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第42話 〈 side.藤代 〉 りぃ
「ただいま!」
マンションに帰りついて部屋のドアを開けると雑然とした廊下が広がっていた。ドアというドアが全て開けられ、廊下に服や小物が散らばっている。まるで泥棒にでも入られたかのような散らかり方だ。晶馬くんらしくない。顔から一気に血の気が引いた。
「晶馬くん、帰ったよ!」
開け放たれた部屋に飛び込んだけど肝心の晶馬くんがいない。どの部屋を探しても散らかっているのに、何処にもいない。
侵入者が部屋を荒らす中を晶馬くんが逃げ回ったのか?体中の毛穴から嫌な汗が一気に出た。
「晶馬くん!どこにいるの!?」
クローゼットと僕の部屋が特に酷かった。クローゼットはあらゆる引き出しが開いて服が引き出され、床に落とされたものが廊下にまで点々と続いている。僕の部屋に行くと、僕が普段使っている小物やベッドのシーツ、掛け布団までもが無くなっている。
「……」
物取りにしては様子がおかしい。マキがこうなるまで放置しているのは変だ。
「晶馬くん!返事して!晶馬くん!」
最後に残ったのは最奥の部屋だ。そこは二人で篭もれるように音も匂いもシャットアウト出来るシェルターのような場所になっている。この部屋にいなければ……
「……ぃー、りぃー!りぃぃー!りぃぃー!」
ドアノブを引くと隙間から晶馬くんの声が聞こえてきた。
「晶馬くん!?」
「!」
急いで開けると部屋は真っ暗で、僕の稀少種の目がベッドで泣きじゃくる晶馬くんを捉えた。
「りぃー!」
晶馬くんが転がるように降りて走ってくる。晶馬くんは自分の服の上に僕のシャツを着て、さらに僕の上着まで羽織っていた。途中で長い上着のすそを踏み、転びそうになったので慌てて掬って受け止めた。
「どうしたの晶馬くん!大丈夫?」
「りぃ……りぃ!りぃ!ぅわーん。ぁーん。りぃぃ、うぁーん。りぃぃ」
酷く泣いている。
目は腫れて鼻水も出て、涙で濡れてる顔に髪の毛が張り付いている。どれだけ長い間激しく泣いていたんだろう。手の甲で拭うのに涙が次々に零れて泣き止む気配がない。
一体何があったんだ……
「ぅあーん、ぅあぁ。りぃ、りぃー。りぃー」
「……」
ふと晶馬くんが座っていたベッドに目を向けると、不思議なものが見えた。
僕の部屋にあった筈のシーツや掛け布団、バスタオルやコートにネクタイ。その他の色々な布が撚 り合 され、ベッドの上で堤防が築かれていた。堤防にはギターも揃いの茶碗も練り込まれていて、そこは歪 に飛び出している。
楕円にへこんだ内側にはお菓子を入れていたキャンディポット、アルバム、僕のノート、腕時計、水晶の子馬。
なんとも奇妙で微笑ましいそれは……もしかして、巣?
オメガは、大きく感情が高ぶると周りを大切なものや安心出来るもので囲い、その中で心を落ち着かせる本能がある。
晶馬くん、巣作りしちゃったんだ……
「可哀想に。不安だったんだね」
「りぃ、りぃ、りぃい……」
りぃ?
僕は両手で晶馬くんのあごを挟み、涙がポロポロとこぼれる顔をじっと見た。
僕がりぃなの?晶馬くん?
「……僕を呼んでいるの?」
晶馬くんがうんうんと頷いた。
「りぃ」
暗い部屋の中、一人でずっと僕を呼んでたのか。
「りぃぃ」
「……まるで小鳥が鳴いてるみたいだ」
晶馬くんはそれ以外の言葉を失ったみたいに僕のことを呼び続けていた。
迷子になった幼子 のように泣き、全力で僕を呼ぶ姿が愛しくてたまらない。僕はこんなにも求められていたのか。
目と頬をたどり、口の端から顎へ。流れ続ける涙をそっと吸い、髪のあちこちにキス。それでも止まらない涙を親指のはらで拭う。
「この前、晶馬くんは僕を大きな鳥に例えたね。だったら君は小鳥だ。可愛らしい僕の小鳥、泣かないでおくれよ」
「りぃ、りぃ」
泣き止もうと、「ひっ、ひっ」としゃくりあげるのに、いまだに涙が溢れて止まらない。
「りぃ……りぃー」
ひと時も離れたくないとしがみついてくる晶馬くんを抱えてベッドに向かった。掛布団で出来た、巣の柔らかな部分をそっと押しのけ、ベッドの縁に並んで座る。
「困ったな、どうしたら泣き止んでくれるの?」
泣いているのは何故だろう。
雷を怖がっていたようだけど、この部屋でも僕を呼び続けたのだから雷はきっかけにすぎず、もっと根本的な問題なのだ。僕がいなかった事が悲しかったなら、今は安心している筈。
未だに不安で恐怖に押しつぶされそうなこの子は、一体何に怯えてる?
この子。
そう、この様子はあの時と同じ、幼い子供だ。あの時も晶馬くんは子供返りをした。ヒートなのに運命の番が現れず、死ぬ程もがき苦しんだあの時。
晶馬くんは極限まで追い詰められると幼な子に戻ってしまうようだ。多分、小さい時に心に傷を負い、許容範囲を超えるショックを受けると心が今でもその時点に戻ってしまうのだろう。
その心の傷は一体……
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