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05※

 咄嗟に、俺は志摩から紙切れを取り上げた。 「それは、その……っ」 「齋籐、一人部屋にしたいの?」 「……っ」  本当に、勘が鋭い。  相手は志摩だ。志摩相手に誤魔化せる気はしないし、ここは寧ろ志摩に正直に伝えた方がいいのでは、とも思った。  けれど、今の俺にとって恐ろしいのは壱畝の耳に入ることだった。本気で俺が壱畝から逃げようとしていることがあいつの耳に入ると思うと、ゾッとしない。 「お願い、壱畝君には内緒にしてて」  ここは素直に伝えておくべきだろう。  誤魔化すとバレた後が余計ややこしくなるが、志摩の場合素直に頼ればまだちゃんと応えてくれる……と思いたい。  そう志摩に頭を下げれば、どうやら俺の読みは当たっていたようだ。志摩は「別にわざわざ言わないよ」と続ける。 「でも、どういうことなのそれ。前から用意してたってわけじゃないよね」 「もしかして、壱畝と相部屋嫌なの?」前から、というのは阿佐美と同室だった頃のことを指してるのだろう。  怪訝そうな顔の志摩だが、なんだろうか。状況が状況だからだろうか、壱畝ではなく俺の言葉を聞いてくれる志摩の存在にわずかながらも安心感を覚えている自分がいた。  ついこの間までは、あんなに不気味に感じていたのに。自分でも現金なやつだとは思う。 「それで、この紙は? 齋籐が自分で用意したの?」 「今日、先生に頼んで……」 「ふうん……で、どうだった? 部屋見つかった?」 「いや……一人部屋の人に頼んで相部屋にしてもらうしかないって言われて、すぐには無理かもって」 「一人部屋?」  なにかが引っかかったようだ。志摩の眉間に皺が寄る。 「志摩?」と尋ねれば、志摩は少し考える。 「で、その相手はもう決まったの?」 「……まだ。一応、先生が一人部屋の生徒に声かけてくれるらしいからそれを待ってるところ」 「その一人部屋の生徒の中から齋籐を引き取るって申し出た生徒と相部屋になるってこと?」 「だと思う」と頷けば、志摩の表情は益々険しくなる。  すると、志摩は「面倒だな」と小さく吐き捨てた。 「要するに齋籐に拒否権がなくなるわけでしょ、それって」  その志摩の言葉を聞いてハッとする。そんな俺に構わず、志摩は静かに続けた。 「もし引き取る相手が一人しかいない場合は意見一致で即決定だし、まずないだろうけど、引き取りたいと申し出る人が複数人いる場合も抽選で一人決まって意見一致」 「あくまで齋籐の願いは『相部屋の相手』を見つけることだからね、相部屋でも構わないって人が出たらそれで叶うわけだから文句言えなくなるんじゃない?」指摘されてなるほど、と思った。  相手がOKしてくれた場合、阿佐美や芳川会長ならまだしも、もし阿賀松と相部屋になったらと思うと背筋に冷たい汗が流れる。  あの男に限ってそんなこと、と思うが気分によって大きく変わる男だ。ないとは言い切れないことがただ恐ろしい。 「一人部屋の生徒、誰がいるか知ってる?」 「えっと……会長と、阿賀松先輩と……阿佐美?」 「それから方人さんもね」 「方人さ……え?」  そう、何気ない調子で付け足された聞き覚えのある名前に驚いた。  方人――縁方人。 「縁先輩も一人部屋なの?」 「あの人の場合は不本意だけどね。ルームメイトが退学してからずっと一人部屋じゃないかな」  そう、あくまでも淡々とした調子で続ける志摩。  まさか縁まで一人部屋とは。というか、ルームメイトが退学しても一人部屋になるのか。新たに知った事実に驚く俺。  