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六月一日目【変化】

 六月上旬。  この学園では学園祭が六月に行われるらしく、学園内はすっかり慌ただしい空気に包まれていた。  各クラスは勿論、部活でも催し物をそれぞれ出すため皆学園祭の準備で忙しそうだった。  俺はというと、そんな様子を遠巻きに見ながら帰宅する準備をしていた。  表向き、芳川会長と付き合うことになってから。  周りは俺を腫れ物のように扱うようになった。こればかりは俺が阿賀松に目をつけられてるせいで、周りもそんな俺に関わりたくないというのもあったのだろうが、それがより顕著になった切っ掛けでもあった。  学園祭の準備を手伝おうとしたが、「そんなことしなくていいよ」と口々に嗜められ、やんわりと仕事も取り上げられる。  芳川会長に何かを言われたわけではないだろうが、それでも、ただ恋人というだけでここまで露骨に態度を変えられるとは思わなかった。  邪険にされるわけでもないし直接何を言われるわけでもないのだが、何もさせてもらえないというのはなかなかの苦痛だった。  ――早い話、俺はハブられていたのだ。  学園祭の準備期間に入ってからというものの皆は遅くまで残って何かしてるようだが、やることのない俺はそのまま荷物を纏めて帰るだけだ。  最初はそれすら躊躇われたが、今ではわかる。皆、さっさと帰ってくれと思ってるのだろう。口に出さないだけで。  さよならの挨拶もせず、無言で教室から出たときだ。 「あれ、齋藤。もう帰るの?」  向かい側からやってきた志摩に、俺は咄嗟に身構える。  委員長である志摩は学園祭準備期間は色々な人からなにか頼まれごとされたりして忙しそうにしてあまり放課後顔を見る機会は減っていたのだが……どうやら運び物の途中だったらしい。  鞄を抱いて帰ろうとしていた俺を見て、志摩は持っていた荷物を近くに置いた。 「……志摩、それ……」 「ああ、これは飾り付けの道具だね。去年使った残りの飾り付け道具が余ってるって聞いたから貰ってきたんだよ。全て一から用意するとなると流石にね、無駄でしょ」  紙袋に段ボール、その中身を開けて見せてくれる志摩に気になった俺はそっと中を覗き込む。  どこに使うのか大量の布切れの束が入ってるようだ。 「足りないものは買い足さなきゃいけないけどね。そうだ、齋藤暇なんでしょ? よかったら付き合ってよ、荷物持ち」 「え、俺が……?」 「それとも何、どこかへ行く途中だったの?」  志摩に尋ねられ、思わず口を噤む。  芳川会長と付き合ってることになって、放課後生徒会にお邪魔する機会は増えたもののこの時期は生徒会も生徒会で学園祭の準備で忙しそうだった。  だから俺は一人で帰ることを優先させていたのだが、こうして志摩に仕事を任せてもらえるとは思ってもよらなくて反応に遅れてしまう。 「いいの? ……その、俺……で……」 「良いも何も、人手は多い方がいいでしょ。……それともなに? 齋藤は俺に『齋藤じゃないと駄目なんだ』って言ってほしいの?」  何をおかしなことを言ってるんだとクスクス笑う志摩に顔がカッと熱くなる。  そういう意図はなかったが、志摩の言う通りだ。 「勿論、齋藤だから言ってるんだよ。物欲しそうに仕事してる皆を見てる齋藤にね」 「……っ、ありがとう」 「何に対してのありがとうなの? それ」  志摩の態度は、変わらない。  芳川会長とのことを知らないのかもしれない、そう思うほど志摩は以前と変わりなく俺と接してくれた。  いつどのタイミングで機嫌が悪くなるかわからない志摩といるとドキドキするが、それでもこうして変わらず接してくれる人の存在は大きかった。……志摩であってもだ。  ◆ ◆ ◆  志摩は残りの飾り付けの材料を貰いに行くと言った。  予め注文して取り寄せていた布を職員室で受け取り、他の細々した材料を売店で追加購入するとのことだ。  先に学生寮一階の売店に寄り、帰りに職員室に向かおうという話になり、俺と志摩はそのまま学生寮へと向かう。  「それにしても、飲食店なんて……客来ると思う? 手間と面倒だけ増えるだけでしょ。面倒だな、学校でまで接客しなきゃいけないなんて……」  俺たちのクラスの出し物は軽い飲食店だ。  