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04

 時間も経ち、ドラマは終盤に入る。十勝が嗚咽を漏らしながら号泣し始めた頃、立ち上がった志摩が俺の横にやってきた。 「齋藤、風呂、沸いたみたいだから先入ってきなよ。こいつ、どうせ終わるまではテレビの前から動かないし」  それだけでも驚いたが、そう肩に触れてくる志摩に心臓が反応する。さっき、掴み上げられた腕が疼いた。けれど、志摩はすぐに俺から手を離した。 「……でも、俺あとでもいいよ」 「そういうのいいから。齋藤はお客様なんだし。……それに、十勝は長風呂だから先さっさと入って済ませた方がいいと思うけど」 「俺も齋藤の次入るから、早くしてね」と、志摩はそれだけ言ってそのままベッドに腰を下ろした。  ……こうしてグダグダしてる時間もない。  俺は、志摩に促されるがまま立ち上がり、先程志摩から借りた服を手にそっと脱衣室へと向かう。  幸い、部屋の作りは自室と同じようで迷わなかった。  けれど、俺と阿佐美の部屋にはないようなものがたくさんある。  ……化粧水って、これ、女の人がつけるものだと思ってたんだけど、どちらかが使ってるのだろうか。思いながら、俺はブレザーに手を掛ける。  やはり、他人の部屋で全裸になるのは抵抗がある。……自室でもまだ緊張するというのに、今は緊張というよりも……不安感。  阿賀松に触れられた痕を見られたらと思うと、怖くなる。自意識過剰だと思ったが、さっきのこともある。俺は、時間を掛けないよう、服を脱いで浴室へと移動する。  蒸気で溢れ返った浴室内。極力鏡を目に入れるのを避けながらも、一度シャワーのお湯で全身を洗い流す。  清潔感に溢れた浴室内、お洒落な形のソープボトルが複数並んでいる。  その中には勝手に使うなと書かれた紙が貼ってあるものもあり、二人の攻防戦が目に映るようだった。  ……早く、なるべく早く済ませよう。  シャワーヘッドを頭上へと固定する。降り注ぐシャワーのお湯の中、どれを使えばいいのだろうか、と迷ったときだった。  水の音に混じって、いきなり扉が開いた。 「ッ、え?」  流れ込んでくる外気に驚き、振り返ればそこには志摩がいた。それも、同様に服を脱いで、腰にタオルを巻いた志摩が。 「っ、し、ま、あの、待って、どうして……」 「いや、何使えばいいのか齋藤分かんないだろうなって思ってさ。あ、シャンプーこれ使っていいよ。リンスも入ってるから」 「あ、ありがとう……じゃなくて、あの、ちょっと、待って……!」  慌てて、志摩に背中を向け、腰のタオルを巻き直すけど、後ろ姿が志摩の目にどう写ってるかなんて俺にはわからなかった。  身体が、熱くなる。けれど、出ていってくれって言うのも俺が言って良いのか分からなくて、結果的にその場から動けなくなってしまう。  そんな俺の動揺も緊張も関係なく、志摩は、そのまま浴槽に浸かる。溢れるお湯が足元を濡らす。 「どうしたの? もしかして、俺が入ってきたらまずかった?」  そういう問題では……あった。けれど、志摩は大して気にしている様子はなかった。  もしかしたら、友達というものはそういうものなのかもしれないし……変に意固地になることで志摩に余計不信感与えるのも嫌だった。  俺は、「別に、いいよ」なんて、思ってもないことを口にしてしまう。 「そう? なら良かった。あ、ボディーソープはこっちね。紫色のやつが俺のだから」 「……うん、ありがとう」  変にもじもじしてる方がおかしいと思われるかもしれない。そう思ったけれど、やっぱり、恥ずかしいものは恥ずかしい。俺は、志摩に背中を向けたまま、髪をお湯で流す。  ……緊張で、息が詰まりそうだ。  動揺を悟られないように、俺はシャンプーボトルに手を伸ばす。数回出したそれを手のひらに伸ばし、髪に絡める。