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03
「っ、別に……何も……」
「何もないのに齋藤に会いに来たってこと?」
向けられる目には確かに怒りにも似た色が滲んでいた。
どうして、志摩が怒るんだ。確かに変なことを言われたが、今回はまだ人目もあるし縁にしつこくされたわけではない。
俺が責められるような目を向けられるのが理不尽な気がしてならない。
「……っ、知らない」
本当のことだった。縁はそう言っていたが、あの人の本心なんて読めない。
普通に返したつもりだったが、無意識に突き放すような物言いになってしまい、ハッとする。が、気付いたときには遅かった。
「……なんだよ、その言い方」
低く唸るような声に、冷や汗が滲む。
こちらを睨む志摩に腕を掴まれそうになったときだった。
「おい、お前らいつまでそこにいる!さっさと教室に戻れ!」
遠くから、教員の声が飛んでくる。気付けば次の授業の時間だ。志摩は舌打ちをし、それから俺の横を通り抜けるようにして教室に入った。
俺は、志摩が席についたのを見て、それから自分の席へと向かう。
……なんなんだ、なんでそんなに怒るんだ。俺が、俺が悪いのか。……こんなことなら、いっその事拒絶されて無視された方がまだいい。
そんな風にまで考えてしまうのは、まだどこか志摩を嫌いになれない自分がいるからだろう。
謝れば元通りになると思っていたが、俺の見識が甘かった。俺が口を開く都度、志摩との距離は開いていくようで酷く焦れる。
やがて、教師が教室に入ってきて、教室のスピーカーからは授業開始のチャイムが響き渡る。
……息苦しい。隣に志摩がいるというだけで、全身がささくれだったみたいに落ち着かない。
ポケットの中のキャンディを確認する。……後で、一個食べよう。そんなことを考えて気を紛らせる他なかった。
その日の気分は最悪だった。
志摩との溝は深まるばかりで、そのくせ、志摩は俺を突き放すわけでもない、寧ろその逆だ。直接話しかけてくるわけではないが、それでも志摩の視線を感じていた。
おまけに、
「齋藤、帰るよ」
全ての授業が終わり、ホームルームも終了し、放課後が始まったと同時に志摩は帰る準備をしていた俺の前までやってきてそんなことを言うのだ。
……正直、理解できなかった。あんなに縁のことで怒っていたくせに、何事もなかったように志摩は俺に笑いかけてくる。
コロコロと変わる志摩の表情に、流石の俺もついていけなくなっていた。これ以上、志摩に振り回されたくない。
「……今日は、一人で帰る」
それは、本当にしょうもない抵抗だった。
志摩は、俺が笑いかけられればすぐに尻尾振ってついていくと思ったのだろう。その目は驚きに見開かれる。
多分、今朝の俺だったらそうしていただろう。けれど、今の俺は、逆だった。志摩についていっても、お互い気持ちよく帰ることは出来ないだろう。そうわかっていた。
けれど、案の定、志摩の目の色が変わる。
……今度こそ、愛想尽かされるかもしれない。それでもいいのかもしれない、このまま接していたところで、志摩も俺にイライラするだけだ。
俺は、志摩の感情が爆発する前にカバンを持って席を立とうとした。けれど。
「……待てよ」
志摩に腕を掴まれ、引き止められる。予想は出来ていた、何かしら仕掛けてくる気はしていた。だから俺は、指が食い込むよりも先にそれを振り払い、走り出した。
入り口付近で話していたクラスメートたちをかき分け、教室を飛び出す。志摩が追ってきてるのかどうかもわからない。次会うときどんな顔をすればいいのかなんて、以ての外だ。けれど、あっさり志摩から逃げることはできた。
教室を離れ、昇降口へと降りる。志摩が追い掛けてこないのを確認して、俺はポケットの中のキャンディを取り出し、それを口に放り込んだ。
広がる甘味。けれど、中庭で江古田と食べたときほど心は安らがなかった。
……今度こそ、嫌われただろう。
深いため息が漏れる。こんなこと、できることならしたくはなかった。志摩が傷つく顔は見たくない。けれど、それでも、俺はそうすることしかできないのだ。
