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第3話

 ひさしぶりに、「物乞い」という言葉をきいた。夢使いに対する、一般的な罵倒だ。その昔、夢使いの多くが放浪し、一宿一飯の礼に香音を鳴らした。だんだんに定住するものが増えた今、わたしのように副業とするほうが多いだろう。今ではちゃんと組合さえあるというのに、物珍しさと異なる能力への反撥ゆえか、差別は色濃くあるようだ。 それでも、数十年前までは、夢使いはもっと生きやすかったそうだ。力のある夢使いは尊崇をあつめ、御殿のような家に住むものもあったと聞く。もちろん、夢使いは公職につくことはできないし、当時から差別するひともいた。けれど、道化のように思われてはいなかったはずだ。  田舎よりこの街の相場はずっと高いが、要領の悪いわたしはただ働きのことも多い。実をいえば、わたしに話すことをやめてしまったひとたち――おのれの夢を他者に明かすことを恥じ、恐れ、忌避しようとしたひとたち――に、彼らの「夢」を届けていた。それはささやかな一夜の慰め、泡のように儚い幸福ではあるけれど、望むことそれ自体は悪ではない。わたしはそう、思っている。  じっさい、無料奉仕をしたとて規則違反となるほどのことではない。それと同時に、そうしたからといって彼らに感謝されるわけでもなく顧客がふえるわけでもない。わたしの自己満足とこの能力を錆びつかせないために練習台になってもらったささやかな御礼だといえば、不遜だろうか。  ほんとうのところ、相手の話を聞かなくとも、夢使いには「夢」の香音が聞こえる。もっといえば、わたしには、その「夢」の内容は見えない。つまり、依頼人は「夢使い」に見たい夢の中身を話す必要はないのだが、それは何があろうと隠しておかなければならない秘密だった。  かつてわたしはその謎を師に尋ねたことがある。師は、わたしの両目の真ん中あたりをじっと見据えるようにしてしわがれ声でこたえた。  それは、依頼人に内省を促すためでも欲望の熱を冷ますためでもなく、ただ、われら夢使いの与り知らぬ言霊を呼び寄せるためのこと――  はるか昔、この視界の王たる夢秤王は、香音を聞き分けられるひとびとに視界樹から作られた夢秤を授けることを約束した。爾来、夢使いはひとびとのあがないによって、視界樹の幹からおりる夢を聞き、そのひとの望む「夢」へと違えつづけている。  たまに、わたし自身、これが割に合わない仕事だと思うこともある。ちかごろでは夢自体みることを忘れているひとも多く、廃業する夢使いも多いときく。それでも夢秤を遊ばせておくことはできないし、香音を鳴らし続けねば東から夜が明けることはない。  都会ではそんなことさえ忘れられているように思えたが、それだとて、わざわざ口にする必要もない。畢竟、わたしの不満は誰かに自分を理解してもらいたいという、ただそれだけのことなのだ。

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