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第1話

 満開の桜も、それを舞い散らせる柔らかな風も、ぽかぽかと暖かく気持ちのいい陽気も、全てが俺を祝福してくれているようだ。 この春、俺、水沢翔は麗明短期大学に入学……正確には転学になるんだけど、麗明大学教育学部に無事通えることになった。  入学式を終え、咲き誇る桜に囲まれた中庭のベンチに腰掛けながら、佑真さんに好きだと伝えた1カ月前に思いを巡らせた。 「お前、これからどうするつもりなんだ?」 昨夜、俺を好きだと言った五十嵐佑真、その人はそれまでと変わらない表情で俺を見つめた。 両思いだと思ったのは俺の夢なのか、自分の記憶を疑いたくなる。 そもそもこんな整った容姿の女に不自由しない人が男の、しかも俺なんかをどうして好きだと言うんだろう。 自分で言うのもなんだけど、かっこいいなんて言われたこともなければ告白されたこともない。勿論付き合ったこともない。 いや、でも一緒に寝たし……でも一緒に寝るのも俺が佑真さんから逃げ出す前までは一緒に寝ていたしな。 寝たっていっても添い寝だけど……それにお互い好きだとは言ったけど付き合うとかそういう話はしてない。 こういう場合どうなるんだ……恋愛経験のない俺にはわからない。 昨夜の告白が夢なら俺は夢遊病かなんかだろ。 あれは夢じゃない現実だ。 でもこのイケメン……どうして何もなかったみたいな顔してるんだよ。 「聞いているのか翔、俺は大事な話をしているんだけどな?」 じっと見つめたまま何も言わない俺に佑真さんが苦笑する。 「あ、あぁ……とりあえず1年バイトして大学に入りなおそうかと」 佑真さんから逃げ出していた半年の間に出会った人達や環境が俺を変えてくれた。 人が嘘をつく理由が知りたくて聖応大学心理学部に通っていたけど、大事なのは嘘をつく理由じゃない俺がそれを信じるか信じないかだ。 たとえそれで傷ついたとしても信じていた時は幸せだったし、楽しかったから後悔しない。 ひとりよがりだった俺に大事なことをたくさん教えてくれた人達に出会い俺は変われた。 だから俺も誰かに少しでも何か伝えたいと教師になりたいと思ったんだ。 「どうして1年なんだ?」 「俺、聖応大学に退学届け出したんで、来年受験しようかと――」 「お前、退学になってないぞ」 目を見開く俺に佑真さんがゆっくり頷いた。 「どうして?」 確かに退学の手続きが完了しないまま連絡は取らなかった。でもそれをなぜ佑真さんが知っているのか。 「江角が大学に問い合わせて知ったらしくて、俺に相談してきたから休学扱いにしてもらったんだよ」 慎吾、江角慎吾は俺の高校の時からの親友で周りからは『翔の保護者』と言われるくらい俺の面倒を見てくれるやつだ。俺の知らない所でも面倒をかけていたらしい。 「あ、でも、教育学部に行きたいんですよね」 「教師になりたいのか?」 考え込むように眉を寄せる佑真さんにはいと頷いた。 「じゃあ……転学の方がいいかもな」 「転学ですか?」 よくわからず首を傾げる俺に、聖応で学科変更もできないわけじゃないけど、必修科目が取れない可能性があるから教育学部のある大学に入ったほうがよくて、聖応大学在住になっている俺は転学の手続きを行えば4月から通えるはずだと佑真さんが説明してくれた。 「佑真さんって何でも知ってるんですね」 この人にわからないことはないんじゃないかと尊敬の眼差しを向ける。 「それは……お前がどうしたいかわからなかったからな」 え?それって俺のために調べてくれていたって事?やばい嬉しい。 顔が熱くなるのを感じながら佑真さんを見ると照れたような表情で真っ直ぐな黒髪をさらっとかきあげた。 「佑真さんは4月から先生ですか?」 「いや、俺は院に進んだ」 「え!?」 「何してる」 驚いて勢いよく佑真さんが座るソファに飛び乗り転がりそうになる俺を支える佑真さんの手が優しくてドキドキしてしまう。 「どうして院に?佑真さん!」 普通なら教育学部を卒業してどこかの学校で新任の教師になるはずだ。 目を逸らす佑真さんの腕を掴んで揺さぶった。 「臨床心理士の資格を取りたくてな」 「俺の……せい?」 溜息交じりの佑真さんの言葉に驚いてどうしていいかわからなくなる。 だって佑真さんは教育課程も終わり、教員試験も受かっていたはずで、それが俺のせいで教師になるのをやめたのなんて……。 「お前のせいではあるけど、教師になりたいと思っていたわけでもない。何となく教育学部に進んだだけだ」 「でも俺がいなければ佑真さんは教師になっていたんでしょう」 落ち込む俺をみて溜息をついた佑真さんにますます落ち込んでしまう。 「お前がいたからやりたいことが見つかったんだよ」 佑真さんの腕を握りしめて俯く俺に透き通るような優しい声が聞こえた。 「佑真さん……っ」 顔を上げた俺を佑真さんが優しく微笑みながら抱きしめてくれた。

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