そこまで考えて不意に先ほどの志摩の言葉が脳裏が過る。  そして、それらから浮かび上がったとある一つの可能性に息を飲んだ。 「……ってことは」 「このままだと、ほぼ確実に方人さんだろうね」 「……っ」  い、……嫌だ。壱畝から離れられるなら幾分もましだろうが、嫌だ。  志摩の言葉に、ぞくりと背筋が震えた。  壱畝と比べれば、とか贅沢言ってる場合ではないのでは、と思う。けれど、俺への好意を隠そうとしないあの人と同室になってみろ。  どう足掻いてもろくなことにならない気がしてならないのだ。今更貞操云々拘ることの方がおかしいのか。 「でも、もしかしたら会長とか……っ」 「ああ、あの人は無理だろうね」  気が変わって申し出を受けてくれるかもしれない。そう思って名前を出るが、志摩は即答だった。 「滅多に人を部屋に上げたがらないし、秘密主義っていうの? 嫌がるタイプでしょ、プライベートに介入されるのに」  指摘されて、思わず言葉に詰まる。  けれど、芳川会長は俺を部屋にあげてくれた。そう反論したかったけど、先程相部屋の相談したときの芳川会長の顔がどうしても過ぎってしまっては言葉を続けることはできなかった。  そんな俺を後目に、志摩は小さく息を吐いた。 「まあどちらにせよ、個人的に方人さんも会長も齋籐のルームメイトには向いてないと思うよ。阿賀松なんかは論外」  何でもないようにばっさりと他人を切り捨てる志摩にはつくづく呆れさせられる。  本人がいたら大変なことになるぞ、と内心ドキドキしつつ「阿佐美は……」と恐る恐るその名前を出した瞬間、無言で睨まれる。  この様子からするとどうやらまだ志摩は阿佐美とのことを根に持っているようだ。  もしかしたらと賭けてみたが、この調子じゃ阿佐美と仲直りしてくれなんて頼んだらどんな目に遭わされるかわからない。睨まれ、しゅんと萎めば志摩はなにも言わずに俺から視線を逸らした。 「こうなったら、俺が一人部屋になって齋籐を引き取ろうか。十勝の一人や二人くらい、どうにかすれば退学に……」 「だっ、ダメだって、そんな……気持ちだけもらっておくよ。ありがとう」  そう口にすれば、志摩は無言でこちらを見る。  先ほどまでの笑みはない。  ああ、居心地が悪い。なんでそこで黙るんだ。  冗談か本気かわからないだけに、漠然とした不安だけが膨らむ。 「なんで齋籐がそこまでして壱畝遥香から逃げたいのか、なんとなく想像つくよ」 「……ッ」 「なにかされたの? 壱畝に」  志摩相手に隠し通せるとは思っていなかった。  けれでも単刀直入に尋ねられ、俺はすぐにその問に返して反応することはできなかった。 「例えば――虐められてるとか」  そして、言葉に詰まる俺に志摩は更に追い打ちをかけてくるのだ。 「図星だ」 「違……」 「嘘。齋籐、分かりやすすぎない? あんな分かりやすい態度、俺じゃなくても気付かれるよ」  まだ意地を張るかと呆れるような、哀れむような声だった。  どんな顔をすればいいのかわからず、ただ俯く。膝を掴んだまま押し黙る俺に、志摩は「齋藤」と肩を掴んでくるのだ。  そして、こちらを覗き込んでくる。 「ちゃんと話して。じゃないと、俺も助けられない」 「……別に、助けなんて」 「じゃあ言い方を変えようか、俺は齋籐を助けるつもりはない。だからさっさと話せよ」 「知らないやつに馴れ馴れしくさせてる齋籐見てると気分悪いんだよ」そう、先ほどまで打って変わって吐き捨てる志摩  フリなのか、本音なのか、それすらわからなかったが、辛辣な志摩の言葉は見事俺の胸の奥、深く突き刺さる。 「……別に、本当に……ただの知り合いだよ」  志摩の性格を知ってるからこそ、余計認められなかった。