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第90話 カクライ先輩の正体

 この、不貞腐れた声。  ぼくの鼓膜に焼き付いているので、間違えようがない。  ──ぼくの、大好きな人だ。  ドン! ともう一度ドアが軋んだのを見て、それは聖先輩が蹴りを入れているからだと分かった。  カクライ先輩は腰を抜かしたようにぼくの上から降りる。 「早く」  また聖先輩の低音が聞こえてくると、男たちは顔面蒼白になる。  冷静な声で多くを語らないところが、恐怖を倍増させている。  カクライ先輩はぼくとドアを交互に見ている。パニックになっているみたいだ。 「お前、聖先輩に言ったのかよ!」 「言ってませんよ! 命賭けますっ」  すると教室の前のドアの鍵が空き、横に引かれた。  そこから顔を覗かせたのは、乙葉と、歩太先輩だった。 「し、雫っ」  乙葉はぼくの方へ駆け寄ってくる。  ぼくは上半身を起き上がらせた。ズボンを上げ、ボタンを留めるのを手伝ってもらっていると、歩太先輩の隣に聖先輩が立っていた。  ごくり、と生唾を飲み込む。  聖先輩は、ぼくのこの姿を冷淡な目で見ている。そして横に視線をずらし、怯えて苦笑いする男たちを一瞥したあと、カクライ先輩を獰猛な肉食獣のような目をして見つめ続けていた。  か、カクライ先輩、殺される……  そんな心配をしていたら、乙葉もカクライ先輩をキッと睨んだ。 「こんなことして、何になるんですか! カクライ先輩!」  ビクリと肩を跳ねさせたカクライ先輩は、座ったまま気まずそうに床に視線を落としたままだ。  そんなカクライ先輩の前に、歩太先輩がゆっくりと歩み寄る。 「まさか、お前がこんなことをするだなんて……カクライ」  ますます縮こまるカクライ先輩を見て、ぼくは状況が把握しきれなかった。歩太先輩も、どうやらこの人の事を知っているらしい。  聖先輩が徐に、ポケットからマカロンのキーホルダーが付いた鍵を取り出し、輪っかの部分に指を入れてくるくると回し始めた。 「おかしいと思ってたんだよ。俺のバックから何度か鍵が無くなって。そしたらちょうど、これを自転車置き場脇の草むらん中にわざと投げ捨ててる奴を乙葉が見つけてくれて。探している俺の所まで持ってきてくれた」  乙葉はぼくにうん、と頷いて見せた。 「どうしてこんなことをって訊いたら、それも素直に話してくれたんだ。どうやら聖先輩にはバレたくない作戦があったみたいで。その人は、あとが怖いからって言って慌てて帰っちゃいましたけど」 「あいつ……っ」  カクライ先輩は、乙葉の言葉に拳を握りしめた。  自転車置き場は、この空き教室とはかけ離れた場所にある。時間が稼げると思ったのだろうか。  空気が濃度を増していくなか、聖先輩はいよいよカクライ先輩の目の前に来て、見下ろした。 「小峰に怪我させるように言ったのも、鍵を取るように言ったのも、全部お前が指示したんだってな。思い出したよ。──加倉井(かくらい) (あきら)」  フルネームを告げると、先輩たちはじっと見つめ合う。  思い出したってことは……やっぱり、聖先輩とは面識があったみたいだ。 「乙葉に教えられるまで、お前だって全然気づかなかったよ。なんせ容姿も背も、あまりにも変わりすぎてる」  乙葉も歩太先輩も「うんうん」と納得しているが、ぼくとモブの男たちはキョトンとしていて、話に付いていけてない。  見かねた歩太先輩はぼくらに説明するように丁寧に話してくれた。 「加倉井は、中学のバスケ部で一緒にプレーしてた後輩だよ。すごく上手で、一年からレギュラーになってた。それで三年に目を付けられて嫌がらせを受けた時があって。小峰には、その事を話したと思うけど」  あぁ、あれか。聖先輩が先輩を殴っちゃった事件。  その時に聖先輩が守った相手が、この大きな背中を小さくしている加倉井先輩……?

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