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終章――千尋
死ねなかった。
いや、死にきれなかった。
入水した僕らは、近くで漁をしていた漁船に助けられ、一命をとりとめた。
互いの手首に巻かれた腰紐で、単なる水難事故ではない事がわかって警察沙汰となり、収容された病院で何度も事情聴取を受けた。
僕は、正直に話した。
大輔とは、高校から大学3年になる現在まで恋人として付き合っていたこと。
交際が大輔の親にバレて、反対されていたこと。大輔に断れない筋からの見合い話が持ち上がったこと。それに追い詰められて、死ぬつもりであの島に逃げたこと。
それを一緒に聞いていた母は、ずっと泣いていた。まともに産んでやれなくてごめんなさいと謝られた。
まともって、なんだろう。
僕にとって、大輔を愛していたことが当然でまともだったのに。
兄は何も言わなかったが、ずっと怒りを堪えていたようだった。退院後、僕の病室を訪ねた大輔を殴って追い返したことを聞いた。
大輔は兄に無抵抗で殴られた。そんな彼に、兄は「一緒に死ぬつもりだったのなら、同じ覚悟ですべて捨ててから千尋を迎えに来い」と告げたそうだ。
「待つのは、お前の自由だ」
「兄さん……」
大輔の事で兄と話したのは、後にも先にもそれきりだった。
何日待っても、何ヶ月待っても、何年待っても、大輔は来なかった。
そうするうちに、風の噂で彼が見合い結婚をした事を聞いて、もう待たなくてもいいんだと安堵した。
ただ、彼がそれを選んだことが幸せなのかどうかだけが気になった。
それから、数年後。
僕に、一通の手紙が届いた。
差出人は、大輔。
中には1枚の写真が同封されていた。
それは、あの海でたった1枚だけ撮った僕らの写真だった。
インスタントカメラで撮ったピントのあまり合ってない写真。微笑む2人の瞳には、必死な思いが見え隠れしていた。
手紙は、一行だけの短い文章。
『俺の心は、ここに置いてきたままだ』
ああ、大輔。
一緒だね、ずっと一緒だったんだね。
これを送ってきたということは、君なりに生きているってことだよね。
写真を眺めて一晩じゅう泣いたあと、僕は大輔からの手紙を燃やした。
白く灰になっていくそれらを見ながら、僕は静かに決意していた。
僕が死んだら、大輔の心があるあの海に自分の灰を流してもらおう。
もう自ら死を選ばない代わりに、それだけは叶えてもらおう。
「おじさーん!」
幼い声が、僕を呼ぶ。甥の弘輝だ。
「弘輝、あそびにきたの?」
「うん!」
うなずいた弘輝の笑顔が眩しい。
この子が大人になった時。
好きな人が異性でも同性でも、間違いではないという未来があるといい。
間違いだと糾弾され、死だけが魂の自由を得られる出会いなんて、僕らだけでいい。
そんな願いだけが、僕を生かしていた。
end.
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