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四月一日目【転校生】

 元々、人から好かれるような性格をしているわけじゃなかった。  人の顔色を伺うことしかできず、それなのに俺のやることなすことは人の癇に障るらしい。  その性格のせいで同性からは揶揄われ、異性からは嫌われ、いままで散々な人生を送ってきた。  ――それも今日で終わりだ。  鏡の中、映る自分の姿を見つめた。  美容室に行って伸ばしっぱなしだった髪は染め、前髪も切ってもらった。広くなった視界が少し心細かったが、それでも少しは目の前が明るくなったような気がしない。よし、と口の中で呟く。  真新しいブレザーに身を包んだ自分は以前の自分とは違う、もう一度最初からやり直すのだ。今までを捨てて、別人として。  俺、齋籐佑樹(さいとうゆうき)はおよそ十七年間過ごしてきた街を出た。  そして、単身でやってきたのは都心の全寮制の男子校だ。ここには以前の自分を知っている人間もいない。その代わり、いつも世話を焼いてくれた使用人もメイドも親もいない。  そう、何もかもが今までとは違うのだ。  頑張らなければ。変わるんだ、俺は。今までのように逃げる必要も人の視線を怯える必要もない。頑張らなければ、ともう一度口の中で呟き、気合を入れる代わりに俺は頬を叩いた。   【天国か地獄】 「今日から皆のお友達になる齋籐佑樹君だ。皆仲良くな!」  そう言って、担任教師に肩を叩かれた。顔を上げればそこにはこちらを見る無数の目。頑張らなければ、そう決意したのが一時間前弱。早速俺の意思は砕けそうになっていた。  国内の男子高の中でも屈指の金持ち校と名高い『矢追ヵ丘(やおいがおか)学園』はその噂通り本当に必要なのかと思うところまで外装内装はもちろんその設備までもが揃っていた。ずっと都心から離れた公立の小・中学校に通っていた俺にとって、本当に女子もいないだとか黒板がホワイトボードになってるだとか何もかもがカルチャーショックで、正直、今朝繰り返していた自己紹介のシミュレート内容すら思い出せなくなっていたほどだ。  静まり返った教室の中、突き刺さる視線が恐ろしく俺はまともに声を出せなかった。 「齋籐」と促され、そこでようやくハッとする。 「さ、齋籐佑樹です。 よ、よっよろしくっ……お願いします」  反応すら返ってこない教室内に、俺の裏返った声が虚しく響く。唯一担任が「よろしくな!」とバシバシと俺の背中を叩いてくれたのが救いかもしれない。 「じゃあ佑樹の席は、亮太の隣だな」と担任は後列の窓際の席を指差す。確かにそこには空いた席があった。はい、と頷き、俺はクラスメイトたちの視線から逃げるように空いたその席へ向かった。それにしても、後列でよかった。後ろからものが飛んでくることもいきなり後頭部を殴られることも椅子を引かれることもない。空いた席、その椅子に腰をかけた時、トントンと机を叩かれる。顔を上げれば、亮太と呼ばれていた生徒はにこりと笑う。 「俺は志摩亮太(しまりょうた)。よろしくね」   長めの焦げ茶髪。どことなく軽そうな印象を与える生徒だが、好意的なその態度がただ嬉しかった。「よろしく」と笑い返すが、上手くできたかはわからない。でもよかった、いい人そうだ。 「じゃあ出席とるぞー」  教室に響く担任の点呼。聞き慣れない名前が飛び交う教室の中、不意に担任は首を傾げる。 「ん? 阿佐美(あざみ)、阿佐美はいないのか?」どうやら、生徒が一人無断欠席しているようだ。確かに前列に目を向ければ確かに一つ空いた席がある。けれどだれも何も言わない、数人が小声で何かを話してる。多分、またかよ、とかそう言う感じの口ぶりだ。担任はやれやれといった様子で点呼を再開させた。  それから、ホームルームは数十分も経たないうちに終わった。  そして、どうやらこれから講堂で始業式が行われるようだ。  始業式。今までならばその単語に億劫な思いしか浮かばなかった。けれど、今は。  「齋藤、場所分かる?」  ぞろぞろと立ち上がるクラスメイト達に遅れを取らないよう慌てて立ち上がろうとした時、志摩に声を掛けられた。