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03
俺と十勝は生徒会室を後にした。
既に日はすっかり沈んでいた。窓の外は赤黒く染まり、窓の外から見える校庭にはもう人影が見えない。皆既に寮へ戻っているようだ。
通路にも人気はなく、長い通路に俺と十勝の足音が響いた。
エレベーター乗り場前。
制服から何かを取り出した十勝はそれを取り付けられたカードリーダーに差し込む。
それから慣れた手つきでスイッチを操作すると、すぐに扉が開いた。俺たちはそれに乗り込んだ。
「こんなところにエレベーターがあったんだね」
「そうそう、ここって生徒会専用なんだよね」
「えっ! そうなんだ、すごいね」
「昔、色々面倒なことがあってさ、理事長がわざわざ専用のエレベーター作ったらしいぜ。これに乗ったら生徒会室前と寮まで真っ直ぐなわけ。……つっても、ちょっとは歩かなきゃなんねーけど」
「そうなんだ……」
エレベーターが停まる。
機体から降りれば、十勝の言う通り、長い渡り廊下が目の前に続いていた。
……というか、理事長って、阿賀松のお爺さんってことなんだよな……。
見た感じ、優しそうなお爺さんって感じだったけど……どうなのだろうか。とてもじゃないが、阿賀松に可愛がられるような要素は見当たらないが……。
そんなことを考えながら、俺は渡り廊下を歩く。それから扉をくぐり抜け、あっという間に俺たちは学生寮へと戻ってくることになった。
学生寮三階・303号室前。
「ほら、上がれよ」
「お、お邪魔します……」
十勝に招き入れられるがまま、部屋へと上がる。
そして、俺は少しだけ驚いた。まず、目に入ったのは部屋の中心部を真っ二つに遮った黒いカーテンだ。
片方は片付き、片方はごちゃごちゃと散らかっている。
「あ、佑樹、俺の部屋こっちだから」
狼狽えてると、一足先に部屋に上がった十勝が散らかったスペースへと招いてくる。
なんとなく予想ついたが、片付いてる方が志摩の部屋ということか。
志摩の姿は見当たらなかったが、どこかに出かけているのかもしれない。
「ほら、適当なところに座っていいから。あ、ジュース飲む?コーラとサイダーあるけど」
炭酸が好きなのだろうか。思いながら、俺は「じゃあサイダーで」と十勝に甘えることにした。
一先ず座椅子がある場所に座っては見るが、散らかってる。阿佐美もなかなか散らかす才能の持ち主だが、十勝はまた別の方で散らかってるというか……生活感が溢れてるというか……。
床の上で広がったファッション雑誌を手に取りながら、俺は辺りを見渡した。壁にはどこかのバンドのポスターが無造作に貼られ、パイプベッドの側には女の子と移った写真が纏められたボードが下がってる。『ユイナオ夫婦一週間記念』と書かれてるが、もしかしてさっき殴られた子だろうか……。
そんなこと考えてると、台所の方からグラスとボトルを手にした十勝が戻ってきた。
「お待たせー……って、どうした? なんか気になるもんでもあった?」
「や、えーとあの……この子って、十勝君の彼女?」
「ああ、それね。さっきまではな」
「え?」
「さっき言っただろ、振られたんだよ。『彼女といるのに携帯ばっか気にすんじゃねー』ってさ、ビンタされた……」
「げ、元気出して……」
「ま、丁度他の子に告られてたところだったからいいけどさ、結構気に入ってたんだけどなー可愛かったし料理旨かったしもったいない事しちゃったな」
「……」
なんというか、俺が想像してる失恋した人の反応とは違うというか……。思ったよりも気にしていないどころか立ち直りが凄まじく速い十勝に何も言えなかった。
五味も『また振られたのか』とか言ってたし、それほどモテるということか……?羨ましいような、羨ましくないような……。
と、そんな話してると、玄関の扉が開く。
そして、
「ちょっと十勝、靴ちゃんと片付けてっていつも言ってるだろ!」
怒鳴りながらカーテンを勢い良く開いたそいつは、俺の姿を見るなり目を丸くした。
「って、え、……齋藤……?」
「……お邪魔、します……」
そう、静止する志摩亮太に俺は笑って誤魔化す。
