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消えた黒の天使

そろそろ、飛び級を考えていた時に、父親から呼び出された。 「何の御用でしょう? 父さん」 「エリン。お前に行ってもらいたい国がある」 「どこへ? フランス? それとも、イタリア?」 「日本だ」 「日本?」  聞けば、日本へ企業進出を果たすため、その統括責任者として渡日しろというのだ。しかも、系列の学校に編入した上で、だ。 「学校へ通いながらですか? 今さら?」 「日本なら、日本語を習得しているので語学学校へ行かずとも済むし、あの国の学業のレベルはともかく、ほとんどのハイスクールは規律がきちんとしているからな。お前なら、勉強など仕事の片手間で履修できるだろう」 いきなりな話だったが、何となくわかっていた。伯爵家の次男坊である俺の放蕩ぶりが、社交界から父親の耳にでも入ったのだろう。 スイス、フランスと寄宿舎生活を送ったが、とうとう東の果ての国に厄介払いされるというわけだ。 しかも、今の日本の高等教育システムには、飛び級はないという。最低二年間は学校という檻に閉じ込められ、さらに父親の事業の手伝いまでさせられるとは。何処までも自分を縛りつける父親のやり方には、うんざりした。 「行ってくれるな?」  口調は問いかけであったが、これは命令だ。しかも、伯爵家当主からの。 「わかりました。編入は何月から?」 「あそこは、来月から新学期だそうだ。進出のためのリサーチも必要だから、準備が整い次第発ってくれ」 「はい」  横暴な絶対君主である父親だが、この結果に感謝もしている。  学校で日本語を修得していた自分にとって、日本は行きたい国のひとつでもあった。   食べ物が壊滅的に不味い母国において、日本食の美味さは格別だったし、知り合う日本人の誰もが相手を尊重し、親切で礼儀正しい。   だが、一番気に入ってるのは、濡羽色の髪と肌理の細かい肌だろう。チャイニーズやコリアンも悪くはないが、大陸の乾季を知らない湿度を程よく保ったそれには敵わない。  寄宿舎生活のおかげで、俺は独自の人脈を得ていた。もちろん、日本へのコネクションもあった。来日しても困らない程度のものでしかなかったが。  国を出てしまえば、きちんと業務をこなせば、何をやろうがこちらの自由だ。日本は、欧州の社交界とは縁が濃いとはいえない。  厄介払いは、むしろ大歓迎だ。  せめて、この退屈な日々を変えてくれる何かが、あの小さな国にあればいい。それだけしか、考えていなかった。 目覚めた時、空虚な己の腕の中にため息をこぼすしかなかった。 (逃げられた……)  ふざけたパーティーで見つけた、黒髪の天使。  自分だけのものだと、逃がさないつもりで躯の隅々に刻印を打ち、夜通し抱きつくしたのに。それを嘲笑うかのように、彼は何の痕跡も残さず消え去った。 『ミカル様、入ってもよろしいでしょうか?』  ノックと共に、慇懃とした低音が聞こえてきた。ほどなくして、一分の隙もないスーツ姿の男が寝室に入ってきた。世話役のロバートだ。 『早くお支度をなさらないと、学校のお時間に──』 『わかっている』  朝から、うるさい小言は聞きたくない。俺は手早くシャワーを浴びて身支度を整える。 『学校など、面倒くさいな』 『そう仰らずに、新しいご友人との出会いがあるやもしれませんし……』  控え目ながらもやんわりと諭す世話役に、鼻で笑って応えた。  1時間後。  まさか、彼の言うとおりになってしまうとは、少しも気付かずに。 end (C)葛城えりゅ 2008.01.30 修正:2019.10.27

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