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第二部「階梯と車輪」14

 夕方シフトなのだから当然だが、店にはむろん彼がいる。店長はお客様がいらっしゃるのに大欠伸でわたしの顔をみて、んじゃ任せた、と手を振って帰っていった。彼はその背を見送ってすぐ隣に立った。 「風邪、平気ですか。なのに昨日は引き止めようとしてすみません」 「いえ、こちらこそ。休みましたから平気です」  わたしは目を合わせず返した。なぜ彼がいつも謝るのかがわからない。と考えて、こちらが先に謝罪しないからかと悟ったが今さら遅い。否、遅くはない。彼はいま、わたしの隣にいるのだから。たとえ勤務中とはいえ、ひとこと謝罪するくらいの時間はある。もちろん、昨夜のはなしを尋ねることも。  気遣わしげな顔をしたままの彼へと向きなおろうとした瞬間、 「綺麗なひとですね」  その言葉には首をかしげた。 「脈、あるんじゃないですか。昼休みにわざわざ家まで行くんですから」  委員長のことをさしているのだと気づくのに時間がかかった。 「いや、彼女は」 「店長が手放しで褒めるくらい仕事も出来るみたいだし、お似合いですよ」  何故ここで店長が出てくるのかもわからなかった。わたしは混乱していた。確かに仕事の出来るひとではあるだろう。だがそれのどこがわたしと似合いなのだ。何かの皮肉だろうか。あちらは大手企業に勤め男性並みに働き、わたしは高校を中退しバイトをしながら稼業に精を出している。これでわたしが自他共に認める立派な「夢使い」ならはなしも別だが、彼女とわたしはまるで釣りあわない。まして彼女は地元の名士のひとりむすめだ。その反対にわたしは天涯孤独の身の上で、なにがどう「似合い」なのか皆目見当がつかなかった。 「そういうはなしは彼女に失礼だからやめてくれないか」  強く言った覚えはない。だが、彼はとたんに青ざめた。ただでさえ白い顔から血の気がひいていた。 「……すみません、余計なことを」  慌てて首をふったが、彼はもうわたしを見てはいなかった。  それにしても、どうしてこうも相手のいうことにいちいち癇が立つのだろう。たぶん彼は、わたしが彼女を好きなのだと思っているからこそ「似合い」だと要らぬ世辞を言ってみせたのだ。さすがにそれは理解できた。休憩時間を潰して男の家に行くと告げた彼女にも咎がある。いまの彼のように、そうやって勘違いする男もいたはずだ。むろん、こうした誤解や行き違いの発端のすべてはわたしに責任がある。それはわかっている。だが、彼もいいかげん早合点が過ぎる。  ため息を押し殺してじぶんをなだめた。この苛立ちは彼へのそれでなく、おそらくはきっと、自身へのそれだ。  わたしはずっと、じぶんのこころを平らかにしておきたいと願ってきた。そうでなければ夢使いとして失格であると。だが、昨夜の過ちがあればこそ、わたしは彼女のあがないに立ち会えた。もちろんあの夢は彼女のそれでわたしの手柄でも何でもないが、あの馨りを聞けたのはこのわたしにとっても僥倖だ。ならば、 「今夜も会合があるのですか」  わたしは、商品棚を整理する彼の背に問うた。彼はゆっくりと振り返る。その色の淡い双眸がみひらかれ、わたしの顔を凝視する。 「ないようでしたら、今夜、お伺いします」  彼の唇がかすかに震えた。わたしはその応答を待たず、すぐさま続けた。 「遅くなりますが、それでよければ必ず」  頷きを目のはしにとらえ、開いたドアに目をむけた。二十四時間ウエルカムな態度とやらをわが身で体現できるものかと危ぶみながら、それでもこうしてここにいることを楽しもうとして。

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