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07
それから、俺は五味たちの買い出しに付き合うことになる。
大中小様々なサイズの買い物袋を抱え、それから俺は打ち上げが行われるという303合室へと向かった。
――学生寮三階、303号室前。
「お邪魔しまーす」
「お、お邪魔します……」
「失礼します」
五味を先頭に、開いた扉から中へと足を踏み入れる。
以前来たときは部屋を真っ二つに仕切っていたカーテンがまず目についたが、今はそれは見当たらない。
そして部屋の奥、椅子に腰を掛けていた芳川は俺の姿を見るなり目を丸くする。
「齋藤君?」
「お、お邪魔してます……」
慌てて頭を下げれば、芳川会長は俺の横の五味に目を向ける。
その視線にどこか咎めるようなものが含めれているような気がしたのは、恐らく考えすぎではないはずだ。
そんな芳川会長の視線にバツが悪そうにしながらも、五味は言葉を探った。
「まーなんつうか、こいつとはついさっき下で会ったんだよ。だから、俺が声かけた」
「なんだって?」
「おい、そんなこええ顔すんなって。ほら、齋藤もビビってんだろ」
立ち上がる芳川会長に、その辺に買い物袋を置いていた五味は慌てて両腕を上げて降参のポーズをしてみせた。
「お前がなんか用あるみたいだったし丁度いいと思ったんだよ」
――会長が俺に用?
思わず会長に目を向けるが、会長は相変わらずだ。じっと五味を見るその目がなんだか怖くて、今さらながらもしかして俺は余計な真似をしてしまったのではないかと後悔する。
一方、一緒に帰ってきた灘は傍観に徹しているようだ。五味が置いていた買い物袋を回収し、その中に入った飲料類を冷蔵庫に仕舞っている。
いつものことなのか。俺が気にしすぎなだけなのか。それでもやはり不穏なものを感じずにはいられなかった。
どうにか会長を落ち着かせるため、俺はなけなしの勇気を振り絞ることにした。
「す、すみません……あの、お邪魔なら、俺……」
「君が帰る必要はない」
が、普通に遮られた。
俺の言いたいことを察したらしい芳川会長はそう静かに続け、再び目の前の五味に目を向ける。
「五味。いつも言っているだろう、勝手な行動はするなと」
「わかったわかった、説教は後でいいだろ?」
「ほら、灘に頼んでいたやつだ」そう持っていた買い物袋を芳川会長に見せ、咄嗟に話題を変えようとする五味。どうやらその効果は覿面だったようだ。
「ああ、すまないな」
一応、お使いをしてくれた五味たちに対しては感謝をしているようだ。
なんだか出鼻を挫かれたような顔をする会長だったが、それも一瞬。俺の抱える荷物に目を向けた芳川会長は小さく溜め息を吐き、そして「ご苦労だった」と小さく口にする。
芳川会長も感情に身を任せる馬鹿ではない。そう早速切り換える芳川会長にようやく安心したようだ。緊張がほどけたように五味はほっと息を吐いた。
それから、俺達は改めて303号室に足を踏み入れたのだった。
――学生寮・303号室。
「十勝と栫井は?」
「栫井なら後で来るそうだ。十勝は昼頃から連絡つかない」
「は? 部屋勝手に使っていいのかよ」
「一応今朝確認したからな。同室者に入れてもらったんだが……」
「――あいつ、肝心なときにいなくなりますからね」
そう芳川会長が言いかけたときだった。
リビングの出入り口側。丁度リビングに足を踏み入れようとしていた俺はすぐ傍から聞こえてきたその声に足を止める。
柔らかく、それでいてどこか甘さを孕んだその声に全身に嫌な汗が滲んだ。
ゆっくりと声のする方に目を向ければ、そこには会長同様椅子に腰を掛けた志摩がいた。不意に、目が合う。
「本当、なにやってんだか」
そして、俺を見て志摩は笑った。正確には口角を持ち上げただけなのだろう。その目は笑ってはおらず、冷めた目にじっと見据えられ背筋が冷たくなっていく。
志摩の部屋なのだから志摩がここにいることは最初からわかっていた。わかっていたはずだし、志摩にはいつでも部屋に来ていいと言われていた。
なのに、なんでだろうか。相手の冷ややかな笑顔を見ると自分の選択肢を謝ったような気がしてならないのだ。
「いや、全くだな。志摩君、片付けまで手伝わせてすまなかったな。助かった」
「気にしないで下さい、これくらい。せっかくの打ち上げですからね、自分の部屋だと思って寛いでもらっても構いませんよ」
そう志摩は微笑み、社交辞令を口にするのだ。
