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第1話 桃尻じゃないよ桃知だ
窓の外から見上げた空は蒼く、浮かんだ雲は見事なうろこ雲だった。
「あー……綺麗」
思わず口から感嘆の言葉が零れ落ちるくらいには美しい風景なんだよ。
でもそんなものは今の僕の途方にくれた心には、指の先程の慰めにしかならないんだ。
……いや、むしろこんな天気の日に出張に行かないといけないなんて憂鬱過ぎる。
―――とりあえず経緯だ。
僕、桃知 太郎(ももしり たろう)は春から地元の役場に務め始めてはや半年以上。
事務作業は一通り覚えて、自分でもまぁここまで頑張ったなと自画自賛していた。
今朝、上司から呼び出されるまでの話だけれど。
『こういう企画があってね』
ぺらり、と出された書類……と言うには薄っぺらい紙の束。
そこに大きく書かれた表題に僕の目は釘付けとなる。
『鬼ヶ島への鬼討伐、だ』
鬼ヶ島……ここからさほど遠くない場所で、正直あまり治安の良い所ではない。なぜなら『鬼』と呼ばれる余所者からの移住者が多く住み着いていて、近隣住民からの不安や苦情が相次ぐ地区である。
『とうとう都がね、腰を上げたんだ。しかし取り急ぎ、我々近隣の役場がその実態を調査しなければならなくなった。……そこで、だが』
上司のすっかり寂しくなった頭髪部分を眺めながら、何故か昼食の吉備団子について想いを馳せてしまっていた僕に、衝撃の言葉が告げられる。
『……モモジリくん、君が調査してきてくれ』
その時、僕は驚きのあまり『いえ、僕は桃知(ももしり)です』と変な訂正をしてしまった。
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「最悪だぁぁ……っていうか、なんで僕が」
まだ半年の新人がやる仕事じゃないよ!
それに『今、消費税増税対策のプレミアム商品券発行で人手が少ないから』って僕一人で行けって……!
「無茶だよ」
だってあの鬼ヶ島だぞ。
治安めっちゃ悪くて、毎日阿鼻叫喚の叫び声やら流血騒ぎの耐えないとされる地域。 この地区の地獄とまで言われている。
「そんな所一人で……」
生きて帰ってこれる気がしない。
……デスク、片付けておけば良かったなぁ。嗚呼、辞世の句でも読もうか。
「じーちゃん、ばーちゃんに電話しようかなァ」
スマホを取り出す。
ワケありの子供で、両親のいない僕を育ててくれたのはこの祖父母だ。
とは言っても本当に血が繋がっているのか、そうじゃないのか実は知らない。
知りたいと思った事が無いとは言わないけれど、そんなことより大事なのは育ての両親である彼らだと言うのは変わらないからね。
沈む心で画面を操作して、深い深いため息をひとつ。
耳に当てれば。
「出ないな」
まだ午前中だから買い物か、畑でも行ってるのかも。またかけよう……かけられたら、だけど。
「ちょっとその出ます……」
小さな声で申し出て腰を上げれば、チラホラと同情心の溢れる視線が投げかけられる。
嗚呼、もうみんな知ってるんだ。でも誰も、変わってあげようとか一緒に行こうとかは無い。
まぁ仕方ない。あんなところ、行きたいと思う人間なんているものか。
「モモジリ君……気をつけてね」
ようやく、そう声をかけてくれて同僚の女の子。
すごく優しくて可愛い子だ。
実は少し惚れている。ライバルが多いからうっかり口にはださないけどね。でも。
……僕、桃知(ももしり)って言うんだけど。
なんて言えず、曖昧に笑って頷いた。
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