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09
――冗談じゃない。
壱畝が元々まともなやつだとは思っていないが、このままでは本当に殺される。
酸欠を起こし朦朧する意識の中、水中に響く壱畝遥香の声にただ血の気が引いた。
焦るほど酸素がなくなり、頭に血が昇る。
このままでは本当にまずい、そう思った矢先のことだった。
ぴんぽーん。
そう、気の抜けた音が浴室に響いた。
インターホンだ、誰かが来たようだ。
遠くから聞こえたその音に、脳裏に部屋の前で待たせていた灘の顔が浮かんだ。
そのときだった。頭を押さえ付けていた壱畝遥香の手が離れる。
その瞬間を逃さなかった。慌てて水面から顔を出した俺は、そのまま飲み込んだ水を吐き出し噎せ帰った。
「っげほッ、ぅ゛う……っ」
激しく咳き込む俺を一瞥した壱畝だったが、それもほんの一瞬。
渋々来客者を優先させることにしたようだ。そのまま壱畝は俺を置いて浴室を出ていく。
その後を追う元気なんて俺に残ってなくて、ぜぇぜぇと肩で息をしながら浴槽から這い上がった俺はそのままタイルの上に倒れ込んだ。
水分を含み、張り付く衣類が鉛のように重く感じた。服だけではない、体もだ。
今の内に逃げなければ。
そう思うが、冷えた体は震え、思うように動けない。
そんなとき、浴室の奥――玄関口の方から壱畝の声が聞こえてきた。
『あぁ君は確か生徒会の……どうかしたのかな、こんな時間に』
やはり、来客は灘だったようだ。
灘に助けを求めにいけばきっと助けてくれるだろう。後数メートル、扉を開いて「助けてほしい」と叫べばいい。
『ゆう君なら今ちょっと手が離せないみたいだけど、それがどうかしたの?』
壱畝の声だけが聞こえてくる。
灘は俺が遅いことに気付いたのだろう。
早く、早く動け、この足。そう悴んだ手足に力を入れ、浴室の扉を開こうとして滑る。
「……っ、ぐう……」
濡れたタイルの上。こんな体でまともに受け身など取ることなどできなかった。
転倒した拍子に近くの椅子にぶつかってしまったようだ。音が浴室内に反響し、そしてその音は玄関口の壱畝の耳にまで届いていたらしい。
壱畝の声が途切れたが、それも一瞬のことだった。
『ゆう君、なにドタバタしてんの? ……はは、ごめんね灘君。ちょっと時間掛かりそうだからまた後で来たらどうかな。汚い部屋で待たせるわけにもいかないしさ』
あいつ、何もなかったように誤魔化しやがった。
『いえ、お構いなく。用意ができたら声をかけていただくようお願いできますか。扉の外で待ってますので』
行かないでくれ、入ってきてくれ、こいつと二人きりにしないでくれ。
叫びたいのに、声が出ない。本当にこの喉は役立たずだ。肝心なときに役に立たない。
せっかく気付いて貰えそうだったのに。
痛みを感じる感覚器官すらも底冷えして麻痺してしまっているのだろう。
『うん、わかった』という壱畝の返事に、俺はドアノブにしがみつくように立ち上がった。
なんとしてでも灘を引き止めなければ。
そう、なけなしの力を振り絞って浴室の扉を開いたときだった。
開いた扉の前に、影が立ち塞がる。
「……なにやってんの? お前」
無表情の壱畝遥香が、そこにいた。
どうやら灘はもう立ち去ったあとのようだ。目の前に現れた壱畝に、慌てて離れようとするが濡れたタイルで足が滑ってそのまま尻餅を着いてしまう。
「……ッ、う゛」
「お前、さっきなにガタガタしてたんだよ。危うくバレるところだったじゃん、俺がせっかく気を回してやったってのに」
「ご、め……ん゛うッ!」
「ごめんじゃねえよ、わざとやっただろ?」
一瞬、殴られたことにも気付けなかった。
