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第1話

 じりじりと肌を焼く日差しの中を走って帰ってきた(とおる)は、汗ばんだ手で模試の結果を握り締めて勢いよく玄関のドアを開けた。靴を脱ぐのももどかしく「兄さん、兄さん」と大声を出す。台所からおいしそうな匂いがしていて、透はリビングのドアを開けると振り向いて「おかえり」と笑いかけた兄の雪政(ゆきまさ)に駆け寄った。 「兄さん、僕北海道の大学受ける! やりたいことがあるんだ!」  ずっと雪政には黙っていたが、微妙な判定しか出ていなかった大学が今回の模試で圏内に入った。このままいけば合格も夢じゃない。そんな風に塾の講師に言われ、透はいてもたってもいられずに慌てて家に帰ってきたのだ。  だが、笑顔だった雪政の顔が瞬時に曇り、透は飛びつかんばかりに伸ばした腕をぴくりとひっこめた。 「北海道って、何言ってるんだよ透。東京からは通えないじゃないか」  至極当然のことを苦笑交じりに言われ、透は見せようとしていた模試の結果をぎゅっと握り締める。 「だから、家を出て一人暮らしを」 「家を出る?」  透が言い切る前に遮るような雪政の言葉が割って入った。  いつになく冷たい声音は雪政がひどく不機嫌になった時のものだ。  透が小学校高学年の時に、海外赴任になった父に母もついていき、このマンションで雪政と二人きりになった。金銭的な不自由はないにしても透の面倒をずっと見てきてくれたのは雪政だ。だから言い出しにくかった。両親のように雪政を置いて一人にしてしまうことも後ろめたかった。しかし心のどこかでは期待していたのだ。手放しで喜んでくれる兄の姿を。 「兄さん聞いて、僕」 「俺は仕事をやめるわけにはいかないんだよ。透もわかってるだろ?」 「だから僕一人で」 「透」  ひやりとした低く押し殺した声に透はびくりと肩を震わせる。近づいて透の首元をそろりと撫でた雪政は耳元でため息交じりにささやいた。 「透はわかってくれてると思ってたんだけどなぁ」  透にそこからの記憶はない。

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