勿論、手の込んだものは作れない。プレートで作れるような簡単な料理ばかりを出す予定になってるが、半ば押し付けられるように当日ウエイター役として抜擢されたらしい志摩はずっとこの調子だ。  何度か飲食店でバイトしていたという理由かららしいが、志摩が接客……見目も愛想もいいかもしれないが、俺は志摩の性格を知ってしまってるから少し心配になる。  というか、お客さん相手にニコニコしてる志摩って想像できない。 「齋藤は何するんだっけ?」 「俺は、一応……裏方でいいって。当日は、好きに他のところ回れるように……」 「……それ、誰に言われたの?」 「実行委員の子……名前、わからないけど」 「本当馬鹿だな、あいつ。齋藤こそ接客させた方が絶対にいいのに」 「えっ、お、俺が……?」 「ドジっ子マスコットキャラとして案外人気になるかもしれないよ」 「…………」  少しでも喜んでしまった自分が恥ずかしい。クスクスと笑う志摩に俺は何も言えなかった。  否定できないだけに余計悲しい。 「ああ、でも、彼氏さんがそんなこと許さないかな」  何事もなくその口から出てきた言葉に、思わず「え」と志摩を見た。こちらを見ていた志摩の目と視線がぶつかる。志摩は、僅かに目を細めた。 「嫉妬深そうだもんね、芳川会長」  知ってたのか、俺と芳川会長のことを。知ってて、ずっと変わらずに接してきたのか。  そう理解した瞬間、思わず立ち止まっていた。固まる俺に、「どうしたの?」と志摩が同じように足を止める。 「まだ学生寮にはついてないはずだけど」 「っ、知って……たの……?」 「逆に、どうして俺が知らないと思えたの? あんだけ見せつけておいてよくもそんなこと言えるね。やっぱりすごいよ、齋藤って」  見せつけてたわけではない、ただ、放課後とか登校時とかに会長と一緒に過ごしていただけで……たまに、それらしく振る舞うために出を繋いだこともあったが、それを見たというのか?  そう理解した瞬間頭の中が真っ白になる。 「阿賀松の次は会長さん、ね。俺、あの人には関わらない方が良いって言わなかったっけ」 「……っ、その……これは……」 「俺のことはキスするだけでも嫌なくせにね」 「……ッ」  志摩の言葉に、何も言い返せなかった。  こちらを見下ろしていた志摩の目がふっと細くなり、いつもと変わらない笑みがそこに戻る。 「行こう。……そろそろ行かないと帰るのが遅くなっちゃうよ」 「……っ」 「それとも、誰かさんみたいに甲斐甲斐しく手を繋いであげないと一人で歩くこともできないの?齋藤は」  志摩は、俺を帰すつもりはないらしい。  本当だったら今すぐにでもこの場から立ち去りたかった。けれど、志摩の目に見られると、思考が乱される。  悪いことなんてしてないはずなのに、自責の念に襲われるのだ。 「……一人で、歩けるよ」 「そう、遠慮しなくてもいいのに」  志摩は、怒ってるはずだ。それでも、どうしてこうやって俺と一緒にいてくれるのだろうか。  許してくれてるわけではないというのだけは間違いないだろう。その言動の端々には毒が含まれていた。  結局、買い出しのために俺たちは学生寮までやってきていた。  一階のショッピングモール。  他のクラスの人間も学園祭の準備のため買い物に来ているようだ、普段に比べて一階は多く生徒で賑わっている。 「齋藤のところ、親学園祭に来るの?」  目的地に向かう途中だった。芳川会長とのことを知ってたと知り、一人気まずくなっていたのだが、志摩はそんなこと気にしてないかのような素振りで聞いてくるのだ。 「俺は……来ないと思うよ。二人とも、忙しいから」 「じゃあ、俺と一緒だ」 「志摩のところも?」 「来てほしくないから日付教えてないんだ。それに、教えたとしても来ないだろうけど」 「……そうなんだ」  来てほしくない、という気持ちは確かにないわけではない。……こんな状況で、寧ろ中学のときよりも悪化してる状況で親の前でどんな顔をすればいいというのか。  離れて暮らす両親の顔を思い出し、罪悪感を覚える。 「齋藤は親とは仲良いの?」 「悪くはないと思うけど……どうして」 「齋藤って親から可愛がられてそうだなって思って。前々から気になってたんだけど、この中途半端な時期に転校してくる人って珍しいんだよ。だから余計不思議でね」  勘が鋭いのか、それとも、俺がわかりやすいのか。  