素直になった方が楽だとわかっていても、志摩に弱いところを知られたくなかった。  今更だと分かっていてもだ。  志摩の表情から笑顔が消える。そして、 「齋籐って大分嘘つくの上手くなったけど、甘いよ。……目が泳いでる」 「……ッ、」 「そう、ま、いいよ別に。齋藤が嘘吐くっていうなら。  ――直接確かめさせてもらうから」  それは、一瞬のことだった。  逃げようとするよりも先に志摩に腕を引っ張られる。  離してくれ、と志摩の手を振り払おうとするが、伸ばしかけたその手首も掴まれる。  壱畝に殴られた痛みが蘇り、堪らず硬直する。 「……ッ! し、志摩……ッ!」 「さっきから気になってたんだよね、これ。……くっきり残ってるね、指の跡」 「余程強く掴まれないと残らないよ、普通」こんな風にね、と手首を掴みあげられるた拍子に袖を捲られる。痣とまではいかずとも、赤くなったその跡を見て志摩は笑った。  俺は、それを直視することはできなかった。 「……っ、違う、それは……自分で」 「自分で? ……ふーん、随分と器用なことするんだね、齋藤は」 「い、いい加減に……」  してくれ、と言い掛けたときだ。  制服の裾を志摩に掴まれ、そのままシャツの下に伸びる志摩の手にぎょっとした。 「……ッ、し、志摩……ッ!」  徐に脱がされそうになり、慌てて後退する。  が、逃げることなどできなかった。  裾ごと捲くり上げられ、そのまま邪魔なボタンを外されるのだ。必死に片腕でシャツを掴んで身体を隠そうとするが、敵わなかった。  そして、開いたシャツを引っ張られる。顕になったシャツの下、俺の上半身に目を向けたまま志摩は笑った。 「……へぇ」 「ぅう……ッ」 「随分とまあ、増えたね」  生きた心地がしなかった。  今、俺の身体には先日の阿賀松との行為の跡も残っている状態だ。自分でも直視できたものではないその身体を、今、志摩に見られている。  その事実にただ顔が熱くなり、同時にこの場から逃げ出したくなるのだ。  志摩は俺の胸元に残った歯型にそっと触れる。阿賀松に噛まれたときのものだ。最中は痛みどころではなかったが、今は触れられただけでぴりっと皮膚を引っ張るような痛みが走った。 「あの転校生、爽やかな顔してやるなあ」 「それは、違……っ」 「――じゃあ誰が付けたの?」  志摩の声がワントーン落ちたのがわかった。  壱畝の名誉を守るためではない。志摩に、他の相手に壱畝との関係を勘違いされることが何よりも俺にとっては苦痛であり不名誉でありなにがなんでも避けたかっただけだ。  だから。 「あ……阿賀松、先輩……っ」  そう、その名前を口にしたとき。  志摩の指先に僅かに力が籠もる。歯型をなぞるように爪が引っかかり、その痛みに堪らず声が漏れた。  それもほんの一瞬、志摩は胸から臍、下腹部へと皮膚を撫でるようにゆっくりと指を滑らせた。 「じゃあこれも?」  広がった痣を指で柔らかく押された瞬間、下腹部全体にじんわりと鈍い痛みが走る。堪らず逃げようとするが、腕を掴む志摩がそれを邪魔する。 「っ、し、ま……」 「濃いなあ、つい最近できたばっかだよねこのアザ」 「っ、……ッ」 「これも阿賀松?」 「ちが……ぁ……っ」 「じゃあ、壱畝遥香だ」  くるくると痣の上、円を描くように回っていた志摩の指先に力が加わるのが分かった。  皮膚を突き破られるような痛みとは違う、圧されるような鈍痛に堪らず身動ぐ。 「……ッ! ぃっ、痛い……っ痛いって……ッ志摩、……っ」 「……可哀想に、こんなに痛め付けらるなんて。普通、ここまでくっきり残らないのにね。