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第28話 居場所は

 SDPOという謎めいた組織の二人組から、周は真人の家で聴取を受けた。  生まれ育った街で世話になった病院の医師が、周のような特異体質者の扱いに慣れていたことには驚いていたが、彼らの話を聞き、なるほど背後にそういう組織があったのかと、ようやく腑に落ちる思いだった。  おかげで周は、一般人に危害を加えることなく生活ができた。そう思うと、世界の裏側から特異体質者を守ってきた彼らの存在はありがたいものなのだろう。  そして何よりも周を安堵させたこと――それは、彼らが真人の研究に理解を示したことである。  周の聴取が終わった後、話は真人の研究内容に及んだのである。  ヴァンパイアの血液を原料とした治療薬の研究だ。真人は咎められると思っていたのか、こめかみには冷や汗が伝っていた。だが、桐堂の口から出てきた言葉は、意外にも穏やかだった。 「大いに結構だと思いますよ。何なら、狐の血や狼男の血、または人魚の血なんかもご提供しましょうか?」 「……え?」 「奇病中の奇病、水晶様皮膚硬化症については、研究を諦めている人が多いですからね。あなたの研究は、人類のためになる」 「はぁ……ありがとうございます」 「一定の成果が認められているようですが、そのデータは表立って公表するわけにはいかないでしょう。たとえ治療薬が完成したとしても、公のルートを使っての流通は不可能だ」 「え、ええ……。ですので、何か代替できる成分が見つかればと思って、分析を続けているのですが」 「まあ、無理でしょうね」  さらりとぶった斬られて、真人の表情が苦しげに歪む。せっかく治療法が見つかったとはいえ、使えないのではどうしようもないではないか。周までつられて眉を寄せていると、ひょいと路生が口を挟んだ。 「それなら、『Vamp1』をそちらさんがこっそり裏から流せばいいんちゃいます? 病院や警察に特別なルートをお持ちなら、容易いことでしょう」 「……ほう、なるほど?」 「表には流通しない特別な『特効薬』として売り出せば、あんた方は潤沢な利益を得ることにもなりますし、苦しんでいる人たちも助かる。真人も救われる。みんながハッピーや。どうせ、言いなりにできる製薬会社のひとつやふたつ、あるんでしょ?」 「……ふふ、よくご存知ですね。その通りですよ」  桐堂はニヤリと笑い、真人の方へ視線を向ける。 「おっしゃる通り、そういう道もご用意できます。が、あなたが我々のことを信頼してくださるかどうか」 「うーん」 「ふふ、悩まれるのも無理もありません。まあ、はっきりとしたお返事をいただくのはまた後日でも構いませんので。そのあたりのことは路生先生がお詳しいかと思いますから、ゆっくり相談してください」 「路生が? ……なるほど、分かりました」  そこからは、権利がどうしたこうしたというややこしい話が始まった。周には難しい話だったため、ぬるつきの残った身体を洗うべく、ひとりバスルームへ逃れたのだ。  目まぐるしい一日だった。  拘束されていた時間はたった数時間であるとはいえ、あの馬飼という男にベタベタと触れられたおぞましさや、無理やりに指でこじ開けられた不快感が、ぞわりと身体に蘇る。  居ても立っても居られなくなった周は、服を脱ぐのももどかしく、シャワーのコックを全開にする。肌を打つのは冷たいシャワーだ。かまわず、それを頭からかぶった。  濡れ鼠になりながら、あの時感じた異常な高ぶりを思い出す。冷たい水で身体は冷えてゆく一方なのに、内側から照り返すような激しい熱を感じる。爆発的に高まったあの攻撃性は、身を守るための防御本能のようなものだろう。だが、ふつふつと蘇る全能感を思い出すと、再びあの激情に身を委ねたいと思ってしまう―― 「周くん!? 何してんねん!!」  だが、バスルームを覗きにきた真人の声に、周はハッとした。ようやく自分が、ガタガタと震えていたことに気がつかされる。バスタオルを手にバスルームに入ってきた真人が、きゅっと水を止めた。 「服のままやん。あかんな、もう一回あったまって……」 「……いや、もういい。出る。……疲れたんだ」 「せやんな……ほな、ベッドであったかくして」 「うん」  びしょびしょになった服を身体から剥がすように脱ぎ、周は全裸になってバスタオルにくるまった。そのままぺたぺたと廊下を歩いて寝室に入り、ベッドにストンと腰を落とす。すると真人がもう一枚別のタオルを手にして、周の髪の毛を拭き始めた。 「路生と、狐と蛇の人たちは?」 「もう帰ったで」 「そっか」 「……ごめんな、怖かったよな。もっと早う、駆けつけてたら……」 「ううん……違うんだ」  馴染んだ柔軟剤の香りに包まれながら、周は小さく首を振った。髪をわしわしと拭いていた真人の手が、止まる。 「……怖かったのは、自分、かな。あのまま真人たちが来なかったら、俺……多分あの男のこと、殺してた」 「……」 「ははっ……すげーよな、何でもできるって感じがしたんだ。あの変態親父の首くらい、簡単に折れそうだった」  自分の掌を見下ろしてみる。非力そうな細い指だと自分でも思う。  なのに、あの力は何だ。自分が普通の人間ではなく、『鬼』という字のつく生き物であるということを、改めてまざまざと感じさせられた。のうのうと、人間のように暮らしていていいのかとさえ、思った。 「身体の奥底から……自分でも気付かなかったような深いとこから、すっげー力、湧いてくんの……それがすげぇ気持ちいいんだ。