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桂樹が『彩』家を名乗れなかった理由と、影に潜む思惑と-2
その頃、王宮の一室では頭を抱える者の姿があった。
謁見の間を過ぎた先にあるその部屋は、王宮のどの部屋よりも質素ではあったが、美しく降り注ぐ窓からの日差しが印象的な部屋でもあった。
「・・・・・・・・・」
「・・・本当にしなくてはならぬのだろうか」
か細い声が聞こえる。
艶のある長い黒髪を結わずに垂らしたまま、窓に凭れ掛かる姿は何処か艶を帯びており、誰が見ても見惚れる程に美しく、そして儚く見えた。
一枚の美人画から飛び出したような雰囲気を放つその者の肌の色は白く、傷一つ見つけることが出来ない。
きりりと引き締まった眉と整った鼻筋が印象的なその者は俯いていた顔を上げると、袖で顔を隠したまま眼前に控える臣下に視線を向けた。
か細く聞こえる声とは対照的に、薄く透き通る瞳の奥は燃えるように赤く、かえってそれが彼の意志の強さを表しているようにも見える。
歳は霜樹 王より少し若いだろうか?絹の袍を纏ったその者は、先程から何度も重い溜息を繰り返しては首を左右に振るという行為を繰り返している。
「・・・・・・お覚悟をお決めください。殿下」
「・・・・・・ううむ・・」
「殿下」
「・・う・・うぅ・・・だっ・・だって!おかしいだろう!嫁いでくる王妃は父上の妻になるのだぞ!年に差はあれど私にとっても母ではないか!そ・・その・・母になる方となど・・出来るわけが・・」
「・・・・・殿下・・」
「だっ・・だってそう思わないか!・・そんな・・・そんな・・」
「・・・陛下のご命令なのです・・・どうか・・」
「・・・むちゃくちゃだ・・・!」
声を荒げ、壁をバンと叩きながら臣下を見る。
その音に臆することなく、彼は声の主を見た。
「・・・殿下・・・一度で良いのです。殿下もこの眼で見たでしょう?あの惨状を・・」
「・・・・なっならば・・何故・・私は平気なのだ?私だって父上の血を継いでいる。父上だけではない。亡き母の血も継いでいるのだ。その証拠に私には悪い所なんてない・・体は・・確かに強くはないが・・他の亡くなった御子や母上のようにはならなかった・・」
「・・それは・・・」
「・・・何故だ・・」
「分かりませぬ・・・。ですが、陛下には何かお考えあっての事なのでしょう・・」
無茶苦茶だ。もう無茶苦茶だ。それが彼の答えだった。
父と同じように自分も妻を娶るというのなら話はまだ分かる。だが、この話はそうではないのだ。
『自分のモノが無理であるから、試しに他の者の種を寄越せなどと、そのような事あってはならぬ』
ズキリとこめかみの上に痛みが走る。一度目を伏せて後、床を見た。
「・・・・お前は・・」
「・・・はい」
「これ一度で・・済むと、お前は思うか・・・?」
「・・・・それは・・・」
「・・私は恐ろしい・・・この先にある景色は蛇の群れでしかない。それが、私は恐ろしいのだ・・」
「・・・殿下・・・」
その時、扉を叩く音が静かに聞こえた。
その音にびくりと顔をこわばらせながら、王子と臣下の男は互いに顔を見合わせたまま暫く何も話そうとはしなかったが、やがて礼の姿勢を解いた臣下が瞳を閉じたまま首を左右に二度振ったのである。
「・・・・・・・・・・」
その表情で彼もまた項垂れるように目を閉じた。
その頃、後宮の一室では嫁いだばかりの麗姫 と彩家当主である彩王霜樹 が顔を会わせていた。
嫁いだばかりであるというのに、挨拶もそこそこに後宮へと案内されたことで彼女は最初、首を傾げていたのだが、後宮に入る直前に見た官吏達の表情と侍女たちの会話で何となく嫌な予感が走っていたのだけは確かだった。
「長旅ご苦労であった」
「・・もったいないお言葉にございます。陛下」
そう話しながら、麗姫 はふと夫になる男に視線を向けた。
精悍な体つきに変化はないが、顔色は少し悪く、髪も艶が失われている。
此処に来る前に父である芺王から言われた言葉がふと脳裏を過った。
『彩王になられた霜樹 公は物静かで聡明な男だと聞く。ただ彼には何の罪もない。だが・・あの家は・・』
『父上?』
『・・・いや、忘れてくれ』
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・麗姫 ・・・」
「・・・陛下・・・」
「・・・そなたに話せばならぬことがある」
「・・・・それは・・どのような・・・」
「それは・・私が話します・・」
「・・・あなたは・・・」
不意に蝋燭の灯りが揺れる。
そこに立っていたのは、垂らしたままの黒髪と意志の強さを予感させる瞳が印象的な青年だった。
「・・・あなたは・・?」
「嗚呼。紹介しよう。この者は・・」
王が言いかけた言葉を手で制しながら、青年が麗姫 に視線を向けた。
その視線の熱さに彼女の息が、一瞬詰まったかに見えた。
「・・・告げずとも、名ぐらい自分で名乗れます。父上」
「・・・?」
その言葉に彼女の眉間に皺が出来る。
『この者は・・・一体・・・?』
「そうか・・・」
「ようこそ。我が王宮へ。第三王妃、麗姫 殿」
その声は低く、何処か棘があるように彼女の眼には映ったのである。
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