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第二部「階梯と車輪」17

 彼が視線をもどす。麦茶を啜るわたしの顔を凝視する。いまにも溺れそうなひとの目をしていた。縋りつかれたほうが話は早いと感じて可笑しくなった。また、そんな理由で「夢使い」の研究を始めてしまう男がいる事実に驚いていた。わたしがそれで彼をどう思うのか考えたことがないのだろうか。 「あなたがたは」  わたしはそこで言葉をとめた。複数形にして、事を曖昧にするのは好かなかった。 「あなたは、それで何かしら問題が解決すると思っているのですか」 「いいえ、思いません」  さきほどと違い、平静とした声だった。 「実際に組織自体が一枚岩でないどころか、あなたがた夢使いは本来不羈奔放独立独歩の人間だ。そうそううまく事は運ばないことでしょう」 「では何故」 「新しい動きがあるからです」  わたしは茶碗をおいて問う。 「法律の問題ですか」 「いえ、ええとまあ、そちらの専門家もいますがおれが入ってるほうは資料館のほうで、アーカイブ化して小規模なりとも展示スペースを各地に設け、ひろく一般に公開しようという提案です」  けっして悪いだけのはなしではないと思えた。詳しいことをと身を乗り出すと、彼はあわてたように、 「まだ準備段階以前のもので。ただ、各地の博物館などで巡回展示から始めてみるのが穏当なところかと。もちろんそうしたイベントめいたものに貶めるなという反対もあります」 「そうでしょうね。去年までのわたしなら、そう言ったかもしれません」  彼はくすぐったいような素振りでこちらを見た。どうやらそうした堅物だと思われていたらしい。無理もない。 「この街にきて、意外にも多くのひとたちが夢使いに関心をもっているのだとわかりました。そもそも都会では七つの〈夢見式〉から失われて久しい。津々浦々にあった社は絶えて、視界樹の枝木は費えるばかりです。どこかの博物館に納まってしまえばそれはもう死んだものだといわれても、わたしたちは生きている。しかもてんでばらばらに。これでは生きているということ自体、知らないひともあることでしょう」 「いや、そこまでは……まさか、それはないですよ」 「どうかな。珍しがられるのは事実です」  わが身で知っていると匂わすと、彼は口をつぐんでうなだれた。わたしは茶碗の残りを飲み干した。おかわりしますか、と問われて無言で首をふる。何かを待つような顔をされた。たぶん、いま問えばいいのだ。  「あなたは、わたしに何も質問しない珍しいひとでした」  意味を図りかねたかのか、または真意を問うように瞳が揺れた。淡い色。異国のひとの血が混じっていると言われても信じられるくらい色素が薄い。白目が青く澄んでいて、子どものようだ。 「この街にきて、わたしがいちばん長く話をしたのはあなたです。一緒にすごした時間の長いのも。さらにはあなたに告白までされた。わたしはあのとき、わたしたちに誤解があるのは、この視界すべての問題なだけでなく、はなしをしないじぶんにも非があると言いました。その気持ちに今もかわりありません。だからこそ……」  言葉を紡ぎながら自身で問う。「わたしたち」とは、ここにいるふたりのことをさすのだろうか。彼は、そう受け取っただろうかと。わたしはきっと、興味があると言いながらわたしを避けた理由を知りたかった。だが、そう問うのはいかにも物欲しげに思えた。言葉を選ぶのに苦労し、思わずため息を漏らしたとたん、彼がおもむろに口をひらいた。 「手を、握ってもいいですか」  卓上におかれた形の良い手を凝視する。 「おれのことが、気持ち悪くなければですが」  彼が言い終える前に、わたしはその手の甲にそっと掌をおいた。  びっくりするほど冷たかった。

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