沈黙が、志摩の視線が、怖い。 「齋藤さぁ、さっきのことだけど」  いきなり声を掛けられ、心臓が停まりそうになる。  俺は、あくまで動揺を悟られないように「……何?」と聞き返した。  もしかして、さっきの話の続きをこの状況で盛り返されるのだろうか。 「俺も、齋藤と一緒でヒロインの友達の黒髪派かもしれない」  一瞬、なんのことか分からなかった。が、すぐにさっきまで見ていたドラマの話だと気づく。  なんだ、と安堵する反面、なんで今その話をするのか分からなくて、「そうなんだ」と語尾を濁す。  気まずい。早く、風呂から上がろう。思いながら、洗い終えた頭をシャワーで流す。 「本当は自分だって男のこと好きなのに、友達と好きな人が被ってしまったからって自分は身を引くの。そういうやつさ、なんか見てられないんだよね」 「ほっとけないっていうのかな、なんていうか」泡が完全になくなったのを見て、ノズルを捻り、シャワーを止める。  その時だった、湯船に浸かっていた志摩がいきなり立ち上がった。瞬間、視界が陰る。すぐ目の前には志摩の顔があって、驚いて後退しそうになったところを、捕まえられた。 「そういう謙虚ぶってんの、見ててすげームカつくんだよね、俺」  濡れた皮膚が、触れる。暖かさよりも、その感触に意識が集中した。こちらを覗き込むその目に、身体が石になったみたいに硬直した。志摩の前髪から水滴がぽたりと落ち、胸元を濡らした。 「齋藤、俺ってそんなに信用ならない?」  息が、吹き掛かるほどの至近距離。囁きかけられるその言葉に、視界が眩む。  これ以上は、まずい。そう、脊椎反射で志摩の胸を押し返した。  何がまずいのか、明確には分からない。けれど、耐えられなかった。この状況に、腹の中を素手で掻き回されるような、空気に。 「ごめん、あの……先に、上がるね」 「齋藤」 「し、志摩はゆっくり入っていいから」  俺は、逃げるようにそのまま脱衣室へ戻る。志摩が追い掛けてくる気配を感じて、俺は、慌てて扉を閉めたあと、そのまま扉から手を離せなかった。 「……」  心臓が、バクバクとうるさい。  けれど、この感じは楽しいときやワクワクしたときとは違う。  濡れた身体から無数の水滴が落ちていく。俺は、扉に映る志摩の影が見えなくなったのを確認して、手を離した。  それから、慌ててタオルで身体を拭いて、まだ半分濡れたまま俺は十勝のいる居間へと戻った。  丁度エンディングが終わり、次回予告が流れているところのようだ。 「お、佑樹、風呂上がりの牛乳飲むか? ……って、ビチョビチョじゃねーの。ほら、ちゃんと髪拭かねーと風邪引くぞ! 俺の速乾ドライヤー貸してやるよ」 「あ……ありがとう」  いつも通りの十勝に、感謝した。  早速、俺は十勝に借りたドライヤーで髪を乾かす。水滴が完全になくなったとき、浴室の方から扉が開く音が聞こえてきた。  そして、 「……」  現れた志摩は、不機嫌そのものだった。けれど、寝間着に着替えた俺を見るなり、笑みを浮かべる。 「服、袖ちょっと余ってるね。……けど、小さいよりはいいか」 「つーかお前、姿見えないと思ったらいつの間に風呂入ってんだよ」 「お前がテレビ見てオンオン泣いてる間。入るんならさっさと入れよ、俺ら先に寝るから静かにしろよ。歌も歌うなよ」 「はぁ? まだ早くね? 十時だぞ?」 「いいから、こっちに入ってくんなよ」  言うなり、俺の側までやってきた志摩は「齋藤、来て」と俺の手を取る。断る暇もなく、俺はカーテンの向こう側、志摩のスペースへと連れて行かれる。  文句を言う十勝を無視して、黒のカーテンを締め切る志摩。 「……あの、さっきは……」  ごめん、と謝ろうとしたときだ。ベッドの側まで歩いていった志摩は「よいしょ」とわざとらしく声を上げ、腰を下ろす。そして、上目がちに俺を見た。 