……つくづく、自分が嫌になる。
俺は何一つ変わっていない。遠ざけることでしか保身を計れない。
靴を履き替え、校舎を出た。生ぬるい風とともに降り注ぐ夕日に目を細める。
各々部活動へと向かう生徒たちに混ざって、俺は学生寮へと向かっていた。
寮へと戻る途中、寮の前に見慣れない真っ白な車が停まっていることに気付く。
全寮制であるこの学園内で送迎車は珍しい。そもそも、この学園内で大抵のことは事足りるので外出する必要性があまりないのだ。
誰かのお迎えか、それにしても……丁度学生寮の真ん前に停められてるお陰でなかなか入りづらい。
避けて通ろうとしたときだった。は真っ白なフォルムの高級外車から現れたのは、運転手らしきスーツ姿の男。男は後部座席へと周り、そして、扉を開く。
丁度車の前まで差し掛かったとき、車の中から現れた人物を見て俺は凍り付いた。
「よぉ、奇遇じゃねえの、今お帰りか?――ユウキ君」
車の中から降りてきたのは阿賀松と、安久だった。
阿賀松の荷物を手にした安久は、阿賀松の背後から俺をじとりと睨みつける。そんなことも気にせずに、阿賀松は俺の側までやってきた。
なんて、なんてタイミングだ。さっさと寮に入っておけばよかった、そう後悔したところで遅い。俺は、逃げるよりも先に阿賀松に捕まってしまう。
片手を動かして送迎車を帰らせた阿賀松は、口を開けたまま動けない俺に「挨拶は?」と促した。
「っ、こ……んにちは……」
「はッ、ひでぇ顔だな。もっと嬉しそうな顔をしろよ。……あぁ、安久ちゃん、それ俺の部屋に置いといてくれ」
「分かりました」
何か言いたそうだったが、阿賀松には逆らえないらしい。紙袋とカバンを抱えた安久は阿賀松に一礼し、そして俺よりも先に学生寮へと足を踏み入れる。
面倒なやつがいなくなってホッとしたが、目の前にはなによりも会いたくないその人がいてそれどころではない。殴られた腹部に痛みが蘇るようだった。
「……昨日のこと、忘れたわけじゃねえよな」
固まる俺に、阿賀松はそう俺の腹部を掌全体で撫で回した。それだけでも、痛みに過敏になったそこは反応する。
飛び上がる俺を見て、阿賀松はニッと嫌な笑みを浮かべる。
生徒たちは俺たちがまるで視界に入っていないかのように、否、わざと無視して、それでも阿賀松に近付かないように避けながら学生寮へと入っていく。
誰も助けてくれない。当たり前だ。こんなやつに絡まれたくない、目を付けられたくない、それは俺も同じだ。
「……わ、すれてません」
忘れられるものなら忘れたいくらいだ。けれど、一度たりとも忘れられるわけがない。痛みの中、植え付けられたあの命令を。
俺の言葉に、阿賀松は満足そうに目を細める。
夕暮れの赤に反射して、余計、阿賀松の赤い髪が深みがかり、血の色のように思えて仕方ない。
「俺は気が長い方じゃねえんだ。……期待してるぜ、ユウキ君」
そう、俺にぐっと顔を寄せた阿賀松は吐き捨てるとともに、耳朶に舌を這われた。掠める舌ピアスの熱に、体が反応する。俺が身じろぐよりも先に、阿賀松の体が離れた。ポンポンと肩を強く叩かれ、そして、阿賀松は学生寮へと入っていく。
すぐに開放されて安堵するが、耳には阿賀松の舌の熱が残ったままだった。俺は制服の裾で拭ったが、耳がヒリヒリするばかりで一向にその感触は取れない。
やつの機嫌がよくてよかったが、このまま悠長にしてられないことも事実だ。
……芳川会長と、付き合う。そんなに一日二日でなんとかできるような話ではない。そもそも会長にその気があるのかすらもわからない段階だ。
……嫌な焦りがジリジリと足元から這い上がってくる。
俺は、阿賀松とまた顔を合わせることのないように、時間をずらして寮内へと足を踏み入れた。
ただでさえ落ち込んでいた気分は阿賀松との接触によりどん底にも等しい。全身が痛みだす。
早く、早くなんとかしないといけない……。けれど、今はそんな場合ではなかった。ゆっくり、休みたかった。
明日、明日考えよう。どうすべきか……。
そう、自分に言い聞かせてる内に、エレベーターは目的地である三階で停止する。
