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第27話 赴くままに

「噛みやがった!! このガキ!!」  口の中に広がる血の味は、真人から与えられるものとは比べ物にならないほど苦くて、不味かった。真人を咬んだときはうっとりするほどに心地よかった牙の感触も、嘘のようにざらりと硬い。  だが、鮮血の色を見たことで周の本能は一気に目を覚ましたらしい。上半身を押さえていたもう一人の男をギロリと睨み上げると、「ヒッ」と声を上げて手を離す。 「お前、何だよその目の色……! うぁ……」 「は、はは、何だい君達、初めて見るの? これはヴァンパイアの習性のひとつで、」  周のアナルに指を突っ込んで喜んでいた小太りの男は、ごろごろとベッドから離れてゆくボディガードたちに向かって引きつったドヤ顔を見せている。だが、今の周にはそんなことはどうでも良かった。さっき食いついた男の手から、ぼた、ぽた……と滴る血の音だけが鼓膜を震わせる。男の放つ血の匂いだけが、周の鼻腔を刺激する。  その血を、自らの体内の一部にしたいとは思わない。だがその匂いは、ヴァンパイアの本能をくすぐるには十分すぎた。全身に力が漲り、暴れまわりたいと筋肉が軋む。自分に屈辱を与えた男たちを、ぐちゃぐちゃに食い散らかしてやりたい――周は吼えた。 「うぁあああああああ!!」  ブチブチッ……!! と音を立てて、脚を拘束していたガムテープを引きちぎる。と同時に、脚の間でペニスを勃てていた小太りの男を、思い切り蹴り飛ばした。 「あひゃぁっ!!」  ドスン!! という地響きにも似た音を立て、男が壁に激突する。そのままずるずると崩れ落ちた男は、つぶらな目をめいっぱい見開いて、「お、おまえら!! そのガキを何とかしろ!! 高い金払っただろ!!」と喚き散らした。  だが、男たちが近寄ってくる気配はない。周は身体を起こし、渾身の力を込めて金属製の手錠さえ引き千切った。頑丈な鎖はぐにゃりとひん曲がり、両手が解放される。とうとう自由を取り戻した周は、ベッドの上にゆっくりと立ち上がった。 「ハァ……ハァっ……クソ共が……ッ!! 気安くベタベタ俺に触るんじゃねぇよ!!!!」  壁際にへばりついてへたり込んでいる男たちの方へ、周は一歩、一歩と近づいた。男たちは顔面蒼白で、小太りの男はもはや立ち上がることさえできないようだ。ぶるぶる震えながら周を見上げ、唾を飛ばして叫んでいる。 「ひ、ひいいい!! 何だ、なんなんだこの化け物はぁ!! どっか行け!! お前ら、早く何とかしろよぉ!!」 「お、おい逃げよう、こんなの聞いてねぇよ!! 血、止まんねぇ……!」 「ば、バカ言うな! こんなガキ、ぶ、ぶちのめして大人しくさせりゃいいんだよ……!」  ――ハァっ……ハァ……っ……なんだよこれ、身体中が、あつい……っ……。  内臓から湧き上がるような熱の感触に身を任せ、周に躍りかかってきた男の攻撃をかわし、闇雲に拳を突き出した。その拳は、周よりも二回りは大きいであろう男の下腹にきれいに入り、男の呼吸が一瞬止まった。 「っぉ、げぇっ……ぇえ……!!」  男は床に転がるように倒れ、そのまま失神してしまった。周は、ぴくりとも動かない頭を踏みつけ、はぁ、はぁ、と荒い呼吸のまま、倒れ伏した大男を睥睨していた。  ――俺の、力……なのか……? これが。……何だこれ……。  細胞という細胞が沸騰し始めたかのように、全身が激しく猛っている。身体の反応に呼吸がついて行けていないのか、だんだん息がしにくくなってきた。 「は、はっ、はぁ、はっ……はぁっ……!」  ふらつきながらも、周は逃げようとする小太りの男の前に立ち塞がる。  恐怖に歪んだ男の視線が、気持ち良くて気持ち良くてたまらなかった。  卑しい吸血鬼だ、ガキだといって弄んだこいつが許せない。