冷たいのに焼けるように熱くなる体、じんじんと遅れて火照りだす頬を押えて息を飲む。
「てか、なにあいつ。なんでお前のこと待ってんの?」
あいつとは灘のことだろう。
灘は壱畝に言わないでくれたのだ。絶対バレてはいけない。そう唇を噛み締め黙り込もうとすれば、再び頬を殴られる。
平手打ちではあるが、それでも刺激を与えられ続けて過敏になっていた全身には耐え難いほどの痛みだった。
それでも、ここで俺がバラせばせっかくの志摩の気遣いも阿佐美への手回しもなにもかもが台無しになってしまう。
耐えなければ。自分に言い聞かせながら、俺は振りかぶられる壱畝の拳に目を瞑り、来たるべき痛みに耐える体勢を整えるのだ。
今だけ耐えれば終わる。
そう唇を噛み締め、俺はそれから壱畝の気が済むまでサンドバッグになることを選んだ。
――自室にて。
『ごめん、やっぱり今日はやめとく』
そう志摩にメッセージを送れば、すぐに既読が付いた。そして『なんで』と返ってくる。
たった三文字。それでもなんとなく向こう側にいる志摩の顔が思い浮かぶようだった。
『あんまり邪魔しちゃ悪いし』
『部屋の持ち主がいいって言ってるのに?』
いつも思うが志摩のメールの返事早すぎるような気がする。もしかして携帯に張り付いているのだろうか、なんて思いながら『ごめんね』とだけ返した。
本当は、志摩に助けてもらいたかった。
しかし、一日だ。今日我慢すれば、明日、部屋を換わる手続きが出来る。
志摩が壱畝と鉢合わせになれば志摩がなに言い出すかわからない。壱畝遥香にはルームメイト変更のことはギリギリまで知られたくなかった。
……下手したら、阿佐美まで迷惑がかかる。
浴槽から出たというのに、まだ全身が冷水に浸かっているようだった。それなのに、壱畝に殴られた箇所は焼けるように熱いのだからおかしな話だ。
携帯を仕舞おうとしたとき、ぶるぶると手の中の端末が震えだした。
――志摩だ。志摩から着信が来てる。
俺はそれに応えることなく、着信が切れるのを待った。そして暫くして志摩も諦めたようだ、着信が切れるとほぼ同時にメッセージが送られてくる。
『電話出ろよ』
『ごめん、ちょっと無理』
『壱畝がそっちにいるの?』
「……」
まるでこちらが見えているかのような鋭い指摘だ。
いると言ったら志摩がここに来ることは間違えないだろう。それだけは、避けたかった。
それでもやはり、自発的に嘘を吐くのは慣れない。
息苦しさに胸が支えそうになりながらも、俺は『いない』とだけ返した。
それから志摩からのメッセージを見るのが怖くなって俺は電源を切って端末を服に仕舞った。
そして、自分の足元に目を向けた。
正座をする俺の膝の上、頭を乗せた壱畝はすうすうと小さく寝息を立てていた。
膝枕がこれほどまでに心身ともに苦痛を与える行為だと知らなかった。
俺の身動きを封じるためなのか、それとも単なる嫌がらせなのか。俺には壱畝の考えなど分からない。それでも、その効果は確かだろう。
苛ついた壱畝に散々殴られた体は疲弊しきっていた。
抵抗なんてしたところで、やはり事態は悪化するだけなのだ。最初から大人しく受け入れておけばまだ傷は浅かったのだろう。
熱を持ち始め、強張り始める顔面の筋肉を冷やしながら俺は息を吐いた。
跡にならなければいいのだが。
そんなことを考えながら、俺も目を瞑った。眠れるはずなんてないのだが、それでも体は疲弊しきっていたのだ。
灘もまだ外にいるのか。それとも、流石に呆れて帰ったのかもしれない。
そんなことを思いながら俺は灘への謝罪の言葉をただひたすら頭の中で考えていた。
……。
…………。
どうやら俺は眠っていたようだ。
ふと瞼越しに陰が動いたのに気付き、瞼を持ち上げようとした矢先だった。
