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第9話 五条 四

「そこな稚児、待たれよ。」  低い、腹に響くような深く厚みのある声が、遮那王を呼び止めた。 「その腰のものを置いていけ。」  遮那王はちらりと顔を上げて、男の顔を見た。太いが整った眉、ぎらりと光る大きな眼、厚みのある引き締まった口元に、高く大ぶりな鼻。 ー成る程、須佐之男似の益荒雄振りよな。ー  悪くはない。目が合った。男は一瞬、遮那王の異形の瞳に気圧されたかに見えた---が、ふっと笑って再び言葉を継いだ。 「聞こえなんだか? その刀を置いていけ。化け猫めが。」 「断る。」  遮那王は、半ば、むっ-------として、答えた。 「我れは、遮那王。化け猫などではないわ。」  男の腕が動いた。ぶん------と薙刀が宙を裂いた。遮那王は、すぃ---と交わして欄干に飛び乗った。男は眉を吊り上げ、今ひと度、薙刀を遮那王の立つ欄干に振り降ろした。遮那王は、これもすらりと避けて、男の背後の橋板に音もなく降りた。 「無礼なやつ---。この遮那王が退治てやろうぞ。」  言って、遮那王は刀---ではなく、手にした笛を振りかざした。一閃の光が走り、男の法衣を切り裂いた。 「おのれ妖怪め----。その刀を寄越せ。妖かしの帯たる刀とあらば、妖刀に相違あるまい。我れに寄越せ。」  男は言って、尚も薙刀を振り回す。遮那王に裂かれた衣の下から覗くのは、鎖帷子---僧形の墨染の衣の内は戦士の拵えらしい。 「ますますもって失敬なやつ。欲しくば力ずくで奪ってみよ。」  遮那王は、不敵に男を嘲笑い、ひらりと刃をかわして、手刀を振る。その度に男の衣は裂ける。---が、不思議に怯むことなく向かってくる。 ーなかなかに、骨があるのぅ。------ー  鬼、と異名を取るだけのことはある。いや、真に鬼なのか------。  遮那王は、つぃ---と身を翻し、男の頭巾を剥いだ。残念なことに角は無かった。---が、その頭皮には、呪詛の証の黒い紋様がはっきりと浮かんでいた。  遮那王は、一瞬息を呑んだ。そして皮膚に浮き出た忌まわしい紋様を斜め一閃に切り裂くように刀傷が走っていた。 「そなた、鬼道の贄であったか。」  遮那王は、ついに息を切らし、橋の上に座り込んだ男に問うた。 「おうよ。我が呪詛を解くために、千本の刀が要るのじゃ。解かねば儂は鬼となってしまう。」 「なればよい。」  遮那王は、躊躇いもなく言い放った。男の顔が、驚愕と苦痛に歪んだ。 「そなた、山法師であろう。既に幾人もの人を殺めておるであろうに。既に鬼と変わらぬ身ではないか。」 「違う!」  男は咆哮のごとき叫びを上げた。 「殺めようと思って殺めたわけではない。殺めたくて殺めたわけではない。儂の血が---、血が儂を狂わせた。------狂わせるのだ。」  絞り出すような呟きだった。喉を引き吊らせて、咽ぶように男は言って、顔をその分厚い手で覆った。  遮那王は、ふぅ---と息をつき、男の顔を覗き込んだ。 「我れは、化け猫ではない。------魔王の申し子。この世に在ってはならぬもの。だが---。」  遮那王は、自分でも思いがけぬことを口走っていた。 「そなたの呪詛、抑えてやれぬでもない。」  男の手が顔から離れた。遮那王の異形の瞳を畏怖と驚愕の入り交じった目が見上げていた。 すがるような目線だった。 「まことか---。」 「恐らくは。----そなた、名はなんという?」 「武蔵坊弁慶----と」  遮那王は、小さく頷いた。 「そなたの内の鬼の血の猛り、我れが鎮めてやろう。----そなたのねぐらは何処ぞ。案内いたせ。」  男はゆっくりと立ち上がり、改めて自分の半分ほどの身の丈の少年を見つめた。 「その代わり、我れの僕となれ。」  男の首がゆっくりと頷いた。

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