余程恨みでもないとこんなこと、しないよ」 「痛い、痛いってば、志摩、やめて……ッ志摩……っ!」 「ねえ、齋藤。これでもまだ俺に隠すつもりなの?」  傷を見られ、指で探られ、穿り返される。  志摩は確かめてるのだろう、俺の反応を。  俺は、なにも答えられなかった。言いたくないのだ。矜持ともプライドとも違う、口で言えば本当に認めてしまうことになる。  この学園では、俺とあいつのことを知ってるやつは俺とあいつしかいない。だから、そこで終わらせたかった。  俺が我慢していれば、なにもなかったことにできる。そう思っていたのだ、今も尚。  押し黙る俺に、志摩は「本当に変なところで強情なんだね」と呆れたような顔をした。  そして、次の瞬間志摩に腕を引っ張られる。  それはいきなりのことで、咄嗟に受け身を取ることもできなかった。床の上に押し倒されたと思った次の瞬間、伸びてきた手に胸ぐらを掴まれる。 「……っ、し、ま……ッ!」 「ああ、ごめん。痛かった? ……けど、齋藤ならこれくらい大丈夫だよね」 「だってこんだけ濃い痣作らせても虐めじゃないって言うんでしょ?」――じゃあ、今から俺がするのも虐めじゃないよね。  首を傾け、こきりと関節を鳴らして志摩は笑う。  そして、伸びてきた志摩の指先に首を掴まれ、器官全体を押さえつけるように床に押し付けられた。  何故、俺は志摩に首を締められているのか。 「ッ、志摩……っや、め……ッ」 「なんで?」 「……ッ、……」 「俺は痣が出来るほど殴っても蹴ってもないのに。ねえ、どうして? 壱畝遥香に蹴られるのも阿賀松に噛まれるのもいいのに、俺にこうして触られるのは嫌なの? ねえ、齋籐。なんで?」  藻掻けば藻掻くほど息が詰まる。  新鮮な酸素を求めようとすればするほど酸素は薄くなり、頭に血が登っていくのだ。  指先からじわりと痺れていくような感覚の中、俺は首を圧迫するその志摩の腕を掴む。そして引き剥がそうとするが、馬乗りになるように更に体重を掛けられると無理だった。 「っ、そ……ういう、意味じゃ……ッ」  ない、と言いかけたときだった。  がら空きになっていた上体に、空いていた志摩の手が這わされる。 「要するにそういうことだよね」 「それともなに? 齋籐はマゾなの? こうやって優しくされるのは嫌い? だから齋藤は俺になにも話してくれないの?」 「ねえ齋籐、俺は齋籐に優しくしない方がいいの?」眼球の奥が熱くなっていく。  今度は先程とは打って変わって優しい手付きで痣を撫でられ、全身が震える。  死なない程度に器官は確保されているが、それでも呼吸すればするほど苦しくなり頭の奥がぼんやりとしてくる。  それでも、返答次第では本当に殺されるのではないか。  そんな恐怖もあり、より過敏になった神経は志摩の指の動きを無意識に追いかけるのだ。 「友達とか、そういうのわかんないからさ、俺。だから、教えてよ。齋籐。どうやったら齋籐は喜んでくれるの?」  こんなに近い距離にいるはずなのに、志摩の声が遠く聞こえる。  志摩は、俺を本当に喜ばせたいと思っているのか。だったら何故こんなことをするのか。  あまりにも俺達の意識に齟齬がある。戸惑いすら通り越し、一種の諦めにも似たようなものがこみ上げてくるのだ。 「教えてよ、齋籐」 「っし、ま……」  だったらまず、この手を離してくれ。  そう続けるよりも先に、顎を掴まれ深く唇を重ねられる。 「っ、ふ、んぅ……ッ」  こんなやり方、間違えている。  まず、言葉を交わすべきではないのか。そう言いかけて、やめた。  ――志摩を拒んだのは俺だ。  志摩が差し伸べた手を振り払ったのも、俺だ。 