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第30話 クリスマスを前に

   それからひと月あまりが過ぎ、街はクリスマス本番を控え、よりいっそうきらめきを増していた。  明日はクリスマスイブ。  キリスト教徒でもなんでもない周だが、今年のクリスマスは妙にそわそわと浮き足だったような気分で過ごしている。  街を彩るキラキラしたイルミネーションや、可愛くデフォルメされたサンタやトナカイの姿を見ていると、これから楽しいことがやってくるのだという、不思議な期待が胸をくすぐる。  幼い頃も、こういうふわふわした気持ちを感じていた。だが、ヴァンパイアの性質が出現してからというもの、周の家族はこういった祝い事に関心を抱けなくなった。親は敢えてのようにその日に仕事を入れ、テレビから流れてくる浮かれたジングルベルを聴きながら、周は一人ぼっちで夜を過ごしていたものだった。  周が寂しいクリスマスの過去を語ると、真人は鼻をすすりながら『ベタやけど、フライドチキンめっちゃ予約しとく』と言った。そんなことしなくていい、普通でいいのだといくら周が言ってみても、真人は『ツリーポチったで』とか『うちの無駄な植木、イルミネーションでキラッキラにしたる』とか、『サンタコスはさすがに無理やけど、何や欲しいもんあったら言いや』と親戚のおじさんのようなことを言い、週末に買い物に行こうと誘ってくれたりして――  欲しいものなど何もないけれど、ああして真人が周のためにと心を砕いてくれることが、とてもとても嬉しかった。さすがに甘え過ぎているからと遠慮する周に向かって、真人は『僕もこういうの縁なかったし、楽しみやで』といって笑ってくれるのだ。  ――クリスマスって、カップルはみんなエッチすんのかなぁ。俺もなんかこう、色気とか出したほうがいいのかな……っつっても、色気ってどうやって出せばいいんだ?  高校入試用の参考書を開きつつも、周の心は上の空だ。窓辺に置かれた二メートル級のクリスマスツリーを見上げているだけで、ふわふわと空を舞う粉雪のように、朝から晩まで浮かれている。  だが、そんな周を戒めるように、来客を知らせるインターホンの電子音が響き渡った。 「こんにちは。いやぁ、寒いですねぇ」  黒いコートの肩についた雪を払いながら、狐男・桐堂香澄が家の中に入ってくる。ブロンドヘアのなせるわざか、黒いハットを被った桐堂の姿はどこぞの英国紳士のようだ。黒が逞しい体躯によく映えて、格好がいい。  その後ろからついてくるのは一色ではなく、路生だった。路生はラフなダウンジャケットにジーパンという若々しい格好だ。こういう格好をしていると、とても三十三歳には見えない。 「ちゃんと勉強しとったか? 無謀にも受験生やろ?」 「うっせーな、ちゃんとしてたし」 「ほんまかぁ? その割にはゆるい顔してんで」 「そ……そんなことねーし」  と言いつつ、コーヒーメーカーを起動してもてなしの準備をする。桐堂が差し入れにと持ってきてくれたのは、某有名洋菓子店のシュトーレンだ。テレビで聞いたことのある店名に、周は目を輝かせた。 「すげぇ〜! テレビで見たやつ! 桐堂さん、ありがとうございます」 「ううん、僕も食べたかったんだ」 「すぐコーヒー淹れますね、座っててください。あ、紅茶の方がいいんでしたっけ?」 「よく知ってるなぁ。そうなんだよ、紅茶党でね」 「……なぁ、俺とキツネ男に対する態度違いすぎん?」  いそいそと紅茶のカップを準備する周に向かって、路生が不服げな声を上げている。周はふんと鼻を鳴らした。 「そうかぁ? かわんねーだろ」 「いやいや、ほら、言葉遣い! 俺はお前の大先輩やで? もっと敬えや」 「へいへい」 「……可愛げのない」  ブスッと頬を膨らませる路生と周を見比べて、桐堂が喉の奥で笑っている。ほどなくして、和やかなティータイムとあいなった。  優雅な所作でティーカップを持ち、微笑みを浮かべつつ香りを楽しむ桐堂のまわりだけ、きらびやかなシャンデリアが見えてきそうだ。 「さて、受験する高校は決まったそうだね」 「はい」 「そこそこハイレベルな高校らしいけど、大丈夫かな?」 「俺、そこまで成績悪くなかったんで。頑張れば……多分……」 「そうそう、優秀なご友人が家庭教師をしてくれてるんだって?」 「そうなんですよ。でもきびしーのなんのって……」  あれから桜間隆太はすっかり健康な肉体を取り戻し、半年間の休学を経て復学した。長期間休んでいたのだから、留年するという選択肢もあったのだろうが、隆太は周の想像以上に優秀であったらしく、クラスメイトたちと共に進級することが決まっている。  そのために隆太が猛勉強していたことは、周もよく知っている。もたもた留年なんてしていられない。自分はさっさと大人になりたいのだと、隆太が頑張っていることも。  路生へ憧れを抱いている隆太は、必死で大人になろうとしているのだ。  とはいえ、路生の性格をよくよく知る周としては、ふたりの関係を手放しで応援することはできていない。隆太のようにまっすぐな若者が、こんなややこしい三十路男にひっかかることはない……と思っているのだが。  ちら、路生を見遣ると、ばっちりと目が合った。 「で、ここ最近はちゃんと真人から血ぃもろてんのか?」 「えっ? あ、うん……もらってる」 「いつぞやみたいに、一般人に牙剥くとかありえへんからな。あの時は、ベテランナースの林田さんやったから良かったようなものの……」 「え、林田さん……まさか、バレてる?」  