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安心できる場所(2)

 九條(くじょう)彰史(あきふみ)。  それが彼の名前。 「九條さん。あの、本当に僕、見ず知らずの貴方にお世話になる訳には……」  家のリビングでコーヒーを飲みながらでは説得力もないかもしれないけど、僕は一応、彰史さんの申し出を断っているつもりだ。 「家賃を取ったりはしないから気にするな。あ、でも、俺の仕事の手伝いとかしてくれると助かるな」 「あの、だから、此処でお世話になる気はないって……」  彼の仕事は、動物の病気や怪我を治すこと。  つまり、彼は獣医で、知り合いの獣医仲間が勤める動物園の出産の手伝いに行った帰り道に僕と出逢ったらしい。 「とりあえず今夜は俺のベッドを使うとして、最低限必要な物は明日買いに行こう」 「九條さん、僕の話を……」 「そろそろ夕食の準備をしようと思うけど、水月は嫌いな物とかあるか?」 「いえ、特には」 「ん、お利口さん」  まるで小さな子供をあやすみたいに彰史さんは僕の頭をぽんぽんと撫でる。  そんな風にされたことなどないので、何だか(くすぐ)ったい気持ちが胸に広がっていく。  ほんわかとした気持ちに浸りかけた僕だけど、次の瞬間、ハッと我に返り 「僕の好き嫌いはどうでもいいんです。そうじゃなくて、九條さん……!」 「んー? 美味しいの作ってやるから、ちょっと待ってろって」  キッチンに立ち、鼻歌交じりに調理を始める彰史さん。  何だかもうすっかり彼のペースに巻き込まれてしまった僕は、がっくりと肩を落とし脱力するしかなかった。    ◆◇◆◇◆  夕食後、後片付けは二人でやった。  男妾として白龍に引き取られる前は親類の家の手伝いをやらされていたけど、白龍の屋敷では全て紅龍か使用人がやってくれていたから。  久しぶりにやったせいか、多少ぎこちなくて洗っている皿を落としそうになって、彰史さんをヒヤヒヤさせたりする場面も何度かあった。 「水月のお陰で片付けが早く終わったな。ありがとう」 「いいえ。こちらこそ、夕食とても美味しかったです。ありがとうございます」 「どういたしまして。……それにしても日本語上手いな、水月。誰から習ったんだ?」  彰史さんの質問に、胸の奥が小さく痛む。 「……紅龍が教えてくれたんです」 「紅龍?」  コクンと頷く僕。 「僕の、兄……みたいな人です」  いつも僕を見守っててくれた優しい人。  僕を逃がしたことで、白龍から咎を受けたに違いない。  やっぱり、今からでもあそこに戻った方がいいのかな……。 「……ユエ……水月。水月!?」  自分の思考に入り込んでいた僕は、名前を呼ばれていることに気付きハッとする。 「水月、どうした? いきなりぼんやりして」  目の前、かなり近い距離に彰史さんの顔があった。 「えっ、あ、九條さん……。いえ、別にどうもしません。ただ、ちょっと考え事をしてただけで……」  と言うか、顔近すぎです、彰史さん。  彰史さんの(はしばみ)色の瞳に、僕が映ってるのが見えたと同時に、心がざわつく。 「……っ」  こんな綺麗な瞳に、汚れた僕を映すのはいけないことなんじゃないか?  そう思ったら、彰史さんの顔を見ることが出来なくなり、僕は目を反らした。 「水月?」 「あのっ、今日はちょっと疲れたからもう休ませてもらってもいいですか?」  僕の態度をいぶかしんだ彼が何か言おうとしたのを遮って、僕は言葉を発した。 「ん? ああ、それは構わないけど……。ベッドルームはそっちだよ」 「ありがとうございます。それじゃあ、おやすみなさい」  彼と視線を合わせないよう俯き加減でそう言うと、僕はベッドルームに逃げ込むように入った。 「ああ、おやすみ……」  訳が解らず戸惑ったような彰史さんの声が背後から聞こえた。    ◆◇◆◇◆ 「もしもし……? ああ……、うん。心配するな、俺の家にいる」  誰かが、何か話してる?  何を話してるの?  小声でよく聞こえない。 「余程疲れてたんだろうな。ぐっすり寝てる……」  僕の髪を撫でているのは、誰?  僕の頬を撫でているのは、誰?  大きくて優しい手。  すごく……安心する。 「大丈夫だよ。上手くやるから……。それじゃあ、またな」 「……う、ん……」  人の声で、僕の意識は眠りの園から現実の世界へ引き戻される。 「起こしちゃったか? 悪いな」 「ん……、九條さん……?」

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