが、まさかエイル製薬の重役様だったとは。立派な企業様やのに、何だか残念です」
「そうですか。申し訳ございません」
「そちらの抑進剤はよく効いた。とても助かっていましたが、今度は『Vamp1』を盗んで新薬の開発ですか? そのためなら、こういう乱暴な手を使わはるんですねぇ」
「……」
「ひょっとして抑進剤も、こうやってどこかの誰かから手柄を奪って開発した薬やった、とか? なるほど、開発も治験も製造も全て自社で行っているのは、そういう理由やったというわけですね」
「……違います」
男に揺さぶりをかけるように、あえて嫌味っぽい口調で畳み掛けた効果があったのか、男は不愉快そうな目つきで真人を見た。やはり、この男は研究者の一人なのだろう。どこか自分と同じような空気を纏っているような気がしていたため、カマをかけてみたのだ。
「あれは正真正銘、私のチームが開発したものです。よその手柄を奪うなんて……そんな無様なことはしていません」
「でも、今回は僕のデータをあてにしてはるんでしょう?」
「……それは。違います」
「違うとは? それが大手製薬会社さんのやり口なんでしょ? そら、利益は大切ですもんね。抑進剤に関して言えば、国内シェア99%を誇っておいでだ。これはすごいことです。しかし、もうすぐイギリスから抑進剤の輸入が始まるっていう噂がありますよね。ひょっとしてそれに焦ってはるんですか? だから僕からデータを盗んで……」
「静かにしてください!! この子がどうなってもいいんですか!?」
ずい、とまたスマートフォンの画像が突きつけられる。さっきと同じアングルの映像だが、よく見ると、周のそばに小太りの中年男が座っているではないか。
抗えないような危機感に心臓が軋む。眉間に深いシワを寄せながら男を見やると、勝ち誇ったような笑みを返される。理性を焦がすかのような怒りを感じるが、表面上は冷静を貫きながら、真人は続けた。
「そうして儲けた金で、少年ヴァンパイアを億で買おうなんて……ふふ、強欲なことです。そちらの社長さんは、相当な好きモノのようですねぇ、どえらいこと知ってしもたわ」
「……違います。社長は、立派な方です」
「ほう、社長『は』ですか。ほな、少年を金で買う変態は、社長さんのお身内の方、という意味かな。面倒なお荷物を抱えてはる……というところでしょうか。お察しします」
「……意外とよく喋るんですね。若いくせに、嫌味ったらしい男だ」
「そらどうも。というか……あなたは研究者でしょう? そんな変態のために汚れ仕事ですか? 大変やなぁ、何でもしはるんですね、大企業の研究者さんは」
「……もういい。黙れ」
キッ、とブレーキ音がして車が停まった。
すると一斉にドアが開き、ぬっと伸びてきた太い腕によって、真人は車外へと引きずり出されてしまう。
「っ……何すんねん……!!」
突き飛ばされ、転がされたのは、埃っぽいコンクリートの床だった。さっと視線を巡らせると、ここはどこかの地下駐車場のようである。奥まった場所でひと気はないが、うすぼんやりとした明かりの中、非常出口のマークが青々と光って見えた。
ぐい、と大柄な男に引き起こされ、羽交い締めにされる。首に押し付けられる屈強な腕に圧迫され、息が止まりそうになった。
すぐそばには、似たような体格の男がもう二人。身長は真人と同じくらいでも、身体の厚みがまるで違う。腕っ節では、到底真人に勝ち目はないだろう。
「少年のいる部屋へご案内しましょう。……そして、あなたにもじっくり見ていてもらいます」
「……何をするつもりですか」
「あなたが情報を渡さないのであれば、あのヴァンパイアの少年を輪姦します」
「なっ……!」
真人が絶句する姿を、男はニンマリと嬉しそうに眺めている。男は靴音を響かせて真人に近づくと、人差し指で胸を突いてくる。そして、低く抑えた声でこう言った。
「私だって忙しいんだ。こんなことに時間を割きたくはないんですよ……! 『Vamp1』というあの物質、一体何から抽出したものですか。それだけ吐いてくれれば、あの少年を解放してあげてもいいですよ?」
「……っ」
――こいつらは、『Vamp1』が何なのかを知らない……!? じゃあ、どういうルートで外に漏れたんだ……? 路生じゃ……ないのか?
だが、危機的な状況は変わらない。もしここで真人が『吸血鬼の血液』だと口にしてしまえば、確実にヴァンパイア狩りが始まるだろう。欲望の捌け口になるだけではなく、金儲けの道具として消費される――ただでさえ身を脅かされている彼らが、これまで以上に狙われる口実を作ってしまうことになるのだ。絶対に、言ってはいけない。
「簡単なことでしょう? さ、言いなさい。その年で准教授なんて、すごい才能じゃないですか。指導する立場で、学生さんたちもおられるんでしょう? そのご立派なお立場を、無碍にしてはいけませんよ」
「……」
「あの子がどうなってもいいんですか? どういう経緯であなたの手元に彼が渡ったのかは存じませんが、もうセックスはしたんですか? ヴァンパイアとのセックスはとってもイイらしいですねぇ? 私もご相伴に預かろうかな」
「……ゲス野郎」
吐き捨てるような真人の言葉に、男はさも楽しげに低く笑った。真人を締め上げている男たちも同様に、下品な笑い声を立て始めた。
「さっきカメラに写っていたのは、社長のお兄様でしてね、社長補佐役なんていうご立派なポストを与えられておいでです。何の役にも立たないお方ですがね、遊び相手が多く、あちこちにいろんな伝手をお持ちだ」
「そんな奴のために、犯罪まで犯すんですか」
「外に漏れなければ、『犯罪』にはなりません。それに金払いだけはいいもので、こうしてたまにお世話して差し上げてるんです。今回は私にもメリットがありますからね」
男はそう言って勝ち誇ったように笑うと、屈強なボディガードたちに真人を連れてゆくように命じた。抵抗してもびくともしないが、周のところへは早く行ってやりたい。……だが、真人がその部屋に到着すれば、周はエイル製薬の社長補佐とやらの餌食となるだろう。そして、ここにいる男たちにも……。
――だめだだめだ!! そんなこと考えるな!! 何か手段があるはずだ、何か……っ!!
だが、もがいてももがいても、男たちの手は外れそうにない。どの男も、面構えがいかにも凶悪そうで、真人の説得になど応じそうもない。
――クソっ……!! どうしたら……!
非常階段の青い光が、真人の焦燥をさらに煽った。もうあと数歩歩いてしまえば、エレベーターに乗せられる。そのまま連れて行かれる先は、周の囚われた部屋だろう。
周を助けたい。誰にも触れられたくない。だが、『Vamp1』の秘密は守り通さなくてはならない――真人の背中を冷たい汗が伝う。
だがその時、コツ……コツ……と駐車場に反響する靴音が耳に入った。
男たちも足を止め、背後を振り返る。
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