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第二部「階梯と車輪」7

「ねえ、うち、来ない? 来れるんだったら来てほしいの」  翌日の朝、委員長から電話があった。開口一番それで、おはようも何もなかった。少々面食らったものの、初めての依頼の際、こういう切羽詰った話し方をするひとは存外多い。 「今夜ですか?」 「なんで敬語なの」 「依頼かと思って……」 「うん、依頼です。でも同級生なんだから敬語つかわないでよ。気まずいじゃない」  気まずいのはこちらだと、彼女は気づかないふりをした。昨日やかつての失態をないものとして扱ってくれるものなのか、それとも今夜あれこれ問い質されるのか。それはともかく、 「急なはなしだね」 「都合悪い?」 「そうじゃないよ。委員長のほうで何かあったのかと」  電話の向こうでひとしきりの沈黙が落ち、僕は電話をもつ手に力が入っているとわかる。ところが、 「そういう勘のいいとこ変わらないけど、前よりずっと素直でいいね」  明るい声で返ってきた。こちらがそれに応答する前に、時間と待ち合わせ場所を指示された。復唱しつつ頭のすみで、女性のひとり住まいに泊まっていいものか、または「標し」を持っていくべきかなど、どう切り出そうか考えていた。それが伝わったらしく、 「古式ゆかしい、いかにも伝統的なやり方でお願いしたいの。初めてだから」 「なるほど。じゃあ詳細はメールで連絡する。ガイドラインもあるし購い料のことなんかも書いてある。それを読んでからのほうがいいかもしれない」  ありがとう、ちょっと緊張するね、と彼女が小さく笑った。言葉と裏腹に楽しそうだったので僕もそれにつられて笑いそうになっていた。初めての依頼人と違い、知らない仲でないというのはこちらも楽だ。それに、気がついてみれば、独り立ちして後、彼女が初めての「知人の依頼者」だった。これは張り切らざるを得ない。  あなたに、あたしの何がわかるっていうの?    つまり、僕はそうとう浮かれていた。正確を期すと、浮上したかった。ある引っ掛かりを、べつの場所で慰撫して気持ちをどうにかおさめたくていたのだ。  玄関の白薔薇、優美なティーセット、こころ尽くしの料理、飾り物のようなデザート……僕は気づくのが遅れた。いや、違和感は確かにあった。僕は招かれざる客だった。だが、本来そこにいるべきはずの人物は自分ではないと、口に出すタイミングを見失っていた。  風呂はすませてきたが、彼女がちかくのスポーツクラブに行こうというので従った。ビジター用のチケットと風呂敷を渡された。用意がいいのは前からで、こちらが気兼ねするところを不思議に心得ていた。ほっとした。寛いでいたとも言っていい。  風呂敷に荷物を包みおえて振り返ると、彼女は布製のバッグを肩にひっかけて、そっちのほうが似合うと思って、と笑った。僕は苦笑した。悪い気はしなかった。  僕たちは二人、肩を並べて歩いた。行きは昔の話をした。たわいない思い出を。帰りは無言だった。ときどき、腕が触れ合った。彼女のまっすぐな黒髪を風がさらい、僕は、やわらかな淡い癖毛を思い出してかぶりを振る。彼女はそんな僕を見なかった。前を向いていた。その横顔がどこか遠くをのぞんでいるのを、息をひそめて見守った。

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