「ぁ、くッ、……んんっ」  固く結んだ唇を舐められる。こじ開けようとされても頑なに唇を結び、顔を逸らそうとすればそのまま唇から頬までを舐められる。 「……っ、は、し、ま……ッん、う……ッ」  首を締めていた手が緩んだと安心した矢先、開いた口を塞がれる。  噛み付くように、乱暴に開いた口を割られ、舌を絡み取られた。額に落ちた前髪がこそばゆくて、それ以上にこちらから目を逸らそうとしない志摩の視線が痛くて仕方なかった。 「……っ、ふ、ぅ……ッ」  こんなこと、している場合ではないのに。  そう志摩を退かそうとするが、舌を絡められ、シャツの下を触れられると余計動揺と焦りで思考がままならなくなる。  顎を捕まれ、犬のように唇を舐められる。  マーキングという単語が頭を過ぎった。 「……ねえ齋籐、俺は齋籐の味方だよ。ずっと。齋籐が、俺のことを友達って思ってる限りね」  こうやって人の目を見るのはあまり得意ではなかった。  目を見れば相手がなにを考えてるかわかってしまう、だから出来るだけ目を合わせないように、視線から逃れるように生きてきた。  なのに――今だけは目を逸らせない。  志摩が目を逸らすことを許さなかった。 「齋籐言ってくれたよね、俺のこと友達だって。友達って助け合うものなんでしょ? 友達が困ってたら命を懸けて全力で助けるんでしょ? 友達に秘密はしないんでしょ?」  首から腕、そして肩へ移動した手はそのまま皮膚を撫でるように背後へと回る。乱れたシャツ越し、肩甲骨を撫でられるのだ。  それは見方が変われば抱き締められているように見えるかもしれない。  『友達』――志摩は、やけにその言葉に執心しているように感じた。 「ねえ、齋籐は俺の友達なの?」  ――お互いに秘密もなく、時には命を賭けてまで助け合う。  先程の志摩の言葉が友達の定義だというなら、俺は志摩の友達ではない。  そして少なくとも、俺の中では。 「……友達は、こんなことしない」  その言葉を口にしたと同時に、志摩の表情から笑みが消えた。  それもほんの一瞬のことだった。 「じゃあ、俺たちはなんなんだろうね」  自嘲混じり、それでもほんの少しその笑顔が傷ついているように見えたのは気のせいなのか。  自虐めいたその言葉が、酷く重く全身にのしかかる。  ――罪悪感、だろうか。誰に対して?  ――志摩にか?  だから、嫌だった。人の目を見るのは苦手だった。  俺は志摩の友達だと受け入れればよかったのだろうか。わからない。なにをやったところで相手を苛立たせ、悲しませてしまうのは最早性格なのかもしれない。 「……っ、志摩」  正直、俺は油断していた。  志摩の手から力が抜け、白状しない俺に痺れを切らした志摩が諦めてくれるのではないか。  そんな淡い期待すらも抱いていたのだ。  そのまま志摩に抱き寄せられ、全身が凍りつく。乱れたシャツを直すこともできないまま、志摩の上体が隙間なく密着するのだ。  心音すらも、聞こえてしまいそうなほど。 「……ほんと、駄目だなあ」  それは、独り言のような声だった。  背筋を撫でるように這い上がり、項へと伸びた志摩の指先は俺の襟足を擽る。 「っ、し、ま……」 「本当、齋籐を見てるとムカついてどうにかなりそうになる」 「……ッ」 「こんなはずじゃなかったのに、なんでだろうね? 齋藤のことなのにさ、俺だけが必死になってるみたいでバカみたいじゃない?」 「……ッ、そ、れは……」  志摩が俺のことを心配してくれているのはわかった。強引だし、自分勝手だけど、それでも志摩の行動や言動の先に自分がいることは散々思い知らされてきた。  それでも、俺には志摩がわからない。  