おそらくこいつは、これまでに何人も仲間たちをいたぶってきたはずだ。こんなやつを、ここで生きて逃すわけにはいかない――使命感にも似た激情が、周の理性を打ち壊そうとしている。 「……死ねよ、ここで……ハハッ、死ね。殺してやんよ、てめぇみてーな変態クズ野郎……」 「ひ、ひ、ひぃ……っ!!」  ガッと掴んだ男の短い首は、ぶよりとして気持ちが悪かった。なんと忌々しい感触だろう。こんな作業はとっとと終わらせてしまおうと、周はさらに指に力を込める。男の顔が、じわりじわりと赤黒く変色してゆく。  だがその時、激しい騒音を立てて部屋のドアが開いた。  弾かれたように後ろを見遣ると、二人の黒いスーツの男たちが、部屋の中に押し入ってくるところだった。  そしてその二人に続いて駆け込んでくる真人の姿を認めた周は、ハッとしたように動きを止めた。 「周くん……!!」 「……あ」  真人がいる。真人の匂いがする。  失われかけていた『人間』としての何かが、ギリギリで踏みとどまる。周の指から力が抜け、解放された小太り男は、その場にべたんとへたり込んだ。 「……まさひと」 「周くん、もう大丈夫やから。とにかく、落ち着いて。……大丈夫」  部屋の惨状を見て、異常事態だと察したのだろう。真人は静かな口調で周の名を呼びながら、ゆっくりと近づいてきた。  乱れた着衣に、手首には引き千切った手錠の輪。吸血時でもないのに牙を剥き、目を爛々と光らせて、口元は食いついた男の血で汚れ――ひどい有様だ。まるで鬼だ。本物の化け物だ。 「……真人……」  ――こんなとこ、見られたくなかった。……真人にだけは……。  そう思うと、どっと目から涙が溢れる。このまま、ここから逃げ出してしまいたかった。  だが次の瞬間、周はしっかりと真人に抱きしめられていた。力強く周を抱き、大きな身体で包み込む真人の体温が、周の昂った肉体と精神を凪いでゆく。 「巻き込んでごめん。ごめんな。怖かったやろ」 「っ……ちがう、おれのせい。俺が、こんなだから……」 「周くんのせいやない。……遅くなってごめん。ごめんな」 「っ……う、ぅうっ……うぅ……」  真人に抱かれていると、ほっとした。灼けるように熱かった体温が、ゆっくりと平静さを取り戻してゆく。  しゃくりあげて泣く周をしっかりと包み込む真人も、はぁ〜……と安堵のため息を漏らしていた。 「おーおーおー、こらすごい。これ全部お前がやったんか? うーわ、こっわ」  ふと、路生の間延びした声がした。泣きべそ顔で路生のほうへ顔を向けると、顔面蒼白になった眼鏡男の首根っこを掴んだ路生が、周を見てニヤリと笑った。 「あのなぁお前。そういうとこが色気ないねんて。自分で悪者ブチのめしてどないすんねん。ヒロインよろしく真人に助けてもろたら良かったやろに」 「……は、はぁ!? う、うるせーんだよバカ!! うわああん!!」 「よしよし。……おい路生、こんなときに何言うねん! デリカシーのないやつやな!」 「へいへい、すんませんなぁ」  その時、路生の目の色が、金色に染まっていることに周は気づいた。そして、そんな路生と普通に会話している真人にも。ここへ来るまでの間に、二人にどのような会話があったのかは分からないが、この異常事態を機に、路生は真人に正体を明かしたのだろう。  涙を拳で拭い、真人の腕の中から路生を見遣る。路生は意味ありげな視線を周に返したあと、唇だけでニィと笑った。そしてつかつかと小太り男の前に立ち、腕組みをした。 「さぁて、どないしましょね。エイル製薬株式会社の社長補佐でありながら、人身売買常習犯で、ショタコンで変態の馬飼彦一さん」 「なっ……なんだ貴様!! 言っとくけどな! け、警察に通報したって無駄だからな! あのオークションには、警察のお偉いやつらだって参加して……」 「あらら、そんなこと口走っちゃってええんですかね。