エレベーターを降り、俺は、自室へと向かって歩き出した。まるで、地面を踏んでる感覚はなかった。目眩だろうか、体の重心がぐらついてるみたいに視界が揺れる。
心なしか、頭も痛い。……原因は、わかっていた。
これ以上不調になっては堪らない、とにかく今はさっさと一人になって、休もう。何も考えたくなかった。
けれど、どうやら神様はそう安安と俺を休ませる気はないようだ。
部屋の前、人影を見つけ、足を止める。
「……随分と遅い帰宅だね」
……先回りしていたのだろう。
俺の自室の前、扉を背にするように立っていた志摩は俺の姿を見て、笑う。
……正直、俺は志摩のしつこさを舐めていたかもしれない。逃げれば諦めてめくれるだろうと思っていた。嫌われることを覚悟したのに、志摩は、尽く俺の期待を裏切るのだ。
「……ッ、……どうして」
「どうして? そりゃあ、誰かさんのせいでちゃんと話もできていないんだよ。だから、会いに来た。……それとも、齋藤は俺がいると不都合でもあるの?」
そういう問題ではない。けれど、何を言ったところで志摩は納得して帰らないだろう。それに、部屋の前にいられたら帰ることも出来ない。
つまり、俺は志摩と話すことを受け入れることしかできない。志摩がそうなるように仕向けたからだ。
「方人さんに何を言われたの」
……そんなに、志摩は縁と俺のことが気になるのか。
教室の前の廊下で何度も繰り返した問答を、ここでも志摩は口にする。
これは志摩が納得するまで答えないと開放されそうにない。正直、別に隠すようなことはなにもない。
体裁を考えるならまああまり言いたくはない話題ではあるが、志摩相手ならば、別に知られてもいいと思った。けれど言いたくないのは、俺のなけなしのプライドの問題だ。
そんなもの、あっても邪魔でしかないのだろうが。
「……さっきも言ったけど、大した話はしていないよ。……ただ、これから遊びに行かないかって誘われただけ」
「本当に?」
「……本当だよ。……断ったらあっさり開放してくれた。あとは……『何かあったら連絡してよ』って連絡先教えてもらっただけ。……そこで、志摩がきたんだ」
「これで全部だよ」満足した?と聞くまでもなかった。
志摩は、まだ疑うような目を向けていたので俺は渋々生徒手帳からメモ用紙を渡した。
「これが、そのときのだよ」と差し出せば、志摩に取り上げられる。
「……それで、齋藤はまた方人さんと連絡を取るつもり?」
「そんなわけ無いだろ。何を勘繰ってるのか知らないけど……俺……あの人のこと、苦手だし……」
志摩には適当な誤魔化しは利かない。
俺は、本音を口にした。あまりこういうことはいいたくないが、志摩に納得してもらうには包み隠さないのが一番早い。
「ああ、そうなんだ」
ホッとしたのか知らないが、一先ずは俺の言葉を信じてくれたらしい。メモに目を走らせた志摩の表情は、先程よりも心なしか和らいでいるようにも見えた。
これで、開放してくれるだろうか。
そう、思った矢先のことだった。
何を思ったのか、志摩はいきなり縁のメモをビリビリに破いた。
「っ、なに、して」
「なら、これは齋藤に必要ないよね。嫌いなら連絡取らないでしょ?」
なんでもないように笑う志摩の手からメモが落ちる。細かく千切られたそれを元に戻すには手間がかかるだろう。
確かに縁を頼るような真似をしたくないとは思ったが、万が一のため、保存しておきたかったというのが俺の本音だった。けれど、志摩にはそれは通用しないらしい。
「志摩……いくらなんでも、それは……」
「なんで?嫌いなんだよね?なら何も困らないでしょ。……それとも、なに?さっきの言葉は方便だったの?俺のご機嫌取りのために適当なこと言ったわけ?」
「っ、そうじゃない、けど……」
「それじゃあ何も困らないでしょ。…………齋藤には俺がいるんだから」
息を吸うように吐き出されるその言葉に、腹の奥底がぐずりと重く疼く。恐怖、というよりも、言いようのない不快感にも似た違和感。俺は、志摩に何も言い返すことができなかった。志摩は、きっと俺が何を言ったところで通じない。思考からして、決定的に食い違ってるのだ。