何故そこまでしてくれるのか、なんでそこまで俺に固執するのか。  それが友情だと――友達というのなら、余計。 「志摩……っ、ん、う……ッ」  二度目の口付けは乱暴だった。  抱きしめられたまま、急に唇を塞がれてぎょっとする。噛み付くように唇を開かされ、侵入してくる舌先に咥内の粘膜を舐められ、奥に窄まっていた舌ごと引きずり出されるのだ。  嫌なものを感じ、志摩の腕から抜け出そうと身動ぐが、がっちりと腰に回された腕は離れない。 それどころか、臍の辺りに擦り付けられる性器の感触に目眩を覚えた。  ――何故、この男は勃起しているのだ。 「……っ、は、んん……ッ!」  絡め取られる舌に意識を奪われている間に、伸びてきた手に胸を撫でられ震える。まだじんじんと痺れるように腫れたそこを指先で撫でられただけで腰が震え、必死に腕の中から抜け出そうとするが、舌の根から先っぽまで執拗に舐られるだけで思考がかき乱される。  口の中の粘膜からじんわりと滲む唾液ごと吸われれば、聞きたくもない音が咥内に響き渡った。 「ん゛、う……ッ」  小刻みに震える下腹部。刺激され、硬くなり始めていた乳頭を指先で柔らかく潰された瞬間背筋に電流が走る。  そのまま志摩は俺の唇から溢れる唾液を舐め取り、目を細めた。 「齋籐、俺はどうしたらいいの?」 「……っ、し、ま……」 「もっと頼ってくれてもいいんだよ。文句があるならちゃんと言ってよ。聞くかどうかはともかくさ、出来るだけ頑張るから」 「っ、待っ、ん、ぅ……ッ」 「俺はもっと齋籐に頼られたいよ」 「ねえ、齋藤。友達ってそういうものじゃないの?」胸を鷲掴みにされ、そのまま揉みしだくように平らな胸を撫でられる。中途半端に弄られ、尖ったそこに志摩の指が掠めるたびに喉元まで声が漏れそうになり、背筋が震えた。 「……っ、し、志摩……」 「俺、馬鹿だからわかんないんだよ。ちゃんと言葉にして言ってくれなきゃ」 「ッ、う……ふ……ッ」  言いながらも、人の言葉を遮ろうとするのはどちらなのか。  こんなことに意味などないはずなのに、志摩に触れられた箇所は痺れるかのようにじんわりと熱くなっていくのだ。 「ほら、早く止めなきゃ会長に怒られちゃうよ。齋籐。他の男の前でそんな顔しちゃってさあ、ねえ? ……写真撮って見せびらかしてもらいたいの?」  本気か冗談か。それがわからない人間は本当に厄介だ。  このタイミングで芳川会長の名前を出されるとは思ってもいなくて、熱に浮され朦朧としていたところを一気に現実に引き戻される。  ――思い出したくもない余計な記憶を引き付けて。 「……っやめ」 「いいよ、齋籐が壱畝遥香とのこと教えてくれるなら」  即答だった。  今まで悪戯に体をまさぐっていた志摩の手、足の動きがピタリと動きを止める。  そして、こちらを覗き込む志摩。その顔には、いつもと変わらない笑顔を張りついていた。 「壱畝のこと、好き? それとも嫌い?」  もっともシンプルで、もっとも複雑な選択肢だと思った。  答えは明白だ。しかしそれを第三者に口に出すとなると様々な感情が絡まり、物事は一気に複雑化してしまう。  まるで「パンがいい?それともご飯?」とでも言うような軽薄な口調で、この男は最も残酷な言葉を投げ掛けてくるのだ。 「っ、……壱畝君は……、俺は」  ――好きなはずがないのだ。  しかし、ここで安易に口にしてしまえば俺の中のなにかが大きく変わってしまうような気がしてならなくて、その一線を越えることを踏みとどまっていた。  それでも尚、志摩は「齋籐」と返答を促してくる。  どう答えたところでもう、とっくに志摩にはバレているのだろう。  