志摩の言葉に俺は何も答えれなかった。志摩が何を聞きたかったのかわからないが、それでも俺が黙り込めば志摩は深く追求してくることはなかったのでさほど重要なことではなかったのだろう。  けれど、志摩はどうなのか。親とは、仲いいのか。  喉まで出かかって、言葉を飲んだ。あまり、余計なことを聞かないでおこう。墓穴を掘ってしまいそうだ。  それから、他愛ない話をしてる内に目的の店に辿り着く。  そこは文房具や手芸用品まで様々な材料が置かれていた。本来ならば授業や部活で使うものを置いてるのだろうが、このシーズンだからだろうか、棚にはたくさんのリボンや布、それに飾り付けに使えそうなモールやオーナメントが数多く並んでいた。 「すごい、こんなにあるんだ……」 「えーと、足りないのは赤い布とピンクのリボン、それから……まあ、適当に必要そうな分買っておこうか」  布、リボン……と口の中で呟きながら棚を探していると、見つけた。リボンだ。糸みたいに巻かれたリボンを見て、こんな風に収納されてるのかと驚いた。悲しいことに蝶々の形をしたリボンしか見たことなかったのだ。 「志摩、リボンならここにあるみたいだよ」 「ふーん、結構色々あるみたいだね。ピンクって言っても……こんなにあるんだ」 「あ、これとか……どうかな。キラキラしてて綺麗だよ」  小さな女の子が好きそうな淡いピンク色のリボンを手にすれば、志摩は「ええ」と呆れたような顔をする。 「ピンクならこっちでしょ。それは薄すぎだって」  ドギツいショッキングピンクのリボンを手にした志摩に、俺は「それは濃すぎじゃないのか」と言おうとしてやめた。志摩がピンクというのならピンクなのだろう。  俺はリボンをそっと棚に戻す。その代わりドギツいショッキングピンクのリボンをごっそりカゴに突っ込んだ。  赤い布はすぐに見付かった。  巻いてある布を抱え、あとは志摩のチョイスで色々必要そうなものを適当に選んでいたのだが……前々から思っていたがなんだか志摩のセンスはその、派手過ぎるのではないかというか、飲食店にはどうなのだろうかと思うようなものが多かった。志摩には志摩なりの飲食店像があるのだろうけど、これらで飾り付けするとなるとすごいことになりそうだ……。まあ、志摩が満足そうだからいいか。  それから学生寮から再び校舎へと戻る。  職員室前。注文していた品を受け取るため、職員室へと入っていった志摩を廊下で待っていた。  それにしても、布の束ってこんなに重いのか……。円筒型のそれを落とさないように抱えながら、もう片方の手には細々とした材料が入った紙袋を手にしていた。  職員室は人通りが多い。生徒だけではなく、先生たちもなんだか忙しそうだ。  この規模の学園の学園祭となると、やはり来場客数も馬鹿にならないだろう。志摩が言うには、卒業生である著名人が来てトークショーを開いたり、普通に屋台が入ったりと様々なイベントもあるらしい。昔通ってた学校の文化祭とはやはり規模が違う。  そうとなると、気合が入るのも無理もないのだろうが、いまいち自分がその主催者側にいるという実感が沸かないため未だ俺は宙に漂う気分だった。  目まぐるしく動く人影をぼんやり眺めていると、不意に、肩を掴まれた。志摩が戻ってきたのかと顔を上げれば、そこには。 「や、齋藤君。こんなところで何してるの?」  縁方人は、そう馴れ馴れしく肩を抱いてくる。  するりと背中を撫でられ、ぎょっとして慌てて離れようとすれば、縁は「あれ、残念」と肩を竦めた。 「え、にし先輩」 「齋藤君も学園祭の準備?皆忙しそうだよね。ま、そのおかげで俺はゆっくり散歩できるんだけど」 「君とも出会えるしね」と気障に笑いかけてくる縁に苦笑しか出ない。  縁は悪い人ではないのだろうが、絡みつくような視線や、ただの好意とは言い難いようなその接し方が苦手だった。  一度エレベーターの中で襲われかけたときのことを思い出し、無意識に身構える。 「縁先輩は、どうしてここに」 「散歩だって、散歩。……ま、本当はちょっと用事があったんだけどね」 「用事……ですか?」 「聞きたい?」  そう目を細める縁に、ぞわりと背筋が震える。これだ、この目だ。頭の先から爪先まで絡みつくようなこの目が苦手だった。