腹部に抉るような激痛が走る。
「っ、ぁ゛ぐッ」
寝起きの不意打ちに目を見開けば、目の前には壱畝の顔。やつに殴られたのだと理解する。
それからようやっとやってくる痛みに呻き、腹部を押さえたまま俺は何事かと壱畝を見上げた。
「はる、ちゃん……」
「おはようゆう君、朝だよ」
これが起こしたつもりなのか。最悪の目覚めだ。
ぼんやりと霞む視界の中、俺は壱畝への違和感に気付いた。やつ自身ではない、やつの身に着けている服だ。
そして俺の視線に気付いたようだ、壱畝はにっこりと笑い、ネクタイを軽く持ち上げてみせるのだ。
「ほら、見てこれ。ゆう君とお揃いの制服。似合うだろ?」
「……そう、だね」
「当たり前だろ。つかま、お前に褒められても全然嬉しくねえけどな」
ならなんで俺に聞くんだ。
一晩冷やしたお陰か顔の腫れは大分引いているようだった。それでも、鏡を見るまでは安心できない。
人のベッドから降りた壱畝は、くるりとこちらを振り返った。既に髪も荷物もセットしている。
「なんか朝から先生たちから色々説明とかあるみたいなんだよな。……面倒だけど、初っ端からサボるわけにもいかないし」
「……」
「本当はゆう君と朝食摂ろうと思ったけど無理そうだったわ、ごめんな? せいぜい一人で寂しく食ってろよ」
いつにも増して饒舌だ。どうやら機嫌がいいらしい。
俺からしてみれば、どうぞお好きにどこにでも勝手に飛んでいってくれた方がありがたい。
が、そんなことを言えるわけがなかった。
「同じクラスになれるといいね」
「……そうだね」
「ははっ、すげー嫌そうな顔」
言いながら、ぎゅむっと頬を摘まんでくる壱畝はぐにぐにと頬を引っ張り「もっと可愛く笑えよ」と強要してきた。
せっかく腫れが引いたばからのそこを抓られ、思わず顔をしかめて呻けば「すげーブサイク」と壱畝は笑い、そして手を離した。
「んじゃ、そういうことだから。ゆう君も遅刻するなよ」
そうしたいことだけをし、言いたいことだけを言い残して壱畝は部屋を出ていった。
あいつがいなくなってようやく俺は息ができるようだった。深く息を吐き、ベッドに再び倒れ込む。
……けど、助かった。
一人でいることがこれほどまでに快適だと思えるなんて。それでも、このままのんびりしてる場合ではないのだ。
壱畝に取られないようにと服の中に隠していた携帯端末を確認すれば、案の定夜のうちに志摩からたくさんの連絡がきていた。
志摩の怒ってる顔が浮かぶ。
灘にも謝らないとな。
と、そこまで考えたときだった。部屋のインターホンが鳴り響く。
咄嗟に玄関口へと向かい、扉を開けばそこには見慣れた青年の姿があった。
見上げるほどの長身に、着崩れした制服。相変わらず無造作に跳ねた長めの黒髪は彼の目元を隠す。
それでも、覗いたその口許には確かに嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
「……ゆうき君、おはよう」
――阿佐美だ。
『明日の朝、迎えに行くから』
そう、交わした約束が脳裏を過った。
本当に約束を守ってくれたんだ。
驚きと同時に、あまりの安堵に思わず力が抜けそうになる。
けれど、そんな俺とは対象的に俺の顔を見た阿佐美は顔を顰めた。
「ゆうき君、その顔……」
「……顔?」
「ここ、赤くなってる。……どうしたの?」
不意に伸びてきた指に頬を触れられそうになり、昨夜の記憶が蘇る。咄嗟に飛び退けば、阿佐美の表情は更に険しくなるのだ。
「ぁ、こ、これは……」
「……殴られたの?」
ワントーン、阿佐美の声が低くなった。
やはり跡になっていたようだ。何度も叩かれたのだ、痛みと熱は引いたがやはり誤魔化せなかったようだ。