そんな横で、十勝は「帰ってくんのはえーだろ」とぼやいた。
「……どうして齋藤がここにいるの?」
「ええと、それは……」
「こっちで色々あったんだよ。っていうか、勝手に入ってくんなよ、お前の部屋あっちだろ」
「……ちょっと齋藤こっちに来て」
「おい待てよ、佑樹は俺の客だから」
「……」
「……」
なんとなく想像していたが、まさかここまでとは。
明らかな険悪な雰囲気を醸し出す二人に、俺は口を挟むことすら躊躇う。
「あの、志摩……急だったんだ、それで、志摩に何も言えなくて……ごめんね?」
「急って何?」
「……ええと、その……」
「お前、こいつが阿賀松伊織に絡まれてんの知ってんだろ」
「……そりゃ、噂されてるしね」
「そういうこと。今日も安久に追い掛け回されてたらしいし、部屋に待ち伏せされてたら危ねーから生徒会役員のところに泊めた方が良いって話になったわけ」
「それでここかよ」
「そういうこと、納得したか?」
「……それならいいけどさ、別に。頼るなら生徒会の連中よりも俺を頼ってほしかったけど」
「ご、ごめん……」
「なんで佑樹が謝るんだよ、別にお前悪くないじゃん」
「……」
項垂れる俺を、十勝はフォローしてくれるけど志摩の表情は相変わらず不機嫌なもののままで。
「……勿論、寝るのは俺のところだよね?」
突然、そんなことを尋ねられ、思わず「え?」と声が裏返ってしまう。
「十勝の部屋汚いし、俺のところのがいいでしょ絶対。十勝はイビキも煩いしね」
「何勝手に決めてるんだよ、つーかほっとけ!」
「ええと……」
「それだったらいいよ、齋藤」
「ここに泊まってもいいよ、って言ってるんだけど」狼狽える俺に、志摩はにっこりと笑い掛けてくる。
寧ろ、ソレ以外の返答でもしたら追い出すとでも言いたげな圧力を含んだ志摩の笑顔に、俺は思わず頷いた。
すると、打って変わって花のような笑みを浮かべる。
「決まりだね。それじゃ、晩御飯の用意しないと。あ、齋藤ご飯食べた?」
「食べてないけど……」
「それじゃあカップ麺と俺の手料理どっちがいい?」
「ええと、カップ麺……」
「あ、俺も! デカ盛り! ……じゃなくて、何勝手に仕切ってんだよ!」
「齋藤は俺の友達だよ、俺が持て成すからお前は引っ込んでろよ」
「こ、い、つ……」
「と、十勝君落ち着いて……」
先程までの険悪な雰囲気は和らいだかなと思ったが、気のせいだろうか。
見えない火花を散らす二人に、居心地悪さだけは相変わらずだった。
「齋藤、服とか持ってきてるの?」
「あ、持ってきてないや……」
「佑樹、俺の貸そうか? サイズなら同じくらいだろ?」
「い、いいの……?」
「いらない」
そう、十勝に対して俺の代わりに答えたのは志摩だ。
なんで志摩が答えるんだと慄く隙もなく、隣に腰を掛けてきた志摩は「はい」とそれを手渡してくる。それは服一式のようだ。
「齋藤は他人の下着でもイケる人?」
「えっ、あ、うん……」
「じゃあこれも使っていいよ。あ、心配しなくてもそれ開封したばかりの未使用だから」
言いながら、ぽんと服の上に下着を乗せる志摩。
派手な模様が入ったそれに、俺はまた驚いた。
「未使用って、そんなの、悪いよ……」
「なら、俺が履いてるやつ履く?」
「え、ええと……」
「齋藤は苦手でしょ、そういうの」
「う……」
「ま、ノーパンで過ごしたいなら好きにして構わないけど。風呂上がったとき着替えなよ」
「あ、ありがとう……」
言い方はともかく、志摩なりの親切心であることに間違いはないだろう。
しどろもどろお礼言えば、志摩は「どういたしまして」と笑った。いつもの、柔らかい笑顔。
「佑樹、嫌なら嫌だって言っていいんだぞ。こいつ恩着せがましいからなぁ、気をつけろよ」
「お前に言われたくないんだけど」
「よく言うよ。ま、別に買ってきてやっても良いんだけど」
「そ、それは流石に……悪いよ」
部屋に取りに戻るのが一番早いと分かるが、もともとは部屋に戻らないためにここに来てるわけだ。なるべくなら外出も避けた方がいいだろう。
十勝も気付いたのだろう、「そうだな」と唸り、「まあ佑樹がいいんならいいか」と朗らかに笑う。