隠す必要性もないし、隠したところで志摩の機嫌が悪くなるだけだ。  志摩の言葉を信じるなら、志摩はなにがあっても俺の味方をしてくれるという。  ――俺が志摩の友達をしている限り。  それが今も有効なのかはわからなかったが、今のところの最善の方法は盾となり枷になっているこの余計な見栄を取っ払うことだろう。  だから俺は、自分の中での最善を選ぶことにした。 「……あまり、好きじゃない」  室内に響く自分の声が酷く冷たく響いた。  急激に冷めていく熱。冷静か、沈着か、それとも後悔か。今の俺には判断つかなかったが、「了解」と小さく応える志摩の声がなにかを孕んでいたのだけは確かだった。  志摩にとって、触れるという行為が何なのか。俺は未だに理解し兼ねていた。  ずっと、心に決めた大切な人――とまでとはいかずとも、少なからず好意がなければ相手に触れようだなんて思わない。  ……そう思っていたのだが、俺はすでに知ってしまっている。  微塵も好意がなくとも、寧ろ嫌いだったとっしても嫌がれせという手段で性行為に及ぶ男がいることを。  だとすれば、志摩のこれはどちらなのか。  少なくとも、志摩は俺がこういったことを嫌がると分かっているはずだ。その上で、志摩はそれを脅しの手段として利用する。俺のためだとその口で嘯いてみせるのだ。  俺にはもう、なにもわからない。それでも、ほんの少しでも今まで助けてくれた志摩のことを信じたか  った。 「それで、これから齋藤はどうするつもりだったの?」  乱れた制服を着直し、ネクタイを締めながら志摩はベッドの上から動けないでいた俺に向かって声を掛けてくる。  まだ行為の余韻の残った頭を動かし、俺はなるべく角の立たない言葉を探しては見るが、無理だ。  諦め、「荷物をまとめて、新しいルームメイトが見つかるまで外で時間潰すつもりだった」 と素直に答えれば、丁度水を飲もうと人の部屋のグラスに水を注いでいた志摩は「え?」と呆れたような顔をしてこちらを振り返る。 「齋藤、それ本気?」 「……だって、そうするしかなかったから」 「それって無謀すぎっていうか……齋藤がそんな強行に出るなんて余程あいつとの同室は嫌なんだね」 「……」  そう呆れたように笑う志摩だが、その口振りはどこか嬉しそうですらあった。  そして、グラスの中の水を一口喉奥へとぐっと流し込み、志摩はこちらに微笑みかけてくる。 「なら、一人部屋決まるまで荷物持って俺の部屋に来なよ」 「え?」 「だから、俺の部屋に泊まるんだよ。齋籐のルームメイトが決まるまでの間」  何でもないように、志摩は俺が越えられなかった壁も超えてくるのだ。  志摩からしたら俺と壱畝の関係なんて知ったこっちゃないだろうに、自ら進んで首を突っ込んで。 「俺としてもずっと齋籐と一緒にいれるからやりやすいし、どう?」 「でも……いいのかな。そんな、志摩にも迷惑が……」 「あのさ、まだそんなこと言ってるの? 俺言ったと思うんだけど、俺は齋藤の味方だよって」  確かに、何度も言われてきた。少しくらい信用しろともだ。  迷いがない、それどころか志摩は躊躇う俺にイラついてる気配すらある。 「でも、十勝君もいるし」 「いいよ、あんなやついてもいなくても大して変わらないし。それに、ムカつくけどあいつは齋藤なら文句言ってこないだろうしね」  確かに、気がいい十勝だ。事情を話せば快く俺を受け入れてくれそうな気配すらあった。 「なんなら、このまま十勝の奴と交換して俺が引き取りたいんだけどね」 「し、志摩……」  ベッドの傍までやってきた志摩はそのままベッドの縁に腰を掛ける。  