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02
教室で担当の生徒に荷物を渡す。
志摩の仕事は買い出しだけだったので、そのままの流れで俺たちは教室を後にした。
これからどうするか、という空気になったとき。
「齋藤、喉乾いてない?」
「荷物運びばかりで疲れたでしょ、少し休憩しようよ」その志摩の一言により、ラウンジで休憩することになる。
本当はすぐに解散して帰ろうかとも思ったが、志摩の誘いを断ることができなかったのだ。
……馬鹿だな、と思う。縁の話を聞いてから、ただでさえ気まずい思いをしていたというのに益々どんな顔をしたらいいのかわからなかった。
自販機で飲み物を買い、ベンチに腰を下ろす。
「それで、なんで余所余所しくなってるの?」
炭酸飲料のボトルを開けながら、志摩は何でもないように聞いてくる。やはり、気付いていたのだろう。俺の態度の変化に。
「その……ごめん」
「ごめんじゃなくてさ、理由聞いてるんだけど。もしかして今更俺に後ろめたくなってるとかないよね」
「だとしたら遅すぎでしょ」と笑う志摩。
怒ってる、わけではないだろうが俺の返答次第では間違いなく気を悪くするに違いない。
けれど、このまま黙っていても志摩の心象は悪くなり続けるだろう。それならば、と唾を飲む。
「……あの、志摩って……その」
「なに? 俺?」
「……阿賀松先輩と……仲いいの?」
口に出すのも恐ろしい、その意識のせいか声が小さくなってしまうが志摩の耳には届いたらしい。
目を見開いた志摩だったが、すぐに不愉快そうに細められる。
「……本気で聞いてるの? なんでそう思ったわけ?」
「そ、その……さっき、志摩待ってるときに縁先輩と会って……それで……」
「はあ、本当あの人どこにでも沸くね。……それで? 方人さんから俺と阿賀松が仲良しだって聞いたの? それを信じたわけ? だから、俺と一緒にいながら阿賀松のことを考えて上の空だったってこと?」
「……そ、それは……」
言い方はともかく、間違ってはいない。押し黙る俺に、志摩は大きな溜息を吐いた。明らかに面白くなさそうだ。
「まず一つ言っておくけど別に俺はあいつのこと大嫌いだから。今も昔も変わらないよ。それに、あいつと仲良かったのは俺じゃなくてうちの兄貴だよ。それで、ここに来る前に何度か顔を合わせたことあっただけ」
「そ、そうなの……?」
「こんなことで嘘吐いても齋藤はまた余計なこと考えそうだしね。それに、確かに入学当初はあいつらと一緒にいたけど、それも昔の話だよ。今は生徒会もあいつらも嫌いだから」
志摩の言葉にホッとする自分がいて驚いた。
でもその言い方だと恐らく志摩も生徒会アンチ側の人間だったときもあったということか。そう考えると、やっぱり胸の奥がざわつく。けれど、こうして正面から否定してくれるとさっきまで悩んでたのが馬鹿みたいにスッキリした。
「……そう、なんだ」
「これで信じてくれた? というか、方人さんの言うことあんまホイホイ真に受けないでくれる? あの人すぐ話盛るから」
「そ、それじゃあ縁先輩と同じバイトだったっていうのは……」
「なに? そんなことまで言ってたの?」
「ご、ごめん……俺が、志摩のこと聞いて」
「……なんであの人なわけ? 俺に聞いたら一番早いでしょ」
笑う志摩だが、その目は怒っている。わかってる。自分でも余計なことを言ってしまったと後悔したがもう遅い。
「……ごめん、志摩、色々聞かれるの……好きじゃなさそうだと思って」
「だから他の男に聞いたんだ? よりによって近付くなってあれほど言っていた方人さんに?」
「ご、ごめん……」
「……バイトの話は本当だよ。あの人性格は悪いけど無駄に顔広いからね、新しいバイト探すときに役に立つんだよ」
「今は……」
「してないよ。もう必要もなくなったしね」
なんとなく、どういう意味かと聞けなかった。
欲しいものが買えたとかそういうことなのだろうが、なんとなく志摩の目が怖かったからだ。
「齋藤は? バイトしたこと……なさそうだね」