首を横に振れば「だろうね」と志摩は笑う。 「なら、一緒に行こうよ。俺、案内するからさ」  俺のことを気にして声を掛けてくれる人間がいる。そのことがただ嬉しくて、俺は勢い良く「ありがとう」と頷いた。そうだ、今までとは違うんだ。志摩と他愛のないことを話しながら講堂へ向かう足は不思議と軽かった。  ◆ ◆ ◆  場所は変わって講堂。  広い講堂の中には新入生を含む大人数の生徒がいた。見渡す限りの男、男、男。ここは男子校だから当たり前なのだろうが、ここまでくるとむさ苦しい。 「齋籐が通ってた学校って、共学だったの?」  隣の椅子に腰を下ろしていた志摩。前の学校の話はあまりしたくないのが本音だ。「まあ」とだけ濁して答えるが、志摩は興味津々のようだ。 「ふーん。じゃあ、やっぱ彼女とかいたんだ?」 「え?」 「モテるでしょ、齋藤。女子に好かれそうな顔してる。俺的に」 「そんな……全然だよ、そんなの」 「へえ、そうなの? だとしたら前の学校の人たち見る目なさすぎでしょ、俺が女の子だったら一目惚れしてるよ」 「え、あ……ありがとう……?」  なんだろうか、なんとなく、志摩の視線が居心地悪かった。男同士の友達がどういったものなのか分からないからか、なんとなく距離感が近い志摩に戸惑うのだ。それでも、お世辞だとしても褒められて悪い気はしない。  そんなときだ、不意に講堂の空気が変わったことに気付く。先程までざわついていた講堂内が水を打ったように静まり返った。気付けばステージの上に数人の姿があった。 「出た、生徒会の奴らだ」  生徒会。この学園の生徒会と言うだけで全員模範生徒みたいなものをイメージしていたが、現れた生徒会役員たちは大分俺のイメージから外れていた。  まず、スキンヘッドの大男。遠目から見ても分かるくらい背丈は高く、ガタイもいい。顎には髭を蓄えていてるのもあって、制服を着ていなければ高校生だと思えないくらいの威圧感を放っていた。  それから、その隣。ゆるくカーディガンを羽織ったその男子生徒はスキンヘッドの生徒に何か耳打ちをしては楽しげに笑っていた。その耳には痛々しいくらいのピアスが刺さっていて、耳だけではない、その腕や指にもシルバーアクセサリーがぶら下がっている。  更にその隣には制服を着崩し、眠たそうに目を擦りながら何やらマイクの位置を調整してる生徒。ゆるくパーマがかった黒髪は明らかに校則違反ではないだろうか。  そして最後はステージの一番端、四人の中では一番俺の『模範的生徒』というイメージに近い地味な男子生徒だ。能面のように無表情を貼り付けたその生徒は機材を確認しているようだ。 「……なんか……」 「バラバラでしょ、タイプ」 「おまけに人相悪いのばっかり」と笑う志摩に俺は言葉に迷いながらも頷き返す。確実に四人の内の三人は優等生にはみえない。 「まあ、所詮寄せ集めだしね」  冷ややかな志摩の言葉とは裏腹に、生徒会が現れた途端私語をする生徒がいなくなったのも事実だった。俺はなんとなく違和感のようなものを覚えた。……いや、興味が沸いたと言ったほうが適切なのだろう、この場合は。  四人の生徒会役員のその中央、道を開けるようにしてマイクスタンドが置かれていた。 一人 「出たよ、会長様だ」  そう、冷やかすような志摩の言葉とともに確かにステージの隅から一人の生徒が現れた。  染めたような真っ黒な黒髪に、温度を感じさせない冷たい目。シルバーフレームの眼鏡を掛けた男子生徒は一人静まり返った講堂内を悠然と歩き、中央、マイクスタンドの前に立つ。  瞬間。 「うおー! 会長ー!! かっこいいー!!」  どこからともなく飛んでくる野次に傍観者である俺の方が驚きそうになる。しかし、生徒会長らしきその眼鏡の生徒は眉一つ動かすことなくマイクを手に取った。 「これより始業式を始めさせていただきます。進行は生徒会役員」  何事もなかったかのように始まる始業式。  先程野次飛ばした生徒は数人の教師に引っ張られ、講堂から引き摺り出されているようだった。 「……生徒会長って、人気あるんだね」 「まあ、顔が良いからね」  人望的な意味合いで口にしたつもりなのだが予想だにしなかった返答に「顔?」