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第41話 〈 side.藤代 〉 京都にて(二日目)オールスターズ 4

「私たちは失礼する」 部屋に張り詰めていた異世界を思わせる空気が現実のものへと戻った時、隣から声が聞こえた。 そちらを見ると、カタリと小さく音を立てた椅子からキリトさんがスっと立ち上がった。振り向いたキリトさんの視線を受けた世那さんはその場で「失礼します」と会釈し、席を離れて部屋を出るキリトさんに続いた。 足早に去る彼らは愛する人の元へと戻るのだろう。かつてはどんな物事にも執着を見せず人を寄せ付けなかったキリトさんだったが、彼の内面に触れた人が居たようで、その人を思う時だろうか……ふと、彼の纏う空気が柔らかく優しくなる瞬間がある。 部屋を出たキリトさんが、開けた扉を世那さんへと渡す際、僅かに振り向いた彼の口元が綻んでいたのが印象的だった。 ツバメもアタッシュケースを左手に持ち、右手を左胸に添える優雅な一礼を取ると、燕尾の裾を翻して颯爽と部屋を後にした。 「凍子お疲れ様。私達も帰るわよ、穂乃花と代わって頂戴」 「分かった。穂乃花、後はお願いね」 夏帆さんが凍子ちゃんの肩に右腕を回すと、凍子ちゃんは甘えるように胸にもたれかかった。その目がそっと閉じられる。 途端、糸の切れた操り人形のように彼女からガクリと力が抜けた。夏帆さんは肩に回した右手で崩れ落ちた体を支え、左手で足を掬って横抱きにした。腕の中の小さな体はぐったりと荒い息を吐いている。 さっきまでの勝気な瞳ではなかった。穂乃花ちゃんが戻っていた。 「夏帆ちゃん、見た?凍子ちゃん、凄かった、のよ」 ハアハアと荒い息の下、瞳を輝かせて夏帆さんを見上げる穂乃花ちゃん。 「藤代さまに、エセ聖人って、言っちゃうし、私を誰だと思ってるの、凍子よ、って。カッコよかったぁ」 「ええ、聞いてたわよ。凍子はいつも自信満々で女王さまね」 「うふふ」 「いつもより少し時間が掛かったから疲れたでしょ。このまま寝てなさい」 「うん。夏帆ちゃんありがとう」 走ることすら禁止され、大半を病院の中で静かに生活してきた穂乃花ちゃん。それを当たり前にと受け入れて生きてきた彼女でも、想像したことはあった筈だ。 もしも生まれ変わったら、もしも健康な体だったら​─── その時は、どんな私がいい? 全力で走る。大声で笑う。人を救い、夏帆さんの力になる。 凍子ちゃんは穂乃花ちゃんの夢見た姿だ。 夏帆さんの血が摂取過多(オーバードーズ)となり現れる凍子ちゃんは、夏帆さんの稀少種の力を持っている。 穂乃花ちゃんが憧れる普通の人どころか、誰も真似出来ないスーパーウーマンになれる。 穂乃花ちゃんの想像を超えた行動が凍子ちゃんには取れるのだ。 でも本来は病弱なオメガの体、薬で‪α‬に変えているので元に戻ればその反動は大きい。それでも、命と引き換えにしても惜しくない大切な時間なのだった。 そんな穂乃花ちゃんを律希くんが上目遣いで見ていた。 「ほのかちゃん……」 「律希くん」 穂乃花ちゃんは律希くんに手を伸ばした。 「久しぶりにお会いした、律希さまも、カッコよかったわよ」 「!」 「ホントよ?」 「ほっ、ほのかちゃん」 律希くんがウルウルと涙目になり、穂乃花ちゃんの弱々しい手を握った。 律希くんは人に自分の稀少種の姿を見られる事を怖がっている。うっかり見せた瞳で穂乃花ちゃんに嫌われたのではないかと恐れていたのだ。 「また、会いましょうね。凍子ちゃんも、律希くんに会うの、楽しみにしてるわ」 「凍子はいじめっ子だから会わなくていい」 「うふふっ」 穂乃花ちゃんは夏帆さんに抱かれて部屋を後にした。 