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黙っている一樹 に焦ったのか、梓は注射器を投げ捨てると、ベッドから転がり落ちるようにして一樹の足元に縋り付く。
「信じて一樹……! 違う、本当に、僕は一樹だけが好きなんだよ……! 奏汰さんのことなんて、なんとも思ってない!」
「……ずっと、初月 さんの名前、呼んでたのに?」
「……! ちが、違う……違うんだよ……」
梓を力なく見下す一樹がぽつりとそう言うと、梓は怯えたように萎縮して、それから自分の頭を抱えて蹲 った。
「一樹、一樹一樹……っ、好き、好きだよ、好きなんだよぉ……ッ!」
梓は呪言 のように一樹への愛を叫びながら、頭に爪を立てて掻き毟る。
それから、さめざめと、啜り泣くのだ。
発情と哀哭を繰り返す梓の心は、その太股のようにぼろぼろになっていた。
しかし、見ているだけで痛々しい梓を救ってあげられるのは、どう考えてもβの一樹ではない。
「……梓、もう無理だよ」
「……!」
「俺たちは、ここで終わりにしよう」
一樹は敢えて、梓を見下ろしたままそう言った。
「……なんで?」
梓は勢いよく顔を上げてふらふらと立ち上がると、半ば倒れ込むように一樹の胸倉を掴んで扉へと押し付ける。
その拘束はあまりにも弱いが、一樹はそれから逃れられなかった。
どこか煮え切らない一樹のその態度に、梓はもどかしそうに唸る。
「なんでそんなこと言うんだよ……っ、嫌だ、終わりになんかしたくない!」
「……初月さんに噛まれれば、発情期も、葛藤も……梓の辛いことは、みんな無くなるんだ」
「僕が誰のために頑張ってると思ってるんだよッ!!」
梓は一樹の言葉を遮るように咆哮した。
初めて聞く梓の怒号に、一樹はやっと梓を見る。
ここ数日の発情期と抑制剤の過剰投与で、梓はすっかりやつれてしまっていた。
「身体と心とどんどんずれて、ぐちゃぐちゃになって! あんな人、全然好きじゃないのに……ッ、僕は一樹が好きなのに、身体だけは疼いて……発情して! 惨めで、情けなくて……っ、そんなの、βの一樹には判んないだろ?!」
「……」
「これから気持ちだってどんどん一樹から離れていくんだよ!? 魂の番なんて嘘だよ……なのに、どんなに頑張っても、今までたくさん積み上げてきた一樹が好きっていう気持ちの方が嘘になるんだ! そんなの嫌だよ……ッ、こんな身体、もう要らない……捨てちゃいたい……」
一ヶ月前にずっと一緒だと約束した部屋で、梓は死にたいと小さく呟いて、泣いていた。
正直、βの一樹には判らないのだ。
Ωの発情の辛さが。心と身体がずれていく苦しみが。
梓がどれほどの痛みを抱きながら、Ωに抵抗しているのかが。
むしろ、自分がどんな思いで何よりも大切な梓を初月に渡すと言っているのか、梓こそ判らないだろうと腹立たしくすら思ってしまうのだ。
お互い好きあっているのに、好きあっているからこそ、噛み合わない。
「……一緒に逃げて、一樹」
なにも言えず立ち尽くす一樹に、梓はぽつり、そう呟いた。
その視線は、一樹を見ているようで、虚空を彷徨っている。
「どこに?」
一樹が聞き返すと、梓は緩く首を振った。
「わかんないよ……どこか遠くに。奏汰さんの、居ないところまで」
「……」
この部屋にだって、初月さんは居ないのだから、どこに行ったって、同じだ。
喉まで出掛かったその言葉をぶつけたら、ぎりぎりで踏みとどまっている梓の心は耐え切れまい。
だから一樹は、返事の代わりに、その日から梓の部屋へ行くのをやめた。
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