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大雅、ちょっとだけ新人に心を開く
大雅の部屋は二階の202号室。実家の俺の部屋と同じで、ごちゃごちゃに散らかっていた。
「分かる分かる」
ベッドの上だけが綺麗で、床には脱いだ服、読み終わった雑誌、食べ終わったお菓子の箱――まさに俺の部屋と同じだ。
途中コンビニで買ってきたホットケーキミックスの粉と、卵と牛乳、バターにシロップ。冷蔵庫の中は空っぽだというから、ついでにジュースやアイスも買ってきた。普段はコンビニで買えるものばかりを食べているのだという。ホットケーキといえど友人の手料理を食べるのは初めてだそうだ。
「電子レンジだけ使い込まれてて、キッチンと冷蔵庫は綺麗だね」
「……獅琉みたく、家庭的じゃない」
「いいと思うよ、今どきの若者って感じじゃん。俺も一人暮らししたら絶対大雅と同じになると思うし」
同じ十八歳だけど、大雅の方が俺より背が高い。俺みたいな短足でなくスラッとしているし、万年寝不足だという物憂げな顔も俺より大人っぽく綺麗だ。世の中不公平だよなぁと思う。
「じゃあ、ホットケーキ作るから。大雅は寛いで待っててよ」
「上手に作ってよね。レストランみたいなやつ」
「保証はできないけど、頑張るよ」
どうしてホットケーキなんだろう。好物だというなら、それこそレストランの美味しいホットケーキをご馳走したのに。
ともあれリクエストを受けたのだ。俺は腕まくりをして手を洗い、スマホに表示させたレシピを確認しながら大雅に訪ねた。
「なあ、ボウルとかかき混ぜるやつとかって、どこにある?」
「キッチンの下の棚。……たぶん」
調理器具は一度も使われていないらしく、全て綺麗なまま収納されていた。ひとまず大きなボウルにホットケーキの粉を入れ、卵と牛乳を入れて混ぜてゆく。ホイッパーでしゃかしゃか混ぜながら大雅を振り返ると、大雅は床に座り、テレビの前でスマホをいじっていた。
「今やってるそれ、DVD? 俺の好きな映画だ」
「……スマホをHDMIで繋いで、テレビで映してるだけ」
「へえ。じゃあ自分で撮った動画とかも、大きいテレビで見れるんだ。凄いなぁ」
「うん。そのためにテレビ買った」
フライパンをIHの上に置いて、サラダ油――の代わりにバターを用意する。適当な油分であれば大丈夫だろう。あとは焼いてひっくり返すだけだ。簡単じゃないか。
「亜利馬。だま が無くなるまでかき混ぜるんだよ」
おたまでボウルの中の生地をすくおうとしていたら、大雅がやってきて言った。
「だま、って何だ?」
「粉が無くなるまで、見た目が平らで綺麗になるまで」
「うおぉ……」
再びホイッパーを使って、ボウルの中の生地をかき混ぜる。なかなかに骨の折れる作業だった。普段運動などあまりしていない俺の腕が悲鳴をあげている。
「いい匂い」
ボウルから跳ねたホットケーキの生地が大雅の鼻に付着した。思わず笑ってしまい、ひとまずボウルを置いてタオルでその鼻を拭いてやる。
「可愛いね、大雅」
「馬鹿にしてるでしょ……」
「そんなことない。心からそう思ってるよ」
「亜利馬、ムカつく」
そっぽを向いた大雅がまたテレビの前へ行ってしまった。
「そういえば大雅の『ブレイズ』の初撮影はいつなの? 獅琉さんは今日撮るって言ってたけど」
「……明後日とか」
「そっか。打ち合わせはした? どんな感じに撮るの?」
大雅はテレビに接続しているのとは別のもう一台のスマホを取って、何か操作している。
「俺は学生モノ。先生役に犯されるやつだと思う」
「メインレーベルでも学生モノって撮るんだ」