「まあ、いいんじゃない? する必要ないならそれで」志摩なりのフォローなのだろうか、なんとなく自分が世間知らずみたいで恥ずかしかったが、実際その通りなのだろう。人と接することも得意でないし、接客なんて以ての外だ。だからこそ今回の学園祭が初めての体験になるところだったのだが。
「ま、うちの学園はそういうところ本当ガバガバだから夏休みとか長期休暇のときにバイト試してみるのもいいんじゃないの?」
「お、怒られないかな……」
「齋藤って本当真面目っていうか、なんだろうね、そこで怒られる心配するっていうのが齋藤らしいね」
そう、口にする志摩の表情は先程よりもいくらか和らいでいて。久しぶりに見た、志摩の皮肉も混ざっていない笑顔。
「その時は俺に教えてよ、齋藤に似合いそうな制服のところ探し出してあげるから」
冗談なのだろうが、またこうして志摩が軽口を言ってくれることに少しだけ嬉しく思えるのは俺が単純だからだろうか。なんだか出会ったときみたいな、何もなかったときのように。
本当に、キスされたことなんてなかったみたいに。
元通りに戻るなんて無理だとわかってても、そう願ってしまうのは我儘なのだろうか。
どうせなら部屋に来ないかという志摩に、俺は迷った末頷き返した。
志摩の部屋……確か、十勝君と同室だったはずだ。
迂闊だった。だって、あまりにも志摩がいつも通り接してくれるから、それが嬉しくて俺は忘れていたのだ。志摩がどんなやつかというのを。
「ゆっくりしてきなよ」
「お、お邪魔します……」
相変わらずカーテンで仕切られた部屋の中。
志摩のスペースに通された俺は志摩に促されるがままベッドの足元に腰を下ろした。
十勝は部屋にいないようだ、十勝の靴が玄関口で見当たらないのを見てそれはわかったが、改めて志摩の二人きりだと思うと今になって怖気付いてしまいそうだった。
「なんかこうして齋藤が部屋に来るのって久し振りだよね、先月ぶりかな」
「……う、うん……」
「この前は十勝のやつが煩かったからね、静かな方がいいでしょ」
「……そうかな」
少なくとも、俺は十勝がいたから紛れた部分もある。
やはり、志摩の言葉はどこか棘があるのだ。どう答えれば良いのかわからず俯いていると、隣に志摩が腰を下ろした。手を伸ばせば触れそうな距離に緊張して、気付かれないように横にずれようとしたときだった。
「もしかして齋藤、緊張してる?」
ふいに、伸びてきた手に腕を掴まれる。ぎょっと顔を上げた先にはこちらを覗き込む志摩がいて、俺と目が合えば、志摩は少しだけ微笑んだ。
「本当、すぐ顔に出るよね。齋藤は。……傷つくな、十勝のやつがいないのそんなに落ち着かない?」
「そ、じゃなくて……その……」
覗き込む志摩の目が恥ずかしくて、どうしても夜の校舎でのことを思い出さずにはいられなくて、やんわりと視線を外す。けれど、志摩は顔を逸らす俺をじっと覗き込んだまま「なに?」と聞き返してくるのだ。
俺の反応を見て楽しんでるのだろう。そう思いたくなるほどの、距離。
「……ち、かくない……? なんか……その……」
腕が、と視線を向ければ、志摩は不思議そうに笑うのだ。
「そうかな? ……別に、友達なら普通でしょ」
「……ッ」
「それとも、俺のことはもう友達じゃないって思ってる? だとしたらちょっと、傷付くな」
まるで悪びれた様子なんてない。言いながら、逃げようとしていた俺の掌を重ねるように捕らえられる。指を絡められ、ぎょっと顔を上げればすぐ鼻先には志摩の顔があって、今度こそ息が詰まりそうだった。
「ッ俺、やっぱり帰……っ」
帰る、と言いかけたとき。志摩の目がすっと開いた。口元は笑ってるのに、その目は笑っていない。同じだ、あの夜と、同じ目だ。
底冷えするような冷たい目で志摩は「なんで?」と変わらぬ調子で聞き返してくるのだ。
「っ、な、んでって」
「……キスされた相手の部屋に上がっておいて今更帰るってなしでしょ、普通」
「そ、んな……っ」
「……そんなつもりじゃなかった? またそれ? それ、本気で言ってる? ……だとしたら、俺のこと買い被りすぎじゃない?」