まさか俺達が戻ってくるまで会長と志摩が二人っきりだったのか。志摩がなにか会長に突っかかったり、妙な事吹き込んだりしていないか気になったが、普段と変わりない芳川会長の様子からするとなにもなかった……のだろう。そう思いたかった。
しかし、あれほど芳川会長を邪険にしていた志摩がなにも仕掛けないというその事実が不気味で仕方なくもある。
そんな中、その場で固まっていた俺のもとに志摩がやってきた。
「どうしたの? 齋籐、そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔をして。……ああ、その荷物重そうだね」
「え、や……」
「持つよ」
言葉よりも志摩の行動のハウが早かった。
伸びてきた手に抱えていた買い物袋を取り上げられそうになり、俺は考えるよりも先に志摩の手を掴んで止めていた。
その瞬間、志摩の表情から笑みが消える、そして、辺りに冷たい空気が流れた。
「齋藤、手離して」
ほんの一瞬だった。先にリビングに入った芳川会長たちに背中を向けた志摩は小さく口にした。
俺にしか聞こえないような声量だった。吐き捨てるような冷たい声に、思わず俺は買い物袋から手を離してしまう。
「あ……ありがとう」
会長たちに怪しまれないよう咄嗟に御礼を口にすれば、志摩はいつもと変わらない笑みを浮かべた。
「お安いご用だよ、このくらい」
先程の無表情が嘘のように柔らかい笑みを浮かべる志摩。そんな志摩にほっとする反面、全身の緊張は解れないままだった。
「なにぼーっとしてんの。入るんでしょ?」
「入りなよ、齋籐」そうこちらを振り返る志摩。
その顔に浮かんだ笑みに、なんだか俺は早まった気がしてならなかった。
生徒会の打ち上げに混ざるということで303号室にお邪魔した俺は、そこにいた会長たちと他の役員たちがやってくるのを待っていた。
そして五味たちと買ってきた飲み物を冷蔵庫に詰め込んだりしたりして暫く経った頃。
私服姿の十勝と栫井が戻ってきた。
「あっれー佑樹じゃん、なにやってんのこんなところで」
玄関に入るなり部屋で準備を手伝っていた俺を見付けたようだ。
目を丸くする十勝に、十勝の私物を片付けていた五味は「暇そうだから誘ったんだよ」とぶっきらぼうに答える。意外と五味は几帳面のようだ、ずぼらな持ち主の代わりに整理整頓をしている先輩になにをいうわけではなく、十勝は「へえ?五味さんが?」と驚いたような顔をする。
「たまには気が利くところもあるんすね! これなら会長が大人しあうっ」
そして叩かれていた。
「あーほらさっさと座れよ、な! 栫井も疲れただろ。ご苦労さん」
また良からぬことを口走ろうとしていた十勝を察知したようだ、冷や汗を滲ませ強引に話題を逸らそうとする五味に促された栫井は特に何も言わずに部屋へ入ってくる。
横を通り過ぎていく栫井を目で追うが、栫井はこちらを見ようともしない。栫井の愛想が悪いことは今に始まったことではないが、やはり、先日のことがあったからだろうか。嫌でも気になってしまう。
栫井はどう思っているのだろうか、俺がこの打ち上げに参加していることを。
「これで全員揃ったな」
生徒会役員たちが部屋に集まり、それを見渡した芳川会長が声をかける。あれほど広く感じていた部屋も、今はなんだか狭く感じた。
「あれ? 他の委員会の連中は? いないんすか?」
「この前場所が場所だから俺たちだけで済ませようと言っただろう」
「あーそういやそうだったような気が」
「気ではなくそうなんだ」
十勝を睨んだ芳川会長はそう言って、「灘」と小さく側に立っていた生徒会会計に声をかける。
小さく頷いた灘はどこからか数枚の書類を差し出し、役員たちが囲っているテーブルの中央にそれを置いた。
「とにかく、食べながらでいいからこれを読め。風紀委員から届いた学園祭で起きた騒動や問題を起こした生徒のリストだ」
「今年度は昨年度よりも処分者が少なかったようですが、その代わり損害した器物の額は上回っています」
その言葉に櫻田がぶっ飛ばした便所の扉が頭を過る。居たたまれない。
そんな俺の気を知ってか知らずか灘は損害対象について読み上げ、他役員たちに損害額を説明した。そして今年の売上、各出し物の評判など、打ち上げというよりもそれは生徒会会議そのもので、部外者としてなんとなく肩身が狭くなっているとどうやら早速この空気に飽きてきたらしい十勝が俺の隣にいた志摩にちょっかいをかけ始めていた。
「そういや亮太お前なんでここにいるんだよ。出ていくって言ってただろ」
「煩いな、気が変わったんだよ」
触れられたくなかったようだ。興味本意で尋ねてくる十勝に露骨に鬱陶しそうな顔をした志摩は笑みを浮かべ「ねえ、齋籐」と同意を求めてきた。
