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第11話 僕の子馬
高村さんと過ごす発情期 がどんどん苦痛を増してきた。爪と首の傷はいつものことだが、知らないうちに体のあちこちに引っ掻き傷ができていた。掻き毟っているみたいだけど、最中に蕁麻疹でも出てるのだろうか。掻き毟り防止なのか、たまに意識が浮上した時に手を縛られてることがある。そんな時の高村さんは、未知の生物を見るような嫌悪と恐怖が混じった形容し難い表情をしていた。
「日野くん、ちょうどよかった。君に渡したい物があったんだ。はいこれ」
いつものように偶然出会った藤代先輩から話しかけられ、掌に収まる大きさの水晶の馬をもらった。
「君の子馬だよ」
「僕の子馬?」
「晶馬の名前にあやかったんだ。幸運をもたらす魔法の子馬。なんてね、本当は旅先のお土産。水晶だから魔除けになるよ。悪いものを取り払って、馬の速い足で幸運を運んできてくれる」
「素敵だ。ありがとうございます」
「君が幸せになれますように」
「! 大事にします、大事に……」
こんな高そうな水晶が旅のお土産なんて嘘だ。ちゃんとした水晶をわざわざ買ってきてくれたんだ。いいのかな。でも、
――嬉しい
見返りを求めず、ただ心配してくれる人。
元気づけようとおどけた行動をとってくれる人。
僕を信じて、黙って見守ってくれる人。
どうしてこの人はこんなにも優しいんだろう。
だから僕は、どうしても――
胸の奥から熱いものがこみあげてきて、それを押さえつけるために子馬を胸に抱え、握りしめた。
「僕、用事を思い出しました。ありがとうございました。もう行きますね、それじゃ」
限界だった。
先輩の返事を待たずにきびすを返した。
(泣きそうだ。でも先輩に見られたら困らせてしまう。はやく、はやく)
「うっ、うっ、ううっ」
階段下の用具棚の奥、死角になっているところに飛び込んだところで、こらえきれなくなった嗚咽が出た。
もう自分をごまかしきれない。
藤代先輩のことが好きだ。
期待をするまいと何度も殺してきた恋心。先輩として尊敬していると逃げ、皆への優しさと一緒だと諦めさせ、つり合いが取れないから迷惑だろ、と𠮟りつけた自分の気持ち。
なのにどうしても好きで諦めきれず、諦めるために違う恋に落ちたいと願ったじゃないか。
そう、僕は先輩を諦めるために《運命の番 》を望んでいた。一瞬でこの恋心を上書き出来る運命の人を。今更どんな顔して先輩がいいなんて言えるんだ、恥知らず。
高村さんごめんなさい、巻き込んだのにあなたを好きになれない。先輩ごめんなさい、あなたがどうしても好きだ。
僕は子馬を強く握りしめた。
「ううっ、うっ、うーっ。ううーっ。うっ、うっ」
押し込めていた気持ちが関を切って溢れ、涙と嗚咽がしばらく止まらなかった。
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