「藤代くん、お疲れ様」 低く落ち着いた声は天賀谷さんだ。 「天賀谷さんこそ進行役お疲れ様でした」 「たいき君、締めの言葉さすがだったよ。いやぁ、我が(みかど)は名司会者だなー」 「お前な……」 調子のいい律希くんに天賀谷さんは言葉が続かない。 天賀谷(あまがや)帝輝(たいき)。 彼は名門天賀谷家の長男で、小さい頃から帝王学を学び、英才教育を受けている‪α‬だ。引き締まった体躯で威風堂々と佇む姿は王者の貫禄を纏い、名前のとおり帝の風格だ。 天賀谷さんは国会や内閣府からの相談を受け付け、一般からの声も広く聴衆し、必要に応じて我々を招集して見解を求める。ぼくらの代表となり表舞台に立っているのだ。 だけど本来、先代メンバー達からこの役を指名されたのは律希君だった。でも瞳を気味悪がられる事を恐れる彼は、コミュ障な事もあり、人前に出るのを極端に嫌がった。そこで当時同級生だった‪天賀谷さんに泣きついて変わってもらったのだ。 その能力の高さから、彼が代表を務めても誰も疑わない。 それでもふとした折に我々にしか分からない違いがある。 (私たちは神ではない) 彼が最後に言ったあの台詞は、自身を異形と感じる僕達からは到底出るものではない。あのとき、我々は人々にそう見えている事実を再認識し、それぞれの胸の内で安堵した筈だ。 人間に神々の思惑を図れる筈がないと認識している為、会合で稀少種以外が自分の考えを発言することはない。だからこそ稀少種ではない彼が会合を進行させることで、より一層人間社会とずれの少ない意見になる。 ひょっとすると先代たちはこうなることを見越して律希くんを代表に指名したのかもしれない。 稀少種の光を持つ‪α‬の天賀谷さんと隠密の影を纏う稀少種の律希くん。逆の立場の二人なのに、どちらのピースもこのパズルにうまく嵌っている。 「藤代くんはこの後どうするんだ」 「パーティー会場に戻り、教授と一緒にホテルに向かおうと思います」 預けていた荷物を取りに行き、チェックアウトを済ませなければならない。 すると律希くんが天賀谷さんのスーツの袖を掴み、くねくねし始めた。 「あー……。では車でホテルまで送らせてもらえないか。律希が教授と話してみたいそうだ。わたしからも教授に祝辞を述べたいので」 「ああ、そういえば律希くんは教授を気に入ってましたね……。ではお願いします」 「やった、教授、まずは仲良くなって、それからデュフ、デュフフ……」 律希くんは僕の返事に興奮して、ボソボソと何か呟きながら尚いっそう体をクネらせた。 天賀谷さんの運転する車に乗せてもらってパーティー会場に戻ってきた。そろそろお開きの時間なので抜けてもらおうと教授の元に行くと、彼は酷く泥酔してテーブルでうつ伏せになって熟睡していた。 えええ、嘘でしょ……僕は呆然となった。 「教授、起きてください、帰りますよ、教授!」 「んぁ、ん?ああ、藤代くん、やった、俺はやったぞ、ばんざーい、稀少種、ばんざー……」 「ちょっと、教授、しっかりしてください」 「これは駄目だな」 再び寝入った教授に天賀谷さんが思案する後ろから、律希くんがニヤニヤと覗いていた。 もともと教授は酒好きだったけど研究のあいだは飲む暇がなく、願掛けもしていたのか薬の完成まで酒を飲んでいなかった。やっと薬が完成して、それが自分の思った以上の功績でよっぽど嬉しかったのだろう。祝いにくる人が注ぐ酒を次から次へとニコニコと呷ったらしい。気付けばすっかり泥酔状態だ。 「とりあえず君たちのホテルまで送るよ」 律希くんが夏帆さんを真似(まね)して姫抱きにしようとするのを教授の名誉のために()めてもらい、肩を抱えてもらって車に乗せた。僕たちの会合が終わったあたりから降り出していた雨足は、かなり強くなっていた。 