と目を丸くすれば志摩は笑う。 「ほら、よくある話じゃない? 男子校だとさ、男ばっかに囲まれてるせいで恋愛対象が男になっちゃう話」  俺には理解出来ないけどね、と笑う志摩。先程の黄色い(むしろ茶色い)声を思いだし、ゾッと背筋が寒くなるのを覚えた。  それにしても、そんなあからさまな生徒の声を受け流して始業式を続ける会長の神経の図太さが少し羨ましく思ったり思えなかったり。途中、奇声を上げる生徒が出たりとあったが、生徒会の手際の良さのお陰か始業式はスムーズに行われる。 「……五、生徒会長から一言。芳川(よしかわ)会長はお願いします」  途中から眠たそうな生徒の進行に変わり、いまにも眠りそうなくらい覇気の無い声にこちらまで眠りそうになっていた矢先のことだった。  再び、講堂内部に奇妙な沈黙が流れた。威圧にも似た空気感はうっかり声を上げてしまうことすら躊躇わされそうになる。  そんな中、堂々とした態度で再びステージ中央へと戻ってきた芳川会長はマイクを手にした。  瞬間、周囲、いや、生徒会役員たちの周囲にも緊張が流れるのを肌で感じた。 「今日から、新しい学期が始まります。季節の変わり目でもありますので、皆さん体調を崩さないよう気をつけてください」  それはなんでもない、他愛のない簡素な挨拶だった。 「以上」と、会長の話が終わった途端、講堂内部にたくさんの拍手が響き渡る。特に大したことを言っているようには思えなかったが、真面目な生徒が多いということだろうか。  周りに合わせて手を叩いていると、隣の志摩は拍手どころか指一本動かそうとすらしていないことに気がついた。ステージの上の会長を見ている時も、ずっと、志摩はどこか冷めた目をしてる。 「……志摩?」 「ん? どうしたの? 齋藤」    俺が声を掛けると、志摩は先程までと変わらない人良さそうな笑みを浮かべた。  もしかしたら俺の考えすぎなのかもしれない。そもそも、始業式なんてもの面倒臭いと考える生徒が一般的なのかもしれないし。  なんて、「いや、なんでもない」と視線をステージへと逸らした時だ。一瞬、ステージの上の芳川会長と目があったような気がした。……いや、そんなはずがない。ただこちらに目が向いただけだ。自分を見ていただなんて自意識過剰も甚だしい。  そして、何事もなかったかのようにステージの脇へと引っ込む会長から目を逸らした。進行役は無表情な男子生徒と代わり、先ほどの生徒に比べてハキハキとした話し方だったが高揚がないそこ声に余計眠くなりながらも淡々と始業式は進んでいった。  それから教師陣からの短い連絡があったあと、役員たちの閉式の言葉とともに始業式はあっさりと幕を下ろした。この後は特に授業もないようで、明日まで自由時間となるようだ。  他の生徒に混ざって講堂を後にしたときだ。 「理事長の話長かったね」  いつの間にかに隣には志摩がいた。どこから現れたのか、隣に並んでくる志摩は口を塞ぎながらアクビをする。  理事長は優しいそうなお爺さんだった。だからこそその柔らかい声だとか余計眠くなって、眠気を払うために抓り続けた手の甲は真っ赤になってしまった。 「あ、そうだ。これから掃除しかないし、校内探検でも行こうよ」  それは突然のお誘いだった。  これからどうしようか迷っていた俺にとって志摩の誘いは有り難いものだった。 「いいの?」 「いいよ、俺、一応委員長だし先生にも言われてたからさ」 「……そうなんだ」  もしかしたら好意で、と思ったが委員長ならば転校生を気に掛けるのも仕事ということか。少し残念だったが、それでも有り難い。 「……じゃあお願いしようかな」  最悪一人パンフレット片手に探索しようと思っていただけに、在校生が一緒となれば心強い。それにしても、志摩が委員長ということにも驚いたが。生徒会役員といい、わりと自由な校風なのだろうか。 「じゃあ一応|喜多山《きたやま》にも言っとかないとな」 「喜多山?」 「うちのクラスの担任。あいつ暑苦しいでしょ」  ああ、あの体育会系の教師か。  白い歯をみせて笑う担任を思い浮かべ、俺は苦笑を浮かべる。