ああ俺、普通じゃないんだって。母さんたちが俺のこと気味悪がんのも、無理ねーなって思った」  とつとつと語る周の声に耳を傾けているのか、何か考え事をしているのか、真人は静かに口を閉ざしている。……ああ、そうか、真人も俺のことが怖いのかと、周は震える唇をきゅっと噛みしめた。 「俺……危ないよね、これ。あの、桐堂って人……俺が望むなら、安全なところで保護してくれるって、言ってたじゃん。俺……そっち、行こっかな。真人もさ、こんなのと暮らすなんて、怖いじゃん? だから……」 「周くん」  頭にかぶらされていたタオルがすっと外され、真人の理知的な瞳と視線が絡む。何を言われるのか、怖くて怖くてたまらなかった。  ――『そうやな、そうしたほうがええ』『研究の方も、SDPOの人らの協力で何とかなりそうやし』『君がここにいる必要は、もう――』 「こんなことを言うと、また気持ち悪いって思われるかもしれへんけど」 「……え」 「僕にとって……周くんは、天使みたいなもんなんやで?」 「…………へ?」  考えもしなかった言葉が降ってきて、周はぽかんとしてしまった。相当訝しげな顔をしていたのか、真人は気まずげに目を伏せながら、さらにこう言葉を繋いだ。 「君が、自分の未知の力を恐れる気持ちは、何となく分かる。でも……それでもな、僕は、君がどんなに優しい子かっていうことをよう知ってる。多分、君以上に」 「え……? でも、俺」 「周くんは、過去に引きずられっぱなしで暗く澱んでいた僕の生活に、光をくれた。こんなふうに、誰かを愛おしく思える日がくるなんて、思ってもみぃひんかった。君がいる毎日は本当に楽しくて、幸せで……だから」  真人が、優しく笑う。そうして真人が笑っているだけで、冷えて強張っていた身体が温かく包み込まれるようだった。目の奥がつんと痛くなり、眦から涙が伝う。 「どこにも行かんといて欲しい。ずっと、僕のそばにおって欲しい」 「っ……」 「君が好きや。この気持ちは変わらへんよ」 「あ……」  ぼろぼろと涙が溢れ出す。周は声を堪えることも忘れて、小さな子どものように泣いた。真人はそんな周を抱きしめて、何度も何度も、優しく頭を撫でてくれた。 「ぅ……っ、うぇ……ばか、ばかじゃねぇの……」 「うん」 「おれみたいなのに、そんなやさしくしちゃってさ……っ、うっ……おれ、こんななのに、そんな」 「しょうがないやろ。惚れてしもたもんは、どうしようもないねん」 「惚れっ……て……っ……う、うっ、ぅええん」  みっともないことこの上ない。もう十六歳だというのに、わんわん声を上げて泣いているのだ。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら。  だが真人は、ただただ周を抱きしめていてくれた。涙のせいで火照った身体をしっかりと支えながら、「大丈夫」と伝え続けた。  低く穏やかな声が、周の細胞一つ一つを震わせて、徐々に心が凪いでくる。  ひとしきり泣いた後、周はようやく落ち着いてきた。すると真人が少し身体を離して、しゃっくりあげながら鼻を啜る周をじっと見つめている。どこか不安げな表情をしていた。 「周くん」 「……ん……?」 「なぁ……ここにいてくれる? これまでみたいに」 「え……?」 「周くんの気持ちを、ちゃんと聞きたい……んやけど」  不器用な問いかけだが、真人の眼差しはどこまでも真摯だった。いつもどこか遠慮がちな真人だ。きちんとした確信が欲しいのだろうと、周は察した。  ――俺よりずっと大人なのに、捨てられた大型犬みたいな顔してる……。  そんなことを不意に連想してしまい、周は思わず少し噴き出してしまった。突然笑い出した周のことを面食らった表情で見下ろす真人に向かって、周はしっかりと頷いて見せた。 「俺……ここにいる」 「ほ、ほんま?」 「うん。お、俺だって……真人と、ずっと一緒にいたいもん」  照れ臭さをかなぐり捨てて小さな声でそう呟くと、むぎゅうっと真人に強く強く抱きしめられた。噛みしめるように「ああ……良かった。よかった……」と口にする真人の背中に、周もそっと腕を回す。 「……苦しーって」 「ああ……すまん。嬉しいのと……ほっとしたのとで、つい」 「……」  いつになく素直に感情を表現する真人を上目遣いに見上げると、真人もまた周を見つめていた。それはもう、愛おしげな眼差しで。  余程ほっとしたのだろう、真人の目元は微かに潤んでいるではないか。誘われるように真人の頬に手を伸ばしてみると、手の甲に真人の指が添えられる。  抱き寄せられ、額に真人の唇が触れた。  肩に羽織っていたタオルがするりと落とされ、少し冷えた寝室の空気に、ふるりと肌が震えた。 「……好きやで」 「お、俺も! 好き……だよ」 「ふふ、ありがとう。……大事にする」 「ん……」  額やまぶた、そして頬に、やわらかなキスが降ってくる。タオルの下で冷えていた身体に、甘い炎が燻り始める。  一糸まとわぬ周をそっと横たえ、真人もベッドに膝をつき、身を乗り出してくる。いつもより潤んだ真人の涼やかな目元は、暗がりでもゆらゆらときらめいて見えた。  ――好きだな……真人の、こういう目。優しくて、色っぽくて、すげぇイイ……。  首筋に、鎖骨に、全身を慈しむかのように触れる真人のキスを感じながら、周は目を閉じて声を漏らした。

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