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第23話 不穏な予感〈真人目線〉
日曜日の朝、誰もいない予備研究室の中から空を見上げつつ、真人はため息をついた。
昨晩、素面の状態で周を抱こうとした……が、結局最後まではできなかった。
吸血時のフェロモンに急かされているからではなく、ただ純粋に真人の意志で周を抱きたかったのだが……。
キスだけで、とろとろにとろけた表情を見せてくれる周が愛おしくて、めちゃくちゃにしてしまいと思った。が、この間の乱暴なセックスのようなことはしたくはない。もっと丁寧に、もっと優しく、ゆったりとしたセックスで周を愛してみたかった。
不安もあった。フェロモンなしで、真人の精力だけで、周を満足させることができるのかどうかと。
これまで交際した女性は一人だけだが、セックスに積極的ではない真人に対して、彼女はいつも不満そうだった。そしていざそういうことになっても、真人の行為は淡白でつまらない、いつだって上の空だと罵られたものである。
それもそのはずだろう。セックス場面に直面すると、いつでも路生の涙が目の前をちらつくのだから。あの日何もできなかった不甲斐なさを思い出し、どうにもこうにもセックスに集中できない。文句を言われても当然だ。
だが周は、真人の指先が肌を滑るだけで、気持ち良さそうなため息を漏らしてくれる。きらきらと潤んだ大きな目で見つめられるだけで、まるで恋を知ったばかりの少年のように胸がときめく。柔らかな唇に触れ、常人より少し尖った犬歯に舌を這わせてみれば、周は堪えきれないといったように甘い声を漏らし、甘えるように真人を抱き返してくれる。
白い肌はどこもかしこも柔らかく敏感で、唇で触れているだけでも心地がいい。胸の尖をいじめる前に、脇腹や臍にキスをしながら焦らしてやると、周は腰をくねらせて先を急かした。部屋着にと貸した真人のハーフパンツには、くっきりと興奮が現れている。布ごしにそこを食みつつ、ゆっくりと下を脱がせてゆくのを、周は全く嫌がらなかった。
だが挿入を前にして、興奮を如実に表す真人のペニスを見た周が、『そ、そんなデカかったっけ』と怯んでしまったのである。
一度怯えを口にした周に、無理な行為を押し付けたくはない。真人は破りかけたコンドームの袋をそっと箱に戻した……。
かくして、意地になって先に進みたがる周をキスでなだめ、互いに手で抜き合うといった行為のみで昨夜は終わった。
――あのフェロモン、僕に効くというより、周くんの恐怖心を鈍らせるっていう効果があったんかもしれんな……。
――というか、怖いだなんて思わせてしまった僕にこそ問題がある……。もっとうまく、雰囲気を作ることができていれば……ハァ……。
もっと甘い言葉を囁き、もっと甘い笑顔で、周を気持ちよくしてやりたい。だがやはり、この間の吸血セックスに比べると、真人の頭にも理性がしっかり残っていたのもまた事実だ。細々とややこしいことを考えたがる理屈っぽい頭が、なんだか無性に腹立たしい。
と、朝の研究室で実験装置を起動させながら、真人はまたため息をついた。
今日は日曜で学生たちへの指導はないため、周は昼からここへ来ると言っていた。
研究に没頭し始めたら周りが見えなくなる真人だが、周もまた隆太から与えられた課題をこなしたいからといって、ここで二人で過ごす予定なのである。
昨晩のことを若干引きずる真人だが、周はけろりとしたものである。『寝たら忘れる』タイプだと自分で言っていたが、十三歳も年下の恋人に「気にすんなって! ちんぽがでかいのはいーことじゃん!」と謎の励まされ方をしてしまった。
「……い、いやいや……こんなことを考えてる場合じゃない」
周から得た光明を、決して無駄にはしたくない。
萎れかかった心をしゃんとさせるべく気合を入れ、真人はモニターと睨み合った。
