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第1話

「おーっ!すっげーじゃん!最高な眺めだなっ!」 湯けむり漂う露天風呂の入り口で、腰にタオルを巻いた少年が叫んだ声は歓喜に溢れる。 眼前に広がるのは海の稜線。ちょうど真冬の太陽が沈む瞬間だった。 「部屋にも露天風呂付いてるし。すっげー奮発したんだろ?佐賀島(サガシマ)」 「そんなことはありませんよ、大和(ヤマト)さん」 「またまたぁ、ムリしちゃって」 にやつく顔を押さえきれず大和が振り返ると、白く靄がかかった中から鍛え上げられたしなやかな胸元が現れた。 浅黒い肌にうっすらと滲む水滴が、張りのある胸板にツッと滑り落ちていく。 「…っ」 「どうかなさいましたか?」 「…別に、何でもねぇよっ」 大和は顔を隠すように踵を返した。 身体が既に火照っているように感じるのは、けっして湿度の高い湯気の所為だけではない。 喉が鳴った音がバレてやしないかと冷や冷やするが、俯いた視線は佐賀島の胸元から離れない。 大和の頭の中にふと浮かぶ、”淫靡”の二文字。 この男の為にあるんじゃないかと思う。 出会うまではまったく知らなかった言葉だ。 ―――― ホント、男なのにな… 普段はスーツに隠されてその身を晒すことはないが、隣に並んで立っていたってこの男の存在感は嫌と言うほど感じられる。 かといって、稼業を丸出しにしている訳でもなく、見た目は嫌みなぐらいかっちりとスーツを着こなすごくな、人よりちょっとだけ長身で体格のよいサラリーマン風だ。 大和はそんな佐賀島の姿をもったいない、と思いつつ、だが大衆の前に見せつけることもまたしたくはないと思っている。 自分だけが知っている、この男の本当の姿。 優越感に浸れば鼻息も荒くなる。 思わず腕組みをして「どうだ」と言わんばかりに湯船の前に仁王立ちしていると、そっと肩に触れられた。 「冷えますよ」 浸かってくださいと促され、大和は目の前の岩場に足を掛けた。 「そのまま膝を折って」 「ん?」 やんわりと背を押され、大和は自然にしゃがみ込む姿勢になった。 風呂にそのまま浸かろうとするのを制止して、佐賀島が桶で湯を掬って大和にかけたのだ。 「…っ」 銭湯などという大衆浴場も、温泉などという施設も、若い今時の大和の世界には無縁だ。 当然、かけ湯のルールを大和は知らない。 ザアッと湯が肩から背中に流れ、思わず身体が反応してしまった。 「失礼、熱かったですね」 「んなことねぇよ…」 大浴場の露天風呂の湯は外気温に晒される為、室内よりも高く設定されている。 佐賀島よりも薄い色をした大和の肌は、湯に触れた部分だけが仄かに赤味を帯びていた。 「足元から慣らした方がよかった」 「だから、別に何でもねぇって」」 強がりを言う大和に佐賀島の頬は少しだけ緩んだが、申し訳なさそうな科白を選びつつも声にあまり抑揚はない。 元来喜怒哀楽は表面に出ない質だ。というか、職業柄見せてはならない。 怒りにまかせた時点で足元を掬われる。そういう世界に彼らはいる。 しかし、佐賀島がいつも以上に冷淡なのにはワケがあった。謝罪の気持ちよりも心に大きく占めている部分があったからだ。それが理由で、言葉に気持ちが入らない。 佐賀島の目に映る光景は、湯に濡れる大和の全裸で無防備な姿だ。 すらりと伸びた身長と、何事にも物怖じしない物言いは、まだ肉体的にも精神的にも成長途中である証拠であって、大人でも子供でもない姿はこうした会話にも片鱗を見せる。 少年と、青年と、そのどちらでもない曖昧さが、大和という人間の儚さと危うさを匂わせていて、佐賀島の心を時折掻き混ぜるのだ。 浮き出た背骨の一つ一つに滑らかに流れ落ちてゆく水滴を、食い入るように見つめていた佐賀島は、目が眩みそうな気持ちに襲われた。 雄の本能だろうか、近頃著しい成長を遂げる大和に対して、その存在自体をを潰したくなるような、征服したくなるような感情が突如として芽生えることがある。正直それが最近、抑え切るのが難しい。 「佐賀島?」 錯覚だ、と佐賀島は瞳を細めた。 ―――― 潰したくなる…征服したくなるなどと、浅はかな…… 目の前の、首も、肩もまだ細い、手を伸ばせばいとも容易く殺せそうな相手は、現組長が亡くなればその跡目を継ぐ男だ。 それは寧ろ自分の命よりも遥かに大事な存在であるべきだ。 そんな男に、一体自分は何を考えているのだと、沸々と湧き起こる喩えようのない胸の内を押し留め、己の名を呼ぶ大和の腰のタオルをスルリと抜き取った。

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