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それから、梓とは学校で二度すれ違った。
二回目にすれ違った梓からは、以前のような花に似た甘い匂いはしなくなっていた。
αに噛まれればフェロモンの分泌量は格段に減る。
保護用の首輪はしていたが、梓が初月に噛まれたであろうことは容易に想像が付いた。
これでよかったと、一樹は思う。
自分が我慢をするだけで、梓があんなに苦しむことも、もうない。
そう思えば思うほど、一樹の心を満たすのは、自責の念だった。
一樹がこれから梓のために自分の気持ちを殺していくように、あの時の梓も一樹のために心全部でΩに抵抗していたのだとしたら。
僕が誰のために頑張ってるんだと叫んだ梓は、こんな気持ちだったのかもしれない。
ただ、今更それを知ったところで、なにもかも手遅れなのだ。
だから別に、一樹が教室にも戻らず屋上に登ったのは、センチメンタルな気分に浸りたいだとか、そんなことではない。
ただ、なんの意味もなく、ぼんやりと登って。
扉を開けた向こうにたまたま梓が居たのも、そんなこともあるんだろうと、別段驚きはしなかった。
「……一樹」
久々に見た梓は、どこか寂しそうに、だが吹っ切れたように笑っていた。
梓は一樹に一瞥をくれると、屋上を囲うフェンスに指を引っ掛ける。
「人間って、結局さ。肉なんだ」
そうして梓は、歌うように、そう呟いた。
「……肉」
雲一つない、青い空。
それを見上げる梓の髪を、じっとりと湿った風が撫でていく。
蒸し暑い、初夏の風だ。梓はフェンスに額を寄せて、すっと目を閉じる。
「そう、全部肉だ。……死ねば、αも、βも、Ωも、関係ない。血と、骨と、肉塊になる」
「……」
「……一樹は、まだ僕のこと、好き?」
かしゃんと、フェンスの音が自棄に大きく響いた。
その音に梓を見れば、フェンスから身体を離した梓が、くりっとした双眸を一樹に向けている。
死んでしまえば、αも、βも、Ωも、関係ない。
梓の言わんとしていることが判って、一樹は一つ頷いてみせた。
「好きだよ」
「よかった。……僕も、まだほんの少しだけ、残ってるんだ。……でももう、明日にも消えちゃうかもしれない」
梓は一樹の言葉に、力なく微笑んでみせた。
一樹は痛々しい笑みを浮かべる梓の手を握る。
その手は少しだけ震えていて、氷のように冷たい。
それを暖めるように撫でてやると、梓は繋いだ手から視線を上げて、ひどく綺麗に笑った。
「……でね。僕、やっと思いついたよ。どこか遠く、奏汰さんの居ないところ」
「奇遇だな。俺も今、思いついたところ」
手を取り合ったまま、一樹は梓に顔を寄せる。
こつんと額をくっ付けて、内緒話をするように二人で笑った。
なにも楽しくはない。ただ、頭上に広がる空のように、どこまでも幸せだった。
奏汰さんの、居ないところ。
そこは、屋 上 から飛び降りてしまえば、もう、すぐそこだ。
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