あのビデオカメラ、まだ動いてるみたいやけど」 「あっ……!」  さっき周を撮影しようとしていたビデオカメラには、今も赤いランプが点灯したままだ。レンズこそこちらを向いていないが、音声はばっちり記録されていることだろう。  今のこの状況が大人たちにとってどういう意味をなすものなのか、周はいまいち掴みかねている。  ――警察に言えないって、じゃあ、どうすりゃいいの……?   馬飼という男は、叩けばいくらでも埃が出そうだ。だが、馬飼が買い集め、性的に搾取している相手は吸血鬼である。  吸血鬼は、過去に数多の残虐な行為を行なってきた。一般の人々からしてみれば、周らの存在もまた危険であるとしか言いようがない。存在を世に明らかにされたくないのは、こちらも同じなのだ。  真人にしがみつく手に力が入る。だが真人は、微かに震える周の拳をそっと握って、微笑んで見せるではないか。その意味が分からず、周は不安げな顔のまま真人を見上げた。 「大丈夫」 「……え、でも」  真人の視線の先には、伸びてしまったボディガードたちを結束バンドで縛り上げ、一箇所に転がしている二人の男の姿がある。金髪と、銀髪の浮世離れした男たちだ。彼らの匂いに違和感を感じた周は、ひくひくと鼻をひくつかせた。 「……こいつら、何? え……人間?」 「おお……分かるんや。この人らは――」  真人が説明を始める前に、銀髪の男が周の方に近づいてきた。肩につくほどの銀色の髪は、ゆるやかに波打っている。見た目はおっとりした好青年だが、妙な威圧感に怯えてしまう。 「月森周くんですね。私は、SDPOの一色と申します」 「SD……なに? え、誰?」 「宇都宮中央医療センターの石部先生から連絡をもらいまいしてね。君と突然連絡が取れなくなったと」 「石部先生……?」  十歳でこの体質が発覚して以来、石部医師にはずっと世話になっていた。親身になって優しくしてくれるような男ではなかったが、唯一周の体質を理解し、気にかけてくれていた大人である。    一色と名乗った銀髪の男は、真人の上着を羽織った周の肩にぽんと手を置き、色のない口元を緩めてこう言った。 「誘拐されて、自力で犯人グループを壊滅させるヴァンパイアは珍しい。君のおかげで、闇オークションの首謀者組織に斬り込めそうだ。ご協力、感謝します」 「あ、はい……」  何となく逆らい難い雰囲気で、周は真人から身体を離して姿勢を正した。緊張の面持ちをした周の隣で、真人が一色に向かってこう問いかけた。 「ところで一色さん……あなたは何という生き物……い、いや、何の末裔なんですか?」 「僕ですか? 知りたいです?」  一色は、紫水晶のようにきらめく瞳を真人に向け、にっこりと満面の笑顔を浮かべた。そして、細い月のようにつり上がった唇からちらりと舌を覗かせる。  赤く濡れた舌をどうするつもりなのかと見守っていると、それは見る間に形を変え、しゅるりとした細く長い舌に変化したではないか。しかも、先端は中央はきれいに二股だ。スプリットタンというやつだ。 「僕は、かつて蛇神が人に生ませた異形の血を引いてます。蛇神様ですよ」 「へ、へび……」 「ふふふ……怖いでしょう? でも、僕と仲良くしてるとよくお金が貯まります」 「……へ、へぇ……」  舌をチロチロと揺らしながら器用に喋る一色を相手に、真人は引きつった笑みを浮かべながら周を抱き寄せ、じりじりと後退する。するともう一人の金髪の男がツカツカとこちらへ歩いてきた。 「こら! 一般人にそんなもん見せるな!」 「はいはい、すみません」 「まったく。……すいませんね、気にしないでください」 「はあ……」    妙なものを見せられて気にしないでいられるわけはないのだが、周と真人は揃って素直に頷いた。

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