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「おー、真人。邪魔するで」
「おう、邪魔すんなら帰れ。……ん?」
あれから何時間が経ったのだろう。ノックもなしにドアが開き、路生がずかずかと予備実験室に入ってきた。どうやら、また深く深く集中していたようで、時計を見て仰天する。
「な!? 十四時やと!!」
「そうやけど? お前、昼食ったん?」
「い、いやまだ。……っていうか、正午に周くんがここに来るて言うてたんやけど」
「周が?」
「病棟(そっち)行ってへんかった? 桜間くんとことか」
「いや? 俺、さっきまで桜間くんとこおったけど、周は来てへんで」
「え……」
嫌な予感が、胸中をよぎる。
真人は白衣のポケットからスマートフォンを取り出し、自宅に電話をかけた。……が、誰も出ない。
「……出ぇへんな」
「いやいや、小学生やないねんから。どっかフラフラほっつき歩いてるだけやろ。蘇我くんが笑 ろてたで、十六歳の甥っ子に過保護すぎや〜て」
「うるさい、ちょい黙っとけ。……んー道に迷うわけもないし、寝てるとか? いや、でも朝はちゃんと起きてはったし」
「ふーん、寝不足か? 昼過ぎまで寝てまうほど激しいセックスしとったちゅうことか〜?」
研究データをチェックしつつ、間延びした声でそんなことを言う路生に、どういうわけか無性に腹が立ってしまう。昨晩うまくいかなかったセックスのことを気にしていたこともあり、大人気もなくカチンときたのだ。
真人はぐいと路生の白衣を掴み、強引に自分の方を向かせた。突然の真人の行動に、路生が目を丸くしている。
「な、なに?」
「……お前、もうええ加減にせぇよ」
「は? 何がやねん」
「僕とあの子のことに、いちいち突っかかってくんなて言うてんねや。あの子、意外と気にしぃやねんから」
「ふふっ……そらすまんかったな。俺かて祝福したいねんで? あのまま枯れ果てていくんちゃうかて思ってたお前が、あんなかわいい恋人ゲットして――」
「路生」
がたん、と立ち上がると、路生を見下ろす格好になった。路生は小首を傾げつつ斜め下から真人を見上げ、唇に妖しい笑みを浮かべた。
「どないしたん、怖い顔して」
「どうしたらいいねん、僕は」
「……はぁ?」
「僕はな、あの病気を治す手立てが見つかれば、路生がまた前を向けるんちゃうかと思っててん。せやのに最近、ずっとそんなんやん。何をイライラしてんねん」
「別に、イライラなんてしてへんわ。ただ、まだ気持ちに折り合いがつかへんだけ」
「気持ち……? なんやねんそれ、どういう意味や」
路生の気持ちが分からない。こうして有効な手立てが見つかったと言うのに、路生はどうして、これまでよりもずっと塞いだ表情をしているのだろう。
真人が周と交際し始めたことに対して不満を抱いているにせよ、こうまで刺々しい態度を取るいわれがあるだろうか。それともまさか、路生は真人に対して、なにかもっと特別な感情でも抱いているのか……
――恋慕? いや、そんなわけない……。あるとしたら、恨み……?
『明人ではなく、真人が病魔に冒されればよかったのに』……それは、真人自身が、この十年以上ずっと胸に抱え続けていた想いだ。自分自身でもそう思うのだ。路生だってそう思っているに決まっている――そういう想像が、またしても顔を出しかけたその時。
路生は、はあっ、と聞こえよがしにため息をつき、腰に手を当ててこう言った。
「そんなことより、周。探しに行かんでいいん? いっぺん家帰ってみたらどうや?」
「……。そうやな」
「俺は俺で、ちょっとそのへん見てきたるわ。患者やナースと話し込んでんのかもしらんで」
「……うん、せやな」
「また連絡するわ」
「おう、頼む」
白衣を翻し、早足に研究室を出て行く路生の背中を見送る。
焦りと苛立ちのまとわりつく心のまま、真人は車のキーを荒々しく掴んだ。
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