「いえ」と首を横に振れば、縁は何事もなかったように「なんだ、寂しいな」と笑った。 「それで? 君は何してるの?」 「えと、俺は……志摩を……」 「ああ……なんだ、亮太もいるのか。それにしても齋藤君みたいな可愛い子をこんなところで放ったらかしにするなんて亮太のやつも何考えてるんだ」 「い、いえ……それは……そんなことは……」  やっぱり苦手だ。そもそも男相手に可愛いと言われても馬鹿にされているようにしか聞こえないし、相手が縁だと余計恐ろしい。  早くどこかへ行かないだろうか、それか、志摩が戻ってきさえすれば。  周りの人間は誰しもが縁を避けるように俺たちから目を逸らす。助けてくれ、なんてとてもじゃないが言えそうにない。 「あの、こんなところにいて大丈夫ですか? ……その、用事は……」 「まあまあ、そんなに俺のことを避けなくてもいいじゃんか。まあ、確かにこの前はちょっと強引すぎたかなって俺なりに反省したんだよ」 「……そ、そうですか……」 「齋藤君とは仲良くしたいからね」  そうニッコリと笑う縁だが、やはり胡散臭さが抜けきれない。笑い返すことが精一杯だった。  普通にしてたら、優しい人なんだけどな……。やっぱり距離も近いし、少し、怖い。  そういえば、と不意にこの前のことを思い出す。あのとき志摩が庇ってくれたお陰で逃げることができたことを。 「あ、あの……縁先輩って、志摩と……仲いいんですか?」 「仲良し、ねえ……どうだろう。バイト先同じだったりしてよく飯食いに行ったりはするけど」 「そ、そうだったんですか?」 「喫茶店とかバーとか居酒屋とか、本当色々だな。まああいつの場合は性格があれだろ?色々紹介してやったりもしたけどどこも長続きしなかったな」 「初めて知りました……」 「そうなの? まあ、亮太あんまり自分の話しないもんなー」  その何気ない縁の言葉に、なんとなくもやっとしたものを覚えた。志摩のことを聞いてもはぐらかされたり、誤魔化されたりして肝心のことは全然知らない。 「多分齋藤君に知られたくないんじゃないかな」 「……え」 「だって、あいつの性格知ったら君絶対亮太と一緒にいなさそうだもん。亮太はそれ分かってるんだよ、きっと」 「それ、は……」  そんなことはない、とは強く言い返せなかった。  仮にも自分の後輩である志摩をそんな風に言う理由がわからなかった、確かに志摩は善人ではないだろうが、それでも縁の意図が分からなくて反応に困る。 「まあ、亮太のことなら俺よりも伊織に聞いた方がいいよ。あいつなら詳しく教えてくれるだろうね」  そんな中、何気なく続ける縁の一言に耳を疑った。  いおり……伊織。まさか、と赤い髪の男の顔が浮かぶ。 「伊織って、もしかして」 「ああ、そうだよ。君の彼氏だね。昔はあいつ亮太のこと可愛がってたからな」 「え」と、アホみたいな声が出そうになる。  志摩と阿賀松が仲良かった、なんて、初耳だ。それに、阿賀松と志摩が会ったときといい、志摩の言葉といい、志摩は阿賀松のことを嫌ってるようにしか聞こえなかった。  そんな二人が、想像できない。 「……っと、やべ、亮太に見付かったらまた怒られそうだな。……まあ、詳しくは本人に聞いてみたらいいさ。お前がちゃんと自分で話さないから悪いんだってね」 「それじゃあ、またね」と手を振り、縁はその場を離れた。  そして、すぐ。 「齋藤、ごめん、遅くなった。雑用ばっか任されてさ」 「……志摩」 「それじゃあ、戻ろうか」  大きな箱を数箱抱えた志摩はいつもと変わらない笑顔を浮かべる。どうやらさっきまで縁がいたことには気付いていないようだが……俺は心がざわついて仕方なかった。  志摩が、阿賀松と仲良かった?だから、全部筒抜けになっていたのか?そう考えると、志摩の言動すべてが怪しく思えてしまう。 「どうしたの、齋藤。ぼんやりして」 「い、いや……なんでもない……」 「……そう?」  阿賀松と仲いいのか、なんて聞けるわけがない。なるべく平静を装いながら、俺は、歩き出した。  なんとなく志摩は腑に落ちない様子だったが、荷物を運ぶのが先決だと判断したらしい。  俺たちは大荷物を教室へと運び込んだ。その間、俺はまともに志摩の顔を見ることはできなかった。

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