コメントのしようがないのだ。志摩の好意に甘えることにした俺は、近くに担任がいないことを確かめるとそのまま志摩とともに職員室に向かうことにした。  ◆ ◆ ◆ 「なんだ、お前らいつの間に仲良くなったんだ」  職員室前、担任もとい喜多山は豪快に笑う。「お前も隅に置けないな」なんてここではなかなか笑えない冗談を口にし、担任はバシバシと志摩の背中を叩いた。 「じゃあ、しっかり案内してやれよ。委員長さん」 「ええ、任せて下さい」  そう返す志摩がなんだか頼もしく見えた。  職員室前廊下、喜多山と別れた俺達は一旦職員室から移動することにした。 「それじゃ、まずどこから行こっか」 「どこでもいいよ」 「そうだね、校舎も案内しないといけなくなるだろうし、けど今日のところはやっぱり寮かな」  寮、という単語に自然と胸が躍る。ここへやってくるときちらっと見かけたあのお城みたいな建物が確か、矢追ヵ丘学生寮なはずだ。そう、今日から俺が卒業までの間毎日過ごす場所。 「もしかして、もう見た?」 「ここに来るときにチラッとだけど……」 「まあ、確かにあそこ目につくもんね。中も見た?」  問い掛けられ、首を横に振る。「じゃあ決まりだね」志摩は笑った。  長期間他人と一緒に生活をすること自体が初めての俺にとって寮暮らしが楽しみである反面、心配の種でもあった。一般生徒は二人一部屋を義務付けられているというのだ。  つまり、必然的に誰かと1つの部屋を共用しなければならないという。  俺のルームメートはどんな人だろうか。優しくて、志摩みたいな人なら気が楽なんだろうけど。 「齋籐、どうしたの?」 「あ、いや……なんでもないよ。今行く」  考えても仕方がない。  けれど、ルームメイトになる人と仲良くなれたらいいな。なんて思いながら、俺は志摩の後を追いかけた。  ――校庭、学生寮前。  豪勢な校舎の隣に建つ、これまた豪勢な寮を見て俺は固唾を飲む。 「ここが、矢追ヶ丘学園自慢の学生寮です」  貰った学園案内のパンフレットで見た時も思ったが、本当、ここがなんの施設なのか分からなければどこぞの城だと聞いて納得できそうなくらいだ。 「す、すごい……」  ここが、今日から生活する建物。  感動のあまり打ち震えそうになる俺に、志摩は笑った。 「いやーなんだか懐かしいね」 「え?」 「齋藤見てると、初めてこの寮見た時の自分を思い出すよ。俺も『なんだこの城』ってすごい驚いた記憶あるな」 「志摩も?」  この学園は元々小中高のエスカレーター式になっているようで、多くの生徒はこの無駄に金の掛かったこの施設にも慣れているのだろうと思っていただけに少し、親近感を覚える。  もしかして志摩も俺と同じ転校生だったのだろうか。  そんなことを考えている内に、志摩はさっさと入口の自動ドアから寮に入っていく。  遅れを取らないよう、俺は志摩の後を追うように学生寮へと脚を踏み込んだ。 「一年が二階で、二年が三階。三年生は四階ね。因みに一階はショッピングモール」 「ショッピングモール?」 「基本学校生活に必要無ものは一階で揃えることが出来るようになってるんだ。勿論、外出届けを出せばソトで買い物することもネット通販で取り寄せることもできるからここはただの娯楽施設だね」 「……娯楽……」 「そ、ゲームセンターとか本屋とか服屋とか。これは理事長の趣味というより……いや、なんでもないよ。それより、ショッピングモール気になるでしょ?」  一階、エントランス。  尋ねられ、俺は勢い良く頷いた。 「なら、一階から案内するよ」  そう言う志摩の言葉に甘え、俺はモールへと向かった。  本当、店舗もここまで揃えば一般公開してほかの客を入れてもいいんじゃないかというくらいの店揃いで、正直この施設が学園で生活する生徒教師にしか使用できないということが勿体なく感じる。  高い天井、行き渡った清掃、清潔感溢れる内装をしたそこは一流デパートと言われても納得出来る。しかしまあ、一階だけなのでそれほどの広さがないが、寧ろ学生寮の付属としての施設だけの役目なら贅沢な程だろう。 