近くなる距離に自然と全身が硬直した。 「それで? 俺がここまで言ってやっているのに、齋藤は何がまだ引っ掛かっているの?」 「ひ、壱畝君は……」 「壱畝?」 「お、俺が……志摩の部屋に逃げたってなったら壱畝君、志摩になにか言ってくるんじゃないかって……」  同じクラスになってしまった以上壱畝とは嫌でも顔を突き合わせることになるだろう。  その時のことを考えただけで、先ほど壱畝に殴られた腹が疼く。  けれど、俺の言葉を聞いた志摩は変わらず笑っていた。なんだ、そんなことかと言いたげに。 「アイツのことは放っておけばいいよ。どうせバラバラになるんだしさ」 「そ、それは……」 「そんなに気になる?」  静かに尋ねられ、俺はこくりと頷き返した。  志摩は顎に触れ少し考え込んだあと、「じゃあ、こうしようか」と人差し指を立てる。 「俺が壱畝遥香を部屋に呼んでこっちの部屋に齋籐が一人になるように――」 「だっ、駄目……ッ」  志摩があまりにも悍ましい提案をしてくるものだから、自分でもビックリするほどの大きな声を上げてしまう。  そして、それは志摩も例外ではなかった。  何事かと目を丸くした志摩だったが、すぐにその表情は嬉しそうに綻ぶ。  伸びてきた手は俺を落ち着かせるかのようにそっと肩を撫でてきた。 「なに? 齋藤はそんなに俺が壱畝遥香と仲良くするのが嫌なの?」  志摩は分かっているのだ、俺がなにを恐れているのかを。  理解したうえで、こんな風に試すような物言いをしてくるのだから性格が悪い。 「……壱畝君には、関わらない方がいいよ。……これは本当に、」  やんわりと肩を抱いてくる志摩の手を放そうとしたとき、そのまま志摩に手を取られてしまう。  そして掌を重ねるように手を握る志摩に内心ぎょっとした。 「ッ、志摩……」 「それって嫉妬?」  手の甲から手首まで、表面の皮膚、浮かんだ筋をそっと撫でるような触れ方に背筋が震える。  振り払おうとすれば振り払えた。けれど、そうしなかったのは志摩に試されているような気がしたからだ。 「――わからない」  別に志摩に恋心を抱いているわけではないが、もし志摩が壱畝遥香の味方になったらと思えば気が気でなかった。これを嫉妬と呼ぶのならそうかもしれない。  我ながら煮え切らない反応だと思ったが、どうやら志摩にはそれで充分だったようだ。 「齋籐はヤキモチ妬き屋さんなんだね」  人の話を聞いていたのか聞いていなかったのか、志摩はニコニコと笑いながら重ねていた手を離した。  ……まあ、満足してくれたのならそれでいいけど。 「それで、どうする? 俺の部屋来るんだったら掃除しとくけど」  正直、今すぐにでもお邪魔したいところだった。  この際、志摩の部屋にノコノコついて行くことで起きるであろう事象については置いておこう。  けれど、先ほど志摩が零していた愚痴の内容が気になった。  どうやら志摩たちの部屋では生徒会の打ち上げが行われるという。目的は違えど、そんな場所に俺が邪魔して変な空気にならないかが気がかりだった。  それに、芳川会長とはあんな別れ方だったし。  考えれば考えるほどマイナス思考が働き、俺はその場で即決することが出来なかった。  そんな俺に、志摩は「別に今すぐ決めなくてもいいよ」なんて言うのだ。 「その代わり、気が向いたらすぐに教えてね。齋藤のこと、迎えに行くからさ」  おかしなものだと思う。あんなに怖かった志摩の強引さが、今ではほんの少し心強く思えてくるのだから。  俺は志摩に「うん」とだけ頷き返した。

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