「す、少し……喧嘩になって……」
「……」
「けど、本当に大したものじゃないから。……ほら、体は動くし、ちょっとした小突きあいみたいなものというか……」
少しでも安心させたかったが、それでもどうしても壱畝を庇うようなニュアンスになってしまうのが自分でも反吐が出そうになる。
それでも、変なところで敏い阿佐美が簡単に誤魔化されてくれることはなかった。
「ゆうき君」と優しい声で名前を呼ばれると、段々自分が惨めになってくる。
「大丈夫だから……本当に」
だから、気付かなかったフリをしてくれ。
そう阿佐美に懇願すれば、阿佐美は何を思ったのだろうか。何かを言いかけ、そして代わりに「分かったよ」と小さく呟いた。
「……今、部屋は一人?」
「うん」
「そっか。……じゃあ、上がっていい?」
尋ねられ、頷き返した。
元々同室だっただけに、阿佐美からそんな風に尋ねられるのは変な感じだった。
そして俺は阿佐美を部屋にあげる。
阿佐美は俺の支度が済むのを待ってくれた。
洗面台で顔を洗ったとき、自分の顔を覗き込んだ。ぱっと見、確かに赤くなってる気がするがそれでもよく見ないと気付けないほどだ。恐らくあと少し経てば消えるであろう赤みに、殴られたのだと気付けた阿佐美にただ驚く。
それほどよく見てるということだろうか。普段前髪で隠れてるからこそその視線を直接感じることはなかったが、それでも少しだけ緊張した。
……気を付けないとな。そんなことを考えながら、俺はもう一回冷たい水で顔を洗った。
それから制服に着替え、阿佐美とともに朝食を取るために一階へと降りる。
あれから阿佐美は約束通り傷に触れてくることはなかったが、それでもやはり阿佐美の周辺の空気が変わったのを感じた。
――学生寮一階、食堂。
口の中が切れているようで、あまり固形物や刺激物を口にするのは良くないと判断した俺は喉に流し込みやすい飲み物だけ頼んだ。
本当は何も食べたくなかったが、流石に阿佐美に心配かけてしまいそうだったから無理やり胃に流し込む。
「取り敢えず、今日は先生のところへ行くって話だったけど」
「……うん」
「先に職員室に行ったら会えなかったんだよね、担任と。……丁度出払ってるみたいで」
「え? 先に行ってきたの?」
「その、ごめん……早めに伝えれたらそれがいいのかなって思って」
余計なことしちゃったかな、と項垂れる阿佐美に慌てて俺は首を横に振る。
「そんなことないよ。……寧ろ、そこまで考えてくれてたなんて」
ありがとう、と口にすれば阿佐美は「無意味だったけどね」とばつが悪そうに笑い、そして何段にも重なった分厚いハンバーガーを齧った。
「朝が駄目ならHRのあともあるから。……ほら、詩織が早起きしてくれたから時間もたくさんあるし」
「……ありがとう、ゆうき君」
お礼を言うべきは俺の方なのに。
再び沈黙が流れ、俺達は向かい合ったまま無言で食事を続ける。
それにしても、やっぱり先生も忙しいのだろう。なんとなく嫌な予感がしたが、それを気付かないフリして俺は底に残ったジュースを喉へと流し込んだ。
……沁みる。
それから俺達は食堂で朝食を済ませ、俺は阿佐美と並んで教室に向かった。
こうして阿佐美と登校なんていつぶりだろうか。
なんて、そんな懐かしさに耽る暇なんて俺にはなかった。
――教室前廊下。
「齋籐」
教室の扉を開こうとしたときだった。
後方から名前を呼ばれ、ぎくりとする。立ち止まり、振り返ればそこには志摩がいた。
昨日の様子からして絶対に怒ってると思ったが、その顔には笑顔が浮かんでいた。不気味なほどの笑顔、いつもと変わりない態度でずかずかと近付いてくる志摩にならばとこちらも平然を取り繕おうとしたときだった。