「……俺、何度言ったよね?齋藤は危機感がなさ過ぎるって」顔に伸びてくる手に、触れそうになる指先。全身から血の気が引いたときだった。
玄関口の方から鍵が開く音がした。――十勝だ。
「……ッ!」
ほんの一瞬、志摩の目が玄関の方に向いた隙きを狙って俺はその手を振り払った。
少しでも、元に戻れるのではないだろうか。キスをされて、まだそんな風に思っていた自分が余程馬鹿だったことを気付かされる。
「……っ齋藤!」
鞄を引っ手繰るように抱きかかえ、俺は丁度開く扉から部屋を飛び出した。
「はー、腹減っ……って、うお! ゆ、佑樹っ?」
扉の前にいた十勝は、いきなり開いた扉に驚いていた。心の中で十勝に謝り、俺はとにかくその場から逃げ出した。
……心臓が痛い。ドッドッと脈打つ鼓動。冷たい汗が流れる。それを拭うこともできぬまま、俺はとにかく自室に向かって駆け出した。
◆ ◆ ◆
志摩は、俺のことを馬鹿なやつだと思ったことだろう。それとも、今度こそ呆れられたか。
志摩の言う通りだ。俺は、学んでいない。なにも。縋り付いたところで無駄だと分かってるのに、少しでも希望を抱いてしまっていた。我ながら呆れる。
志摩は、俺のことを最初から友達だなんて思ってなかったというのに。
「ゆうき君、あの……大丈夫?」
「……え?」
「帰ってきてからずっと具合悪そうだし……もしかして、何かあったの?」
「………………」
自室。
気を紛らわせるため、テレビでも見てたら落ち着くだろうかと思ったが、全くその内容すら頭に入っていなかった。そんな俺を不審に思ったのだろう。心配そうにこちらを見てくる阿佐美に、俺は、ますます居た堪れなくなる。それと同時に、阿佐美の気遣いが沁みる。
「……し、おり……」
「ん? どうしたの?」
名前を呼べば、近付いてくる。……阿佐美は優しい。だからこそ、甘えちゃいけないと分かっていた。
……阿佐美を巻き込みたくない。
助けてほしい、なんて甘えた思考を必死に殺し、俺は、咄嗟に「その」と話題を探す。
「……詩織は、学園祭……やっぱり出るつもり無いの?」
俺と阿佐美の共通の話題となるとやはり学園のことになってしまう。あまりにも話題転換が露骨すぎただろうかと不安になるが、阿佐美の反応はあくまで優しいものだった。
「……そうだね、俺が出ても、やることないだろうし……けど」
「けど?」
「ぁ、うーんとね……けど、出店巡りは少しだけしてみたいかな……なんて」
えへへ、と少しだけ照れたように笑う阿佐美に俺は先程までの緊張が僅かに解けていくのを感じた。
ほっとするというか、なんというか……落ち着くのだ。
阿佐美が俺に害を与えない人間だとわかるから余計そう感じるのかもしれない。志摩といるのは楽しいけど、それと同じくらい緊張することや戸惑うことも多かった。
「……? どうしたの?」
「いや、なんか、詩織らしいなって……いいなぁ」
「ゆうき君は楽しみじゃないの?」
「あ、えと……楽しみだよ」
「……ゆうき君のお父さんとお母さんは来ないの?」
「……うん、来ないと思う。忙しい人だし……」
それに、こんな姿見せたくないというのが本音だった。
自分で言って気分が落ち込んでくる。
何か言いたさそうな目でこちらを見てくる阿佐美。どうして俺は何言ってもこんな湿っぽい空気にしてしまうんだろうか、せっかく話題を振ってくれた阿佐美にまで余計気遣わせるようなことしか言えない。
こういうとき、志摩の饒舌さや話を聞き出す話術は羨ましく思えた。……俺、志摩のことばっか考えてるな。
そしてまた一人勝手に落ち込みそうになったとき、「ゆうき君」と名前を呼ばれる。顔を上げれば、何かを覚悟したような阿佐美がいて。
「あの、そ……それじゃあ、当日、よかったら俺と……その、食べ歩きツアーとかどうかな……?」
「……詩織と?」
「う、うん……あ、いや、嫌なら全然! お、俺一人でも大丈夫だし……もし、ゆうき君がよかったら、なんですけど……」
なんで敬語なんだろうか。
自信がなくなっていったのか、そのまましおしおと萎んでいく阿佐美に、慌てて俺は頷いた。そして、無意識に頬が緩んだ。
「うん、じゃあ……その時はよろしくね」
