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第33話 鎖より重い
つまづいてひざを付きそうになったら、りぃが掬い上げて受け止めてくれた。そのまま背広の懐に転がり込んですっぽりと収まる。りぃはすこし汗をかいていた。とたんにぼくを包んだりぃの匂い。
(りぃだ……りぃだ!ほんもののりぃだ!)
「どうしたの晶馬くん!大丈夫?」
「りぃ……りぃ!りぃ!ぅわーん。ぁーん。りぃぃ、うぁーん。りぃぃ」
ぼくを捉えてる長い指。焦ってる声。りぃの匂い。ホントにいる。りぃがいる。
影になった顔の中、目の奥が時々光を反射する。ぼやける世界でふたつの金色がキラキラ、キラキラ。
「ぅあーん、ぅあぁ。りぃ、りぃー。りぃー」
「……」
じっと受け止めていたりぃがふと何かに気がついた。
「可哀想に。不安だったんだね」
「りぃ、りぃ、りぃい……」
「……僕を呼んでいるの?」
うんうんと頷く。ずっと呼んでた。心が張りさけそうだった。怖かった。
傍にいて。いなくならないで。
いつの間にこんなに好きになってたんだろう。りぃ、ぼくはもうあなたのいなかった日々には戻れない。
「りぃ」
りぃは両手で僕のあごを掬い、涙がポロポロとこぼれる僕の顔をじっと見た。
「りぃぃ」
「……まるで小鳥が鳴いてるみたいだ」
目とほっぺた。口のはしっこからあごへ。流れ続ける涙を柔らかく吸われて、髪のあっちこっちもキスでなぐさめられた。それでも止まらない涙を親指でゴシゴシされた。
「この前、晶馬くんは僕を大きな鳥に例えたね。だったら君は小鳥だ。可愛らしい僕の小鳥、泣かないでおくれよ」
「りぃ、りぃ」
引きつけみたいにひっ、ひっとしゃくりあげながら、あとからあとから涙が出てくる。
「りぃ……りぃー」
りぃは、しがみついたぼくを抱えてベッドに運んだ。張りつかせたままベッドの縁に並んで座る。
「困ったな、どうしたら泣き止んでくれるの?」
どうしたら?
ぼくはどうして涙が止まらないんだろう。りぃが帰って来てホッとしたんだ。すごく、すっごく怖かった。だから安心して涙が止まらないの?
でも同時に気付いたことがある。
ぼくは、きっとこの先もりぃがぼくから離ているあいだは何度も同じように怖くなる。りぃが急にいなくなるんじゃないかって不安が一生僕に付きまとう。
りぃを好きになり過ぎた。いつの日かも、来るかどうかも分からないのに突然りぃがいなくなるのが怖い。
生きとし生けるものに死は当たり前のこと。生きてる限り終わりは必ずやってくる。どちらかが取り残される恐怖はみんな同じなんだ、我慢できないのはわがままだ。
それなのにぼくは不安に押しつぶされそう。
怖い、怖いよ、りぃ。
りぃを失ってひとりぼっちになりたくない。
「ううーっ、ひっ、ひっく、ひっく。りぃ、りぃ……」
僕はりぃの胸元に顔を埋めていやいやをした。
「晶馬くん……」
りぃは僕の頭をなでながら穏やかな声で名前を呼んだ。
「ねえ、僕は君の魔法使いだよ。君の願いを何でも叶えてあげる。僕に願いを言ってごらん」
願い?ぼくの願い?ぼくの願いは……
そんなの無理だよ。未来は誰にも見えっこない。起こってもいないことを止める事は誰にも出来ない。
僕はりぃの胸の中で顔を振った。
「信じられない?僕は晶馬くんが信じれば何でも出来るんだよ。だって君の魔法使いだもの。君は僕に願いを言うだけで何でも叶う。さあ、言ってみて」
あ……このやりとり……前にも……
そうだ、あの時だ。僕がヒートを一人で迎えて苦しんでいた時。りぃは今と同じように僕に願いを口に出させて、僕を助けに来てくれた。
あの時だって無理な筈だった。でもりぃは僕の運命を変えてくれた。
いいの?そんな事出来るの?僕のお願い聞いてくれるの?
「りぃ……」
ひくっ、ひくっ。
「言って。さあ」
僕を促す優しい声。
あの時と同じ、金色の瞳。
「……いなくならないで。置いてっちゃ……やだ。ひとりにしないで」
「いいよ、分かった。約束する。君を置いていかない、一人で死んだりしないよ。晶馬くんと離れてる時は事故には絶対に遭わない、天災にも巻き込まれない。簡単だよ、警戒のアンテナを少し広げればいいだけだ。行く先の天気を予測し、交通機関の情報を掴み、運転手の健康状態や乗り合わせの客の様子を見て周りの危険も予測する」
言葉足らずで到底分からないだろう願いを、りぃは正確に読み取ってくれた。
「晶馬くんが信じることが出来ればこの魔法は成立する。どう?僕を信じられる?僕にそれが出来ると思うかい?」
僕を覗き込む金色の星が瞬いている。
出来る。知ってる。僕の魔法使いは何でも出来る。誰も出来ないと思っていた僕の運命ですら変えてくれた。
でも運命の鎖を切る方がもっと楽だ。だってこの願いはこの先ずっと続いていく。一生りぃに努力を強いる事になる。
そんなのだめ。僕は首を振った。
「お願い、晶馬くん。僕をずっと君の魔法使いでいさせて。君がうんと言わなければ僕は魔法使いになれないよ。君を幸せにしたいんだ」
りぃ。りぃ。
「それが僕の唯一の願いなんだ」
涙でりぃの顔がよく見えない。
あごからぼたぼたと落ち続ける涙の雫をそのままに、瞬きもせずに見つめる。
この願いは運命の鎖よりずっと重い。
りぃを死ぬまで縛ってしまう。
だけど……
りぃ。
「愛してる」
りぃはこれ以上もなく幸せな笑顔で僕に契約成立のキスをした。
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