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第1話

実家から大学へと通っている俺は、毎朝決まった時間に電車に乗っている。二年生のうちにできるだけ単位を取りたいからと、バカみたいに授業を詰めてしまったせいで一限から学校に行かなければならない。ただでさえ眠くて大変だというのに、朝の通勤で電車を利用しているリーマンたちと時間が被り、車内は毎朝窮屈だ。それが憂鬱ではあるけれど、混む前に席を確保できることだけがその憂鬱さを多少はマシにしてくれているように思う。 そうして今日もいつもと同じように電車に乗り込み席に座ると、二つ先の駅から一気に人が増えてきた。 「……すごい人だな」 ぼそりとそう呟き、午後からの授業で小テストがあるからと鞄の中からプリントを取り出した。大きなサイズのプリントだから、隣の人の邪魔にならないように小さく折り畳む。それから赤ペンで書いた文字をシートで隠しながら確認していると、前に立っている男性が息を漏らすのが聞こえた。   ため息でもついたのだろうと特に気にすることもなくまたプリントへと視線を戻すも、苦しそうな吐息が耳に入ってくる。心配になり、その男性を見上げれば、赤く頬を染め、額には汗が滲んでいた。 体調が悪いにしては少しの違和感があるけれど、とにかく席を譲ってあげた方がいいと思ったその時、その男性のお尻を後ろのおじさんが揉んでいるように見えた。 電車が揺れる度に手が当たってしまっているとは思えない触り方で、痴漢の二文字が頭を過ぎり、どうしてか俺が緊張してくる。軽く触れているならまだしも、揉みしだくように豪快に触れているその手に嫌悪感がわいた。最近は男性が男性を痴漢することは珍しくないように思うし、男性だから大丈夫だろうと放置はできない。 ……歳はは三十歳近くだろうか? 俺よりも大人であることは確かなのに、どこか危うさを感じる。 【違ったら申し訳ないのですが、もしかして今、後ろの男性に痴漢されていますか?】 ポケットからスマホを取り出し、急いで文字を入力して男性の目の前へと差し出した。突然顔の前に向けられたスマホに驚いたのか、目を見開いて俺の方を見つめたけれど、もう一度前に突き出すように向けると恐る恐るスマホの画面へと視線を向けてくれた。 文字を読んだ数秒後に、その男性が小さく頷く。唇をキュッと噛みしめ、不快感や恐怖の中に、痴漢されていると俺にバレたことが恥ずかしいとそんな色も浮かんでいる。 けれど、どう助けたら良いのだろうか。 痴漢だと叫ぶのはされてる側からすればアウト? 「痴漢していますよね?」と触っている男性の手を取り上げ捕まえたとしても、痴漢されている方も男性ならば言い逃れされそうだし、周りの目も気になるかもしれない。 それなら体調が悪いかのように扱って席を譲るのがいいだろうか。その時にこっそり相手の男性へと声をかけ取り押さえ、駅員の元へと連れて行くべき……? 「……く、っ、」 今にも泣き出しそうなその男性に早く助けなければと焦りが前に出てきた。吊革を握る手に力が入っていて、足の前で鞄を握っている手は震えている。 その時、次の駅へ到着するアナウンスが流れた。その声を聞いてスマホにまた文字を打ち込む。 【降りる駅が違っても、次の駅で降りてください】 電車が少しずつスピードを落としていく。俺は立ち上がるとその男性の体を支えた。大丈夫ですか? と声をかけると、安堵からか男性の頬を涙が伝った。 「誰にも、言わないで……。痴漢も、捕まえなくて、いい。怖いし、恥ずかしい……」 体を支えている俺の腕を、その男性は遠慮がちに握り、そう訴えてくる。散々触りまくっていた痴漢を捕まえないでいいというのは、さすがにそういうわけにはいかないと思ったものの、本人が言うならば仕方ない。もし俺が痴漢されていたとしたら、同じことを思うかもしれないし、気持ちは分かる気がした。

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