素直に、阿佐美が誘ってくれたのが嬉しかった。
きっと俺を元気付けようとしてくれたのだろう、その気持ちだけでも十分嬉しくて。頷く俺に、ぱあっと明るくなる阿佐美は「ほんとっ?」とこちらを振り返るのだ。
その勢いのまま手をぎゅっと握られれば、包み込むような大きな手のひらの温もりに驚いた。
「わ……っ!」
「えへへ……楽しみだな」
「し、詩織……」
びっくりしたけど……嫌な気持ちはなかった。
けど、やはり、こうして触れられると思い出したくないことを思い出してしまうのだ。そして、途端に自分が汚いものに見えて、こういう風に阿佐美に触れられることに耐えられなくなってしまう。
けど、それでも……そんな阿佐美相手だからかもしれない、幾分重く沈んでいた気持ちが軽くなった……気がする。
「……ありがとう、詩織」
「ん?」
「ううん、なんでもないよ」
それと比例するように、やはり阿佐美を巻き込みたくないという気持ちはより一層強くなる。
やんわりと阿佐美の手を離し、俺は曖昧に笑い返した。
食事を終えた俺は、『先にお風呂入りなよ』という阿佐美の言葉に甘えて入浴することになった。
暫く浴槽に浸かっていたが、やはり考え事してしまうと駄目だった。どうしても志摩に言われたことが頭で反芻してしまい、気分が沈んでいくのだ。
このままではよくない。そう風呂から上がったときだ。
タオルで髪を拭っていたとき、扉の向こうで阿佐美の声が聞こえてきた。
『……悪いけど、帰ってくれるかな』
それは、ハッキリとした声だった。
阿佐美の声は明らかに敵意が含まれていた。誰かと揉めてるのだろうか、ひやりとした冷たいものが背筋に流れる。けれど、それからすぐ扉が閉まる音がした。
とてもではないが、穏やかとは言えない雰囲気だった。慌てて服を着た俺は、恐る恐る扉を開く。
そして扉の前、施錠する阿佐美の背中が目に入る。俺に気付いたらしい、ハッとした阿佐美はこちらを振り返った。
「……ゆうき君」
「いま、誰か来てたの……?」
「……ゆうき君は、気にしなくて大丈夫だよ」
「……ぁ」
伸びてきた手に、頭の上に被さったタオル越しに優しく頭を撫でられた。
「髪、ちゃんと乾かさないと……風邪引いちゃうよ」
「う、うん……」
「お風呂、俺入るね」
そう言って、阿佐美は俺の横を抜けて脱衣室へと向かった。
……なんだか、誤魔化されてるようだった。
不信感はない、きっと俺に余計な心配をさせないようにしてるのだろうとわかっていたが……そんなに甘く見られてるのだろうかと気落ちする自分もいた。
俺は言われた通り髪を乾かそうとしたとき、玄関側のゴミ箱になにかが入っていることに気づいた。普段なら気にすることがないが、俺が戻ってきたときにはなかったはずの紙袋がそこに突っ込まれていたのだ。
「……?」
なんとなく気になって紙袋を取り出せば、まず目についたのは小さなメモ用紙だ。
ごめんね、と書かれたそのメモ用紙の字には見覚えがある。志摩だ。
「……っ、……」
……志摩が来てたのか?
なんで、と喉まで出かかった疑問を飲み込む。そして、手元のごめんねと書かれたメモを見た。
紙袋の中にはお菓子が入っていた。食堂でテイクアウトしてきたのだろう、可愛らしい包装されたクッキーに胸が締め付けられるようだった。
「…………」
どういうつもりなのか、なんてわからない。
けれど、志摩は俺にこれを渡しにきてて、阿佐美はそれを門前払いで返した。それから、ゴミ箱に捨てた。
確かに阿佐美は志摩のことよく思ってないし、それは志摩も同じだけど……なんとなく胸が痛んだ。
……それにしても、志摩は何考えてるんだ。本当に申し訳ないと思ってこれを持ってきたのか。
中に入ったクッキー。志摩は、俺のことを気にしてくれたのか。あんな言い方をしたのを反省したのか。
わからないけど、けれどなんだか捨てられたクッキーが可哀想に見えた。
俺は阿佐美が風呂に入ってるのを確認して、こっそりクッキーだけ持ち出した。
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