「おはよう、し……」
伸びてきた手に肩を掴まれる。
目の前には変わらない笑みを浮かべた志摩。しかし、その指先には力が籠っていた。肩口、鎖骨の隙間に刺さる勢いでのめり込む指に思わず「いっ」と声が漏れる。
すると、それを見兼ねた阿佐美が「志摩」とその手を振り払った。同時に志摩の顔から笑顔が消える。
阿佐美を睨んだ志摩は、再びこちらへと視線を向けた。その冷たい目に思わず背筋が震えそうになった。
「どうして阿佐美と一緒にいるの?」
「たまたまそこで会っただけだって。……同じ教室なんだから一緒になるのは仕方ないだろ」
「お前には聞いてないんだよ。……ねえ、齋藤」
なんでお前が答えないんだよ。
そう言いたげな目でこちらを睨む志摩。
最初からこうなることは分かっていた、分かっててそれでも阿佐美に頭を下げたのだ。
ここを上手く切り抜けるしか他ない。
「……別に、志摩が気にするようなことはないよ」
「なにそれ、どういう意味?」
「詩織の言うとおりだってことだよ。……それと、昨日はごめんね、連絡出れなくて」
「今その話はしてないよね」
志摩の目が細められる。怯みそうになる心を必死に叱咤し、それでもめげずに俺は「嬉しかったよ」と続けた。
「……なに、嬉しかったって」
「志摩が連絡してくれて。……でも、疲れてたんだ」
「だったら……」
「また今度泊まりに行くから、そのときは……お邪魔していいかな」
毒には毒を、というわけではないが、志摩を相手にするときに志摩のペースに飲まれたら終わりだ。
だったら、志摩と同じように相手の言葉を遮って自分の伝えたいことを口にするしかない。
強引な手だし、下手をすれば火に油だと分かっていたがどちらにせよ他に選択肢はない。
そう志摩を見上げれば、志摩は何か言いたげな目でこちらを睨むのだ。
そして、諦めたように息を吐く。
「……そんなの、いつでも来たらいいよ」
敢えて流されたのか、諦めたのか、はたまた呆れたのか。強く言ってこない志摩に内心ほっと安堵した。
そんな俺たちのやり取りを目の当たりにしていた阿佐美は困惑したような顔をしてこちらを見た。
目があって、俺は苦笑する。都合のいいことばかりを口にして他人を誘導している姿なんて、見られて気持ちよくはない。
志摩の目がある手前、教室入りをした俺は阿佐美と別れそのまま席についた。
阿佐美も察してくれたようだ、それから何も言わずに自分の席につき、なにやら本を読み始める。
……後から阿佐美には志摩のことちゃんと説明しなきゃならないな。
隣に座る志摩の気配を感じながら、俺は鞄を机の上に置いた。
そして暫くもしないうちに予鈴が鳴り、疎らに生徒たちが席につき始める。
そんなときだ。勢いよく扉が開き、担任の喜多山が入ってきた。
「全員席につけ! 今日から新しい友達が増えてるぞー!」
現れた担任の姿に安堵し、思わず席を立とうとした矢先のことだった。その一言に、俺は動きを止める。
――新しい友達?
――まさか。
息を飲む。全身が緊張し、心臓の鼓動が速くなった。
「遥香、入ってこい」
ああ、どうせこんなことになる気はしていたのだ。
いつだって、最悪の事態は想定してきていたからだ。
担任の呼び掛けとともに、開いた扉から現れた見覚えのある元同級生の姿に笑いすら漏れそうだった。
「壱畝遥香です。皆、よろしくね」
――本当に、悪い予感ほどよく当たるものだ。
教壇の上に立つ壱畝遥香はこちらに目を向け、そういつもと変わらない爽やかな笑顔を浮かべる。
隣の席から小さな舌打ちが聞こえたのはきっと気のせいではないだろう。
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