あの日、飢えに気づかず、荒れ果てた気分のまま凄んでしまった看護師のことを思い出す。路生は深くゆっくり頷いて、「バレてるで。……といっても、林田さんもプロやから肝は座ってはる。安心し」と言った。 「そういえば、蘇我という男は依願退職したそうだね」 「あ……ああ、うん、らしいっすね」  蘇我の趣味が災いして、周がああしてトラブルに巻き込まれてしまったことは、当の本人も知るところとなった。蘇我に対しては、SDPOからではなく警察の方から話がなされ、問題のサイトは閉鎖された。そして、真人と周に対して罪悪感を抱いたのか、蘇我はあっという間に身辺整理を済ませ、大学を離れてしまったのだという。  無理もないことだろう、と真人は言っていた。『Vamp1』についての情報をエイル製薬に流したのも、蘇我だったのだ。  蘇我は真人に近く、隆太が治癒したことも気づいていた。こっそり真人の持つデータを盗み見ることもできたのだ。そしてそれを、同じ趣味友達であるあの男・馬飼に雑談程度に話してしまった。ネット上では素性が明かしていなかった馬飼だ。蘇我も、相手がエイル製薬の人間だとは思ってもみなかったのだという。  真人に隙があったことも事実だが、守秘義務違反については咎めざるを得ない。研究内容を軽々しく外部に流してしまうなど、あってはならないことなのだ。  そしてこれは警察を通じて桐堂から聞いたことだが、蘇我の所有するPCには、周の写真が山ほど保存されていたらしい。それらは全て隠し撮りだ。他の少年の写真も大量に発見されたことで、その点についても警察から追及を受けることになるようだ。  馬飼もまた逮捕されたが、このニュースは一切報道されていない。警察とエイル製薬との間で、取引がなされたのだ。……と、これもまた桐堂から聞いたことだ。  真人と周に対しての謝罪はいまだにない。だが、もう関わり合いたくもない相手だ。後味の悪い幕引きだが、こうして周の生活には再び平穏がもたらされた。  周は高校へ進学することを決め、無謀にも受験に挑むことになっている。  真人の保護下にあるということは、周の両親にも連絡が行っている。だが、両親からの連絡はまだない。今後はSDPOが間に入って、家族との面談などを調整すると言ってくれているのだが、それはまた少し先の話になりそうだ。  特に母親の方は、周を生理的に嫌悪しているといっても過言ではなかった。周としても、このまま縁が切れても仕方がないだろうと思っているのだが、真人が『一度会って話をしないと』と言って聞かないのである。 「義理堅いからなぁ、真人は。ま、とりあえずはお前の受験が終わらな進まへん話やけど」 「まぁ……そりゃそうだな。それに、真人も忙しいし」 「せやなぁ」  本格的にSDPOと協働して新薬開発に乗り出した真人は、これまでにも増して多忙の身だ。もっぱら蛇男・一色との付き合いが増えた真人の口からは、しばしば一色に関するぼやきを聞く機会が増えた。行動が不気味で怖いらしい。  これまでずっと、自分はこの世界から切り離された存在だと思い込んでいた周だが、桐堂や一色、そして路生という頼もしい先輩と出会えたことで、自分の存在を卑下することがなくなった。『こういう奴もいていいんだ』と、気軽に捉えることができるようになった。そう考えることができるようになってからは、なんだか心も軽いのだ。 「……ってか、桐堂さん食うの早っ。もっと食べますか?」  ふと気づくと、桐堂の皿は空っぽになっている。茶菓子にと出したシュトーレンは、思った以上に甘かった。周も路生も、コーヒーと共にゆっくり口に運んでいたのだが。 「お、いいの? いやぁ、甘いもの大好きなんだよ」 「自分で持ってきて全部食い尽くすとかどないやねん。それにこれ、めっちゃ甘いやん。ガツガツ食うもんでもないやろ」 「そう? おいしいじゃないか。より食欲が湧いてくる」 「信じられへん……」  気のおけないやりとりをしている路生と桐堂を見比べて、周はこう声をかけた。 「なんか仲良いじゃん、路生と桐堂さん。いつからの付き合いなの?」 「いや、別に仲良うないし。知り合ったんもあん時やで? お前が拉致られた事件の」 「え? そうなの!?」 「ふふ、孤高に生きるもの同士、通じるものがあるんですよ」 「孤高かぁ?」  路生いわく、桐堂の自宅には二十匹あまりの動物が飼育されているらしい。街中に棄てられた迷い犬や猫、またはフェレットやハムスターなどを見るとかわいそうになり、ついつい連れて帰ってしまうのだという。 「ていうか路生、桐堂さんの家とか行くんだ。何それ、すげぇ仲いいじゃん」 「いやあれは……ちゃうで。蛇の人もおったし」 「まあ、彼は途中で帰ったけどね」 と、桐堂が口を挟んでおっとりと微笑むと、路生が余計なことを言うなとばかりにじろりと桐堂を睨んでいる。だが、桐堂はうまそうに紅茶を飲み干して素知らぬ顔だ。周は何だか面白くなってきてしまった。 「別に言い訳しなくてもよくね? へぇ、やっぱ仲良いんだ」 「良うないて。周救出がうまくいったお礼にって、食事誘われて……。ほんで、ほら、終電なくなったし。モフモフ屋敷で飲み直そかって……」 「ふぅーん」 「何やその目は」 「別に」  二人がどういう関係なのかは多少気になるところではあるが、周はふと、隆太の存在を思い出す。  ――お、まさか三角関係? ……いや、おもしろがっちゃいけねーな。  紅茶のおかわりを作るべく湯を沸かしながら、周はいそいそとシュトーレンを切り分けた。

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