「教授を飛行機に乗せるのは無理そうだね」 「そうですね……」 仕方がない、今日のフライトは諦めよう。二人に断わりをいれて晶馬くんに電話を掛ける事にした。 番号を入れて通話ボタンを押すと、ワンコールもしないうちに晶馬くんが出た。連絡を心待ちにしてくれてたんだろう。 「はい、晶馬です」 「晶馬くんゴメン!帰りの飛行機に乗れなくなった」 「えっ」 「教授が学会の打ち上げで飲みすぎて寝ちゃったんだ。いくら起こしても起きなくて飛行機に乗せられない。今夜はこっちにホテルを取るしかなさそうだから、明日の朝に帰ることにするよ」 「そう、なんですね……」 「独りぼっちにしてごめんね」 「……」 「……晶馬くん?」 電話に出た時の勢いのある声が弱々しくなって、沈黙した。落ち込んでいるのが分かる。 「ううん、大丈夫ですよ。先輩こそ学会お疲れ様でした」 「うん。早く帰って晶馬くんに癒されたい。そっちは変わったことはない?部屋にいて不自由なこともない?」 「ないですよ、快適です。まだたった一日しか経ってないのに」 晶馬くんが小さく笑った。さっきまで沈んだ声だったのに、無理して明るく振舞ってくれてる。僕は申し訳なさで心がいっぱいになった。 「そっか。よかった。こっちは雨が酷くなってきて肌寒いんだ。そっちも冷えてくると思う。風邪を引かないように暖かくするんだよ」 「えっ、そっちも雨!?酷いんだ……飛行機大丈夫かな」 「風はそこまで強く吹いてないから欠航はしないよ。明日こそ帰るから」 「……気をつけて帰ってきてください。遅くなってもいいから無理しないで」 「うん、分かった。何もなければ明日の午前中にはこっちを出るからね」 通話を終えてため息をついた。お土産を買ってできるだけ早い飛行機に乗ろう。何かあればマキが対応してくれるから、今晩だけゴメン晶馬くん。 雨の市街地は道が渋滞し、のろのろ運転が続いていた。そんな中、しばらくすると僕の携帯に牧之原さんから電話が掛かってきた。 「はい、藤代です」 「牧之原です。李玖くん、今日帰れなくなったんだって?」 「晶馬くんに聞きましたか。ええ。教授が酔い潰れてしまいました。晶馬くんに何かありましたか?」 「うん。李玖くん、悪いことは言わないから今すぐ帰っておいで」 「!」 「でないと君は一生後悔するよ。今すぐ、気をつけて帰っておいで」 「それはいったい……」 多くを語らないうちに電話は切れた。晶馬くんを直に見て様子を知れということだろう。 「大変じゃないか、すぐ帰りなよ」 「どうする、ホテルに戻ってヘリを飛ばすか」 漏れ聞こえた会話から二人が提案してくれた。我々の会合があったホテルの屋上には稀少種専用のヘリがある。 「いえ、この風雨なら返って危険です。それに命の心配はなさそうなので」 隠密のマキではなく牧之原として電話を掛け、気をつけて帰れと言ってきたのだ。命の危険ではない。では一体何が…… 「分かった。教授のことは任せてくれたまえ。責任もって部屋まで送り届ける。君の置いている荷物も手配しておこう」 「ありがとうございます。すみません」 やった、教授独り占め、見放題、ぐふ、ぐふ…… 呪詛のようないささか不穏な呟きが聞こえる。この調子だと律希くんは一晩中教授の寝顔を見ていそうだな。やり過ぎたら天賀谷さんが止めてくれるだろう。明日教授が見知らぬ男性に顔を覗き込まれて飛び起き、目を白黒させても自業自得だ。 「ここからなら駅が近い。走っていきます」 新幹線に飛び乗れば、今なら予定だった飛行機と変わらないくらいの時間に向こうに着ける筈だ。 僕は渋滞で動かない車を飛び出し、傘を差して雨の歩道を走り始めた。

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