「齋藤も、座りなよ」  こっち、と、志摩は自分の隣をぽんぽんと叩く。  こんなにスペースあるベッドの上、隣に座るにしては近すぎるような気もしたが、ここで断れば志摩の機嫌をまた損ねてしまいそうで、怖かった。  俺は小さく頷き返し、そっと腰を下ろす。 「志摩……あの」  謝らないと、と顔を上げたとき、伸びてきた手が髪に触れる。すん、と、匂いを嗅がれ、全身が固まった。 「っ、し、志摩……?」 「齋藤、俺と同じ匂いする……なんか不思議だね」 「……」  汗を流したばかりにも関わらず、背中に嫌な汗が滲む。  前々から、志摩のパーソナルスペースの狭さには戸惑っていたがここまで来ると、流石に身体が自然と離れようとしてしまう。阿佐美も確かに狭いときもあるが、志摩が相手となると別の緊張が生まれるのだ。 「あの、志摩……」 「さっきはごめんね」 「……え?」 「齋藤出ていって言わないから平気なのかなって思ったけど、本当は嫌だったんでしょ?すぐ風呂上がったから、あーやってしまったって思ってさ」  俺は、素直に驚いた。志摩の方からそんな風に謝罪してくるとは思っていなかっただけに、余計。  それ以上に、俺も気にしていたことだっただけに、嬉しくなるのも事実だを 「そんな、こと……寧ろこっちこそごめん、あんな一方的に出ていって……」 「齋藤が謝るのは変じゃない?」 「で、でも……一人でお風呂に入れさせてしまったんだし……」 「なんか勘違いしてるようだけど、別に俺一人でも風呂くらいは入れるからね」 「……あっ……」 「でも、嫌なら嫌って言ってくれないと、俺もこういう性格だからね。……勘違いするよ」  なんとなく、その言葉には別の意図が含まれているような気がしたが、志摩の笑顔に、すぐにその不安も拭われる。 「……ごめん」 「あ、また謝った」 「あの、俺、その、分からなくて……せっかくの志摩の善意を無碍にするのも申し訳なくて……その……」 「齋藤は優しいんだね」  ふ、と笑う志摩。  慈しむようなその目に、緊張が解れるようだった。 「嬉しいよ。……けど、それで齋藤が嫌な気持ちになるんだったら元も子もないでしょ。それに、俺は変に遠慮されるよりかはドンドン言ってもらえる方が好きだしね」 「志摩」 「あー、なんか辛気臭くなっちゃったね。ごめん、ま、気にしないで」 「ううん、俺も……志摩が良くしてくれるの、すごい嬉しいし……楽しい」  なんだろう、こういう風に素直に思ったことを口にする志摩だからか、思いの外自分の言葉を口にすることができた。  性格もあるのだろうけど、ざっくりとした態度が今の俺には新鮮で、有り難い。  暫く微笑んでいた志摩だったが、不意に思い出したように「そうだ」とベットの下から何かを取り出す。それは大きめの箱のようだ。 「あ、あの……それなに?」 「ゲームだよ、ボードゲーム。二人でもできるやつ。前に先輩が持ってきたんだけどそのまま忘れて帰ってさ、俺のものになったわけ」 「捨てようと思ってたんだけど、丁度いいや。一緒にやろうよ」そう、にっこりと笑う志摩。  楽しそうだけど、と俺はカーテンの向こうに目を向ける。 「あの、先に寝るんじゃ……?」 「そんなの嘘に決まってんじゃん。まだまだ夜はこれからだよ、齋藤」 「……」  なんでこうも、志摩も十勝も素直ではないというか、なんというか。にやりと笑う志摩に、俺はイエスの答えしか用意されていなかった。  結局、志摩とボードゲームを興じることになったのだけれど、案の定十勝がやってきて、最終的に三人でゲームすることになった。  最初はどうなることかと思ったが、ゲームごととなると別のようだ。ギャーギャーと騒ぎながらも、俺達は結局朝方の三時まで遊んでいて……気付けばそのまま電気も付けたまま寝落ちしていた。

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