分かりあえない、そう脳が判断し、言葉を失う。
「方人さんのことは俺も注意しておくけど、齋藤も、関わらないで。……あの人は、厄介だから」
志摩は、言いたいことだけ言えば満足したのか「それじゃあ、また明日」と鞄を拾い上げ、踵を返す。
何が、厄介だ。俺には、志摩がわからない。床の上、散らかったそれらを拾い上げ、俺は、部屋に戻る。復元することは諦めた。けれどせめて、残骸は残したくなかった。
志摩はまだ俺を心配してくれてるのか、それとも、俺に嫌がらせをして楽しんでるのか、わからない。けれど、以前のように向けられる笑顔が理解できず、まるで未知の生き物のように思えて仕方ない。
部屋のロックを解錠し、扉を開いた。締め切られたカーテン。クーラーは除湿モードになったまま可動しっぱなしだ。阿佐美の姿はない。
玄関の扉を閉め、瞬間、どっと疲労感に襲われる。
何をされたわけでもない、昨日の方が痛い思いはした。けれど、今日は。まるで見えない手にずっと首を締められてるような息苦しさが付き纏うのだ。
制服のまま、ベッドに雪崩込む。そのままシーツに顔を埋め、しばらく俺はその体勢のまま動くことができなかった。
芳川会長のこと、志摩のこと、色々考えては頭が爆発しそうになる。できることなら逃げ出したいというのが本音だ。
どうして、どうしてこうも悪い方へと行くんだ。俺が、駄目だからか。もっと、ハッキリと物が言えて、阿賀松にも抵抗できればまた違ったのかも知れない。
考えたところで何も変わらない。少しでも逆らったとき、大きな拳に殴られた痛みを思い出しては身が震える。
ベッドの上、布団を被り、丸まる。ダンゴムシみたいに体を守り、蹲る。何も考えたくない。できることなら、明日にでも誰かが阿賀松たちを殺してくれないだろうか、そんな風にすら思える。
『齋藤には、俺がいるんだから』
頭の中に、志摩の柔らかい声が響く。俺の心の奥底まで見透かすようなあの目が蘇り、胸がざわつく。俺は布団を押し退け、ゆっくりと起き上がった。
……シャワーを浴びよう。熱いシャワーを浴びれば、少しは気分が晴れるかもしれない。
今は何も考えたくなかった。
会長なら、どうするだろうか。会長ならそもそもこんなことにはならなかっただろう。わかったが、それでも、救いを求めてしまう。幻影に縋り付きたい気分になる。
そんなんだから、駄目なんだ、俺は。
ブレザーを脱ぎ、シャツのボタンを外していく。鏡はなるべく視界に入れたくなかった。阿賀松に殴られた痣が皮膚の下で広がり、とてもじゃないが見るに耐えないことになっていた。
鏡の前から逃げるように浴室へと踏み入れる。阿佐美が入ったあとなのだろうか、微かに浴室の空気が湿っていて、シャンプーの甘い臭いが充満していた。
……阿佐美。
阿佐美の言ったとおり、今日はおとなしく休んでおけばよかったかもしれない。そんなことを考えながら、頭からシャワーを被る。髪を濡らし落ちるシャワーの粒がやや痛いが、今の俺にはそれくらいが丁度良かった。
無心でシャワーを浴び、全身を洗った。皮膚が剥がれてアザも油汚れみたいにするんと落ちるんじゃないかってくらい、必死になって洗った。
もちろん、ただ皮膚がヒリヒリするだけだ。おまけにあまり強くない肌は赤くなり、俺は後悔した。
長くはないシャワーを終え、浴室を出た。マットの上で予め用意していたタオルで頭の水分を吸い取り、それから足下から全身の雫を拭い取る。
少しは、さっぱりしたかもしれない。それでも、熱が引けば生傷が耐えない体は至るところが痛みだしてきた。
跡に残らないよう、薬を塗らないとな。
そんなことをぼんやりと考えながら、予めタオルと一緒に用意してた新しい下着に履き替える。
そこで、着替えの服まで用意していなかったことに気付いた。
……俺は、何やってるんだ。もし阿佐美がいたらどうするんだよ。
考え事ばっかりしていたせいでいろいろなことが疎かになってしまう。
俺はタオルを被ったまま、雫を落とさないようにそろりと扉を開き、自分の私服を閉まっているクローゼットまで向かった。そして手頃なジャージを引っ張り出し、それを履こうとしたときだった。