「すごい……広いね」 「そうだね、無駄に金掛けてるみたいだからね」 「ここ……回りきれるかな」 「それは大袈裟だよ、齋藤。……けど、そうだね、一旦着替えてからにする?荷物もあるんだよね、そういや」 「うん。……そうしようかな」  いますぐ見て回りたかったが逸る気持ちを抑え、一度俺と志摩は三階の二年部屋へ向かうことにした。  ロビーを抜け、エレベーターへ乗り込む。  エレベーター機内まで細部まで装飾が施され、なんだかもう次元の違う場所のように思えた。 「着いたよ」  小さな音とともに開くエレベーターの扉。俺達はエレベーターを降りた。  一階同様、三階通路は広く手入れが行き渡っているようだった。  並ぶ無数の扉にプレートの番号、色を差すためか置かれた瑞々しい観葉植物といい、なんとなく高級ホテルを連想する。 「齋籐、部屋の鍵とか貰った?」  興奮がピークになるのを自分でも感じていると、不意に隣を歩く志摩に尋ねられる。  鍵、鍵、鍵と、職員室で喜多山に渡された鍵を探す。制服のポケットの中、それは見つかった。 「あ……これかな」 「ふーん、333号室なんだ。ぞろ目じゃん、すごいね」  鍵についたプレートの数字に目を通し、笑う志摩。  確かに覚えやすくていいな、と最初は思ったもののこうして三階に出た今333号室に行き着くことが出来るのかすら不安になってくる。 「ん? 333号室………?」  そんな俺の不安が伝わったのだろうか。  ふと、思い出したように首を傾げる志摩。 「……どうしたの?」 「……」 「志摩?」 「……いや、なんでもない」  なんでもないことはないだろう。  そんな微妙な反応をされ濁された方が逆に気になるというもので、「何かあった?」と少し踏み込んだ問い掛けをしたとき、ようやく志摩は重い口を開いた。 「……333号室って、阿佐美と同室だ」  阿佐美。つい最近どこかで聞いた覚えのある名前だ。  そうだ、あれは朝のホームルームだ。  始業式早々サボっている生徒の名前が確か、阿佐美だった気がする。 「こ……怖い人なの?」 「怖いっていうか、なんて言ったらいいんだろう。……変わり者かな。いつも一人で、部屋に引き込もってばっかりで。……まあ勉強はできるみたいだけど」 「俺はあんまり」と肩を竦める志摩。  引き籠り、ということだろうか。  一時期、俺にも部屋の外から一歩も出歩くことが出来なかった時期があった。  痛む体を動かしてまで人に会いに行く気になれなかったのだ。  それでも、なんとか保健室までは行くことが出来るようになったけれど、それでもたくさんの人がいる所は今でも立ち竦んでしまう。 「……そうなんだ」  見知らぬ阿佐美という生徒についこの間までの自分を重ねてしまい、つい、語尾が弱くなる。  明るくフレンドリーな志摩にとっては変わり者という部類になっても仕方ないと思う。  改めて自分とは違うタイプの人間だと突き付けられているようで、それ以上にこうして並んで歩いていることが場違いではないだろうか、なんて不安になってきて。 「まあ俺はあんまあいつと話さないからわからないだけかもしれないし、案外普通かもしれないよ」  黙り込む俺が不安になっているように見えたのか、志摩はそうフォローするかのように俺の肩に触れてきた。  ……だったら良いけど。  あまりにも自然なボディータッチになんとなく戸惑いながらも俺は「うん」とだけ頷いた。 「荷物は先生に預けてるの?」  何股にも分かれた廊下を迷いもせず歩く志摩の後をついて行くこと暫く。  確か、荷物はここへ来るとき部屋に送ってもらうよう頼んでいたんだ。 「うん。部屋かもしれない」 「普通さ、先に部屋案内すると思うんだけどね。本当喜多山いい加減なんだから。……まあ最初は大変だろうからね、俺で良かったら毎日迎えに行くよ」 「いいの?」 「構わないよ、別に」  そうだ、志摩は委員長なんだ。  転校生の面倒まで見なくてはならないのだから大変だなぁと思う反面、志摩の気遣いは純粋に嬉しい。 「それじゃあ、よろしくね」  そう笑い返せば、志摩は微笑む。

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