「『ブレイズ』はレーベルにこだわらないんだって。亜利馬も女装とかさせられるかもよ」
「ええ……女装は嫌だ!」
「冗談」
真顔で言われると冗談も冗談に聞こえないから困る。俺は熱したフライパンに生地を落としながら、「女装だけは嫌だと山野さんに伝える」ことを頭にインプットさせた。
「亜利馬ってさぁ」
「うん?」
「獅琉の部屋に住んでるんでしょ。撮影以外で獅琉とセックスしたの」
「えっ! す、するわけないじゃん! 何だよ急に……」
「ふうん。別に、ただ聞いただけ」
「いきなりそういうこと言われると、俺、鼻血出ちゃうから……」
……だけど、その辺の事情はよく分からない。AVモデル同士でプライベートのセックスってするモンなんだろうか。獅琉はスイッチが入ると止まらなくなると言っていたけれど、あれだけ仕事に対して真面目なら、プライベートでそういう遊びはしなさそうだし。潤歩とああいうことをしたのだって、俺の特訓という名目があったからだし。
「よ、っと」
フライ返しで生地をひっくり返し、裏面を焼く。いい匂いが広がるにつれて俺の腹も鳴り始めた。今日は午前中の撮影だったから、念のために朝飯を抜いてきたのだ。
「潤歩とは?」
「え……? さっきの話? 潤歩さんともしてないって」
「竜介とも?」
「竜介さんとは、まだ二人でちゃんと話したこともないよ。良い人そうってのは分かってるけど」
「ふうん……」
「何でそんなこと聞くの?」
別に。――予想通りの答えが返ってきたけれど、何か裏がありそうだ。だけどしつこくするのも躊躇われて、俺はホットケーキの焼け具合を見ながらそれ以上追及するのをやめた。
「はい、お待ちどー」
平らな皿に焼き立てのホットケーキを三段重ねにして、テーブルの上に置く。ほかほかの湯気が立つホットケーキの甘い香りに、大雅は目を丸くさせていた。
「美味しそう」
「初めての割には割と上手くいったよ。もちろん作り方見ながらだけどね」
「………」
「食べないの?」
「まだある?」
「まだまだあるよ。今日一日ずっと食べられるかも」
テーブルの前で大雅がそわそわしている。食べたそうにホットケーキをじっと見つめているくせに、なぜかフォークに手を伸ばそうとしない。
「大雅、どうし――」
言いかけたその時、玄関でインターホンが鳴った。パッと立ち上がった大雅が玄関へ行き、ドアを開けている。
「おお、美味そうな匂いだ!」
「あ、竜介さん。お疲れ様です」
入ってきたのは竜介だった。相変わらず見上げるほど背が高くて、ワイルドに髪を振り乱して、胸元のがっつり開いたシャツを着て――
「大雅にお呼ばれしてきたんだ。美味いホットケーキをご馳走してくれるんだろ、少年!」
「え、あ、はい。あんまり出来は良くないですけど、ぜひ!」
竜介の後からリビングに入ってきた大雅の顔は、若干赤くなっていた。――もしかして。
「それにしても、散らかった部屋だなぁ。先週一緒に掃除してやったのに、もう元通りじゃないか」
「……うるさい」
呟いた大雅の顔はやはり赤い。――ひょっとして。
「あの、二人とも座ってください。いっぱい焼いたしまだ焼けるので、好きなだけ食べてくださいね」
「ありがとう、少年。ホットケーキは俺の好物なんだ」
「あ、そうなんですね……」
俺の正面に座った大雅を盗み見ると、ハニーシロップのボトルを垂直で逆さまにして、ホットケーキの上へどぼどぼかけていた。もちろん顔は真っ赤だ。
「大雅、俺のと交換しよう。ハチミツあんまりかけると甘すぎて美味しくないよ」
「……うん」
どうやら俺は今日これからの時間、物凄く気を遣う羽目になりそうだぞ。
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