十勝も志摩も険悪なのは変わらないが、晩飯を食べてる最中はテレビを見ていたお陰で大分お互いから気が逸れていたみたいだ。
「そうだ、佑樹、なんか食いたいのある?」
「え?」
「お菓子とかさ、飲み物とか。俺なんか買ってくるから欲しいのない?」
「ええと、俺は、別に……」
「サイダー、炭酸キツイやつ」
「誰がお前に聞いたよ、つーかそれくらい自販機で買ってこいよ」
「ならいらない」
「こいつ……」
……なんて思ってたのは、俺の気のせいだったようだ。
志摩の言葉にご立腹になりつつも十勝はこちらに振り返り、笑った。
「適当に買ってくるから文句言うなよ」
「あ……ありがとう」
「別に? 俺も食いてーだけだから」
……こういうところが、やっぱり女子にモテるのだろうか。
さりげない気遣いというか、俺に気負わせないような気遣いを節々で感じる。
知り合ったばかりの俺に対しても態度を変えないし、根はいい人なのだろう……第一印象は良くなかったけど、それでも、接することでわかっていく。
「なんかさぁ、十勝って齋藤に甘いよね」
「え?」
「そんなに仲良くなかったでしょ、この前は」
そうだと言っても、そんなことはないと言っても十勝に失礼なような気がして、返答に迷う。
十勝のいなくなった部屋の中、壁掛けテレビの中に映る人々の楽しげな笑い声だけが響いた。
こちらをじっと見詰めてくる志摩の目を、見るのが怖かった。責めるようなその色に、言い淀む。
「十勝君は多分、皆に優しいと思うよ。俺だけじゃなくて」
「ふーん」
「……」
上手く、逃げられたと思った。なんでだろう、なんでそんなこと聞くんだろうか。志摩の意図が分からないだけに余計、胸の奥がざわつく。
俺は、気分を紛らすためにテーブルの上のグラスに手を伸ばした。
既に空に近かったが、それでも構わず、俺は底に溜まったぶどうジュースを喉の奥へと流し込む。
そんな俺の一挙一動に目を向けていた志摩だったが、俺がグラスをテーブルの上に置いたときだ、いきなり、腕を掴まれた。
「ッ、志摩……?」
驚いて、うっかりグラスごと落としそうになるのを寸でのところで堪える。
何か怒らせるようなことを言ってしまったのだろうか、と狼狽えるも、志摩の視線に気づいた。
志摩の視線は、俺の手元へと向けられていた。シャツの袖の下、覗く赤い痕に血の気が引く。
その痕には身に覚えがあった。阿賀松に拘束されたときのそれだ。
「……ッ」
気付かれた、と理解した瞬間カッと全身の血液が顔面に集中する。
放して、と、慌ててその手を振り払おうとするが、手首を掴む志摩の手は緩むどころか、キツく俺を締め上げた。
「……何、これ……この形、どう見ても、ただのアザってわけじゃないよね」
見たことのない目、その低い声に、血の気が引く。
勘付かれるのが怖くて、俺は、思いっきり志摩を突き飛ばした。
「……これは、その、腕時計を……つけて……それで、俺皮膚弱いから……痕が結構目立っちゃってさ……」
「齋藤腕時計つけてないでしょ」
「……」
「どうして、そんなしょうもない嘘吐くの?」
何も、言い返せなかった。誤魔化そうとすればするほど墓穴を掘っていくのが分かった。
志摩の声のトーンがどんどん落ちていくのが分かった。
沈黙が怖かった。逃げ道を探す。けれど、混乱する頭の中はそれどころではない。
「……本当に、なんでもないんだ……」
志摩には、阿賀松とのことを悟られたくなかった。手遅れだと分かってても、それでも、認められなかった。
俯く俺に、志摩の目が冷めていくのが肌が分かった。
「俺には話してくれないんだね」
心臓が、握り潰されるようだった。
息苦しい。伏せられる志摩の目に、自分が選んだ選択だとしても、酷く後悔に苛まれる。
それでも、言いたくなかった。志摩とはただの、どうでもいい話を肩の力を抜いて話せるような、そんな友達でいたかったから。……でも、俺は間違えていたのだろうか。
離れる志摩の手に、とうとう、俺は何も言えなかった。
それから暫く、沈黙が流れる部屋に袋を抱えた十勝が帰ってきた。