どう答えればいいのかわからず「まあ、うん」と適当に頷けば、「ほら」と志摩は十勝に向き直る。勿論そんなよくわからないやり取りで十勝は納得するはずがなく。
「部外者は出ていくとか言ってたのはどこのどいつだよ」
「別に、人間が一人二人増えたところで困りはしない」
やはり不満そうな十勝に返したのは、意外なことに向かい側のソファに腰を掛けていた会長だった。
「そんな心配をする前にちゃんとメモを取っているのか? 書記」
灘に説明を止めさせた会長は仏頂面のまま静かに尋ねる。役職名で呼ばれ、十勝は思い出したように顔を青くした。
「うっわ、忘れてた! すみません今取ります! ……んで、なんでしたっけ」
「損害の修復代をどこから削るかという話です」
「了解了解」
本当に大丈夫なのだろうか。ノートと筆記用具を取り出す十勝を眺める俺は内心冷や汗を滲ました。
そして、本格的に生徒会が学園祭についての話し合いを始めて暫く。
一番最初に痺れを切らしたのはやっぱり十勝だった。
「あーあ、これじゃいつもの生徒会と変わんないじゃん」
「なにを言ってるんだ、当たり前だろ。なんのために集まったと思っている」
「そりゃ、飲んで食って騒いで……」
「それは全て終わってからすることだ」
懲りない十勝に額に青筋を浮かばせる会長はレンズ越しに十勝を睨み付ける。
「ひぃっ」と情けない声を上げながら五味を盾にする十勝。俺を巻き込むな、と五味。
そんな三人と興味なさそうにぼんやりしている栫井の横、黙々と書類に筆記用具を走らせていた灘はそれをテーブルに置く。
「会長、決算書出来ました」
「ご苦労」
「よくやった和真!」
「ほら、会長食べましょう食べましょう!終わったんなら打ち上げってことでいいっすよね!」そして会長の雰囲気が僅かに緩んだのを見逃さなかった十勝はそうテンションを上げ、早速芳川会長に絡み出した。
そんな十勝に怒るかと思いきや、芳川会長は「そうだな」と姿勢を崩す。そしてソファの背もたれに背を預け、こちらを見た。
「こんな話聞かされても齋籐君たちも退屈だろうしな」
「流石会長ー! 物わかりいいっすね!」
俺の代わりに反応する十勝はボトルを片手に「ほら、喉が渇いてんじゃないんですか?じゃんじゃん飲んでください会長!」と機嫌を取ろうとするが「いや、俺はまだグラスに残ってるからいい」と普通に断られている。というか然り気無くボトルにアルコールと記入されていたがきっと気のせいだろう。そう思いたい。
「齋籐君、悪かったな。つまらない話に付き合わせて」
席を離れ、隣へと移動してくる芳川会長に緊張しながら俺は「いえ、気にしないでください」と慌てて首を横に振る。会長と栫井が一緒にいるとどうしても鞭のことが頭を過る。そして、逆隣の志摩の視線が痛い。
「栫井、そこにあるボトルをこっちに寄越せ」
そんなこと知ってか知らずか、ここに来てまだなにも口にしていない俺を気遣ってくれたようだ。
そう栫井に命令する会長に心臓が跳ねる。
――このタイミングでか。
二人の関係を垣間見てしまった今、会長の栫井に対する言動のひとつひとつにびくついてしまう。それは栫井も同じなのだろうか。無言で席を立ち、生気のない表情のまま栫井はペットボトルのジュースをグラスに注いでくれる。普段なら絶対しなさそうなものを。
「あ、ありがとう……」
そう慌ててお礼を言ってみるが、栫井はなにも言わなかった。
満たされるグラスを眺めたまま、俺は最後まで栫井の目を直視することはできなかった。
会議が終わり、改めて打ち上げが始まってどれくらい経っただろうか。
「あ」
「どうした」
「飲み物切れちゃいました」
グラスが空いたから冷蔵庫から別の飲み物を用意しようとしていた十勝はそう肩を落とす。
先程からやたらハイペースでみんなのグラスが空いていたからもしかしたらと思っていたが、どうやらそのもしかしたらのようだ。
「もうか」
「飲み過ぎなんだよお前ら」
思ったよりも早かったなという顔の芳川会長と五味。
元々関係ない人間が加わっているせいもあるだろう。そう思ったらいてもたってもいられなくなった俺は「あ、じゃあ俺買ってきます」と慌てて手を上げる。
「お? まじで? 佑樹気ぃ利くー!」
「お、俺もいっぱい飲んじゃったし……」
「俺も一緒しよう」
そう、肩を組んでくる十勝に押しつぶされそうになっていた時だった。
立ち上がる会長に少しぎくりとした。
「い……いいんですか?」
「ああ、君一人じゃ運ぶの大変だろう」
「ありがとうございます」
会長の申し出は嬉しかった。嬉しかったが、反面まったく緊張しないわけでもなかった。