扉が、開いた。阿佐美が帰ってきたのだ。
まずい、と俺は考えるよりも先に慌ててTシャツを被る。ジャージの紐を結び直し、慌ててタオルを被り直した。
「ただいま……って、わ、ごめん、もしかして……着替えてた?」
「い、いや……大丈夫だよ」
間一髪のところで体を見られずには済んだが、途中からなりふり構わなくなっていたせいで首元が濡れてしまった。気持ち悪いが、放っておけば直に乾くだろう。
俺はタオルでガシガシと頭を拭き、そして、それを洗濯物カゴにしまう。ドライヤーをする気にもなれず、そのまま俺は気まずさを紛らすようにテレビの電源を入れた。
丁度バラエティ番組の最中のようだ、前までは楽しみにしていた番組ではあったが、今は聞こえてくる笑い声があまり耳障りがいいとは思えなくなっていた。
チャンネルを変えようと、テーブルの上のリモコンに手を伸ばしたときだった。ふわりと、視界が陰る。そして鼻腔に広がるのは、淡い洗剤の香り。
驚いて、顔をあげればタオルを手にした阿佐美と確かに視線がぶつかり合った……気がする。
「ゆうき君、髪、濡れてるよ。……そのままじゃ風邪引いちゃう」
どうやら新しいタオルを持ってきてくれたようだ。
新しい乾いたフカフカのタオルを頭から被せられ、わしわしと髪を拭われる。
「っ、わ、わ……ちょっ、詩織……自分でやるよ……」
「……いいよ、ゆうき君は座ってて。……たまには俺にも世話を焼かせてよ」
背後に立つ阿佐美の声が頭上から落ちてくる。阿佐美がどんな顔をしてるのかわからないが、優しいその声につい、俺は抵抗の手を緩めた。
こうして、身内以外の誰かに世話をされるのは初めてかもしれない。……それも、年の近い相手にだ。
恥ずかしかったが、阿佐美が俺のことを気遣ってくれてるのがわかったからこそ、本気で拒むことはできなかった。
タオル越し、阿佐美の指が地肌の水分を拭うように頭部全体に触れていく。……正直な話、気持ちよかった。
最初は緊張してガチガチになっていた体が、阿佐美に触れられるにつれ筋肉が弛緩していくのが自分でもわかる。
「……ゆうき君、痛くない?」
「……大丈夫……なんか、ちょっと……マッサージみたいで気持ちいい……かも」
擽ったさもあるが、阿佐美の手が思いの外優しくて、すぐに凭れ掛かりそうになる。タオル越しではあるが、地肌を丁寧に指の腹で撫でられれば、ゾクゾクと脳髄が甘く痺れだすのだ。
「眠たくなったら寝てていいよ、ゆうき君」
「……っ、そんなこと……」
「ゆうき君、いいんだよ」
長い前髪の下、細められた目は確かに俺を見据えていた。暖かい眼差しに、声に、つい、甘えてしまいそうになる。
甘えてもいいんだよ、と言うかのように阿佐美は俺の髪を撫で、丁寧に水分を拭い、乾かしていく。
「……今朝から具合悪そうだったのに、学校頑張ったね。……偉いね、ゆうき君」
頭を撫でられ、優しく髪を掬われれば、鼻の奥がツンと痛んだ。色々、色々追い詰められて、俺は逃げどころを探していた。だからこそ余計、阿佐美の優しさが傷口に染みるように心が痛んで、暖かくて、必死に堰き止めていたものが溢れ出しそうになる。
視界が滲む。阿佐美は、俺にタオルを掛けたまま、俺の顔を無理に覗こうとするわけでもなく、「お疲れ様、ゆうき君」と俺の髪を拭いてくれる。
阿佐美は、もしかしたら、知ってるのだろうか。今日、何があったのか、察してるのかもしれない。それでも、深くを問いだそうとしない阿佐美の優しさに溺れそうになる。
「ゆうき君は、本当……頑張ってるよ」
響く阿佐美の言葉は、空気に溶けた。
ほんの少しの間の触れ合いだった。それだけでも、俺のささくれ立った心を落ち着かせるには十分なものだった。……我ながら単純だと思う。気付けば俺は阿佐美の腕の中、眠りに落ちていた。
「……ごめんね、ゆうき君」
夢か現かもわからない。
だけど深層へと意識が落ちる瞬間、確かに俺は阿佐美の声を聞いた。……ような気がした。
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