「ただいまー! って、うわ、なんか部屋の空気重くね?? あっ、そうだ佑樹、見てみてこれ美味そうじゃね? チョコいちごソーダ。俺も喉乾いたし早速飲もうぜー! ………………佑樹? どした?」
「えっ? や、あの……うん、俺も、一口ほしいな、それ……」
「おう、飲み放題おかわり自由だぜー」
……十勝がいてくれて助かった。
気まずい気持ちのまま、俺は、十勝から受け取ったジュースを飲み干した。ほろ苦いいちご味のソーダが口の中で弾ける。とてもじゃないが、美味しいとは思えなかった。
志摩は、さっき以上に話さなくなった。無表情のまま、サイダーを飲みながらテレビを眺める。
俺はというと、お喋りな十勝に色々根掘り葉掘り効かれては答えに詰まっていた。
さっきまでなら、「十勝の馬鹿の相手なんてしなくてもいいよ」と志摩が突っ込んできたのに、まるでそこに俺たちなんか存在しないかみたいにテレビを眺めてる志摩に、俺は、正直気が気ではなかった。
……やっぱり、怒らせたんだろうな。
志摩だって服を貸してくれたし、俺のことを心配してくれたんだ。それなのに、俺は志摩のことを信用してないって思われたのかもしれない。
けれど、だからと言って本当のことを知られてしまえば志摩は軽蔑するだろう。それも、志摩には散々警告されていた阿賀松が相手だなんて。
ぐるぐると悪い考えばかりが巡る中、不意に、志摩が立ち上がる。
驚いて、思わず志摩を見上げた。
「齋藤も風呂入るよね」
「……え? あ、……うん……」
「じゃ、入れてくる」
それだけを言い残して、部屋の奥へと消えていく志摩。
それからすぐ、遠くから水の音が聞こえてくる。
……志摩は、怒ってないのだろうか。普通に話しかけてきた志摩に戸惑う反面、安堵した。
俺の気にしすぎということなのか、不安は拭えないが、それでもまた話し掛けてくれた事実にほっとする。……大げさなのだろうが。
「なーんか、妙にしおらしくなったな、あいつ。……もしかして俺がいない間なんかあった?」
志摩がいなくなったのを確認して、十勝は小声で尋ねてくる。変なところで鋭い十勝に、内心ギクリとした。
素直に言うべきか迷ったが、十勝にまで心配を掛ける程のことでもない。
俺は「別に、なかったけど」と無味乾燥な返事をする。
「そうか?ならいいけど……」
「……」
納得したわけでないのだろう、釈然としない様子の十勝だが、それ以上言及することはなかった。
暫くもしない内に志摩は戻ってきて、床の上、クッションに腰を下ろす。
「佑樹、グラス空になってんじゃん。ほら、もっと飲めって。お前のために買ってきたんだから」
「あ、ありがとう……」
「ねえ、十勝俺のグラスも空いてるんだけど」
「はいはい、グラス寄越せよ」
「ん」
……なんだろう、ギスギスしてるよりはましなのだろうけど、なんとなくお互いに腹を探り合ってるような、そんな妙な空気が部屋の中に広がった。
時計の針は二十九時を差す。十勝はリモコンを手にチャンネルを切り替えた。
「お、このドラマ続き気になってたんだよなー」
「また恋愛もの? よく飽きないね」
「この女優が本当可愛いんだって、な、佑樹どっちが好み? 俺は茶髪ロングの方!」
「えっ、えーと……黒髪の人かな……?」
「あー、なんか分かる気がする。清楚系好きそうだもんな、佑樹って」
「……そ、そうかな……」
他愛のない会話。テレビがあって、本当に良かった。
十勝お気に入りのドラマをお菓子を食べながら眺めては、時折志摩が登場人物に文句を言って、十勝は女優に感情移入して涙ぐむ。今まで、家族以外の人間とこんな風に夜を過ごしたことがなかったからか、酷く新鮮だった。
多分、普通に友達の部屋に泊まりにきてたのならもっと楽しかったのだろうけど……なんとなく俺は、素直にこの状況を楽しめなかった。
ちらりと志摩に目を向ければ、画面を食い入るように眺めていた志摩と視線がばちりとぶつかり合う。
あ、と思い、咄嗟に俺は志摩から目を逸してしまった。
……さっきのことを思い出しては、どんな顔をして志摩と接したらいいのかわからないのだ。
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