そんな俺たちのやり取りを見ていた志摩が、すかさず「じゃあ俺も」とと立ち上がろうとしていたのを芳川会長は手で制した。
「いやそんなに何人もいらない。志摩君はゆっくりしてくれ」
そう会長に止められたほんの一瞬、志摩の周囲の空気が凍り付くのを感じた。
恐らく、そんな些細な変化に気付いているのは俺しかいないだろう。会長は志摩から視線を外し、そのままこちらを振り返るのだ。
「じゃあ行くか、齋籐君」と促されるがまま俺は立ち上がる。
部屋から出るまで、背中に刺さる志摩の視線が突き刺さるように痛かった。
人手はあって困るようなものでもない。空気が悪くなることを分かった上で敢えて志摩を待機させ二人で部屋を出るという選択肢を選んだ会長に意図を感じた。
だからこそ俺もそれ以上なにもいうことが出来なかった。
303号室を出て暫く、俺達の間に会話らしい会話はなかった。
静かな廊下に二人分の足音が響く。ちらほらと人の姿はあったものの、会長の姿を見ると空気がピリッとしたものになって皆が皆口を閉ざすのだ。
そんな通路を会長は歩いていく。そして俺も、置いて行かれないように着いて行った。
会長の機嫌があまりよくないというのは五味とのやり取りで嫌でも分かっていたが、それも打ち上げの間で大分ほぐれてきたのではないだろうか。そう思っていたが、今は分からなかった。
けれどこちらから話しかけるような雰囲気ではない。結局、俺達はエレベーターに乗り込むまで会話らしい会話を一切交わすことはなかった。
――学生寮、エレベーター内。
広い機内には幸い人の姿はなかった。会長は一階を押し、静かに機体は動き出す。
そして、ようやく会長は口を開いたのだった。
「あれからどうだ、あいつとは」
気まずさと緊張の中、会長は静かな口調で尋ねてくる。
あいつ、というのは阿賀松のことだろう。あまりにも単刀直入に聞いてくるものだから、恥ずかしさも何もかも吹き飛びそうになった。
あれから暫く解放してもらえず酷い目に遭いました、だなんて馬鹿正直に答えられるわけがなかった。
そしておそらく会長が言うその後というのはあの一件後のことだ。
阿佐美の部屋で会った時のことを思い出しながら、俺は「いえ、特には」とだけ応えることにした。
「他に妙な言い掛かりをつけてきたりしてこないか?」
「いえ……大丈夫です」
「そうか、だったらいいが」
昨日は散々芳川会長と組んでるのではないかと執拗に問い質されはしたが、本当のことだけは絶対に漏らさないようにだけはしていたので大丈夫なはずだ。
……阿賀松も今日は何も言ってこなかったし。
「その……先日はご迷惑をお掛けしました」
「なに、君に迷惑を掛けているのは俺の方だ。畏まる必要はないと言っているだろう」
「す……すみません」
会長の言葉に他の諸々まで思い出してしまい、気まずくなる。
「そう言えば相部屋の件だが、あれから進展はどうだ?」
顔を上げることができなくなる俺からなにか察したのだろう、会長は咳払いとともに話題を変えてくれる。
でもまさか、会長の方から振ってくるとは。てっきり忘れられてると思っていただけに驚いた。
「あ、あの、そのことなんですがもう大丈夫です」
「大丈夫だと?」
「えと……その、友達が相部屋になってくれるって言ってくれたので……」
「阿佐美詩織か」
言い当てられるとは思わなかっただけに「え?」と素っ頓狂な声が出たしまう。
なんだ知っているんだ。つい数時間前のことだ、それに先生にもまだ何も伝えていないのにと固まる俺。
そんな俺の心でも読んだかのように、会長は「一人部屋の生徒で、尚且つ君と仲良さそうな生徒は彼しか思い当たらないからな」と続ける。
なるほどと納得すると同時に、まるで一人部屋の生徒を全員把握しているような会長の言葉が気にかかる。
……いや、生徒会長なら当たり前なのだろうか。わからない。
「なら、もう俺は心配しなくてもいいということか?」
「はい、一応明日申請するつもりです。……あの、すみませんでした。変なことお願いしてしまって」
「変なことではない。今回は力にはなれなかったが、またなにか困ったことがあったら気にせず言ってくれて構わないからな」
「俺に出来ることなら最善を尽くさせていただこう」そう会長は笑う。いつもと変わらない、唇の端を持ち上げるような笑顔。
今までだったらただ心強かったその言葉は、今はずしりと胸の奥へと沈んでいく